・・・例えば。
他人が見ている景色と、僕が見ている景色は同じなんだろうか。

そんなことを考えるようになったのは、僕が狭くて真っ白なこの空間に
入れられてからだ。すぐそこに海があるこの場所では、窓を開ければ潮風が
流れ込み、波の音が耳を撫でる。ゆっくりと時間は流れ、何をするでもなく
まるで永久に約束されたかのような平穏な一日を送る。人はそれを羨ましいと
でも思うのだろうか。

少なくとも僕は、そんな風には思わない。何でか、なんて、答えは簡単だ。
人は、ずっと同じ場所にはいられない。この窓から見える景色も、聞こえて
くる音も、漂ってくる香りも、有り余るほど与えられた時間も、何もかもに
飽きてきた。そうして僕が我侭を言ったとしても、今となっては誰も叱りなど
しない。やんわりと笑いながら、話をすり替えられるのだ。そんなやり取りに
も飽きてきた僕は、我侭すら言わなくなった。

だから、きっと、他人が見ている景色と、僕が見ている景色は、
同じ・・・なんてことは有り得ない。見る人の心情ひとつで、景色は
全く別のものに写って見えるんだろう。

僕に見えている景色と言えば、何も無い。僕には、何も見えない。
代わり映えのしない窓の外。こんなにもゆっくりと時間は流れているのに、
終わりの時は間違いなく近付いている。そんな実感など無いに等しくて、
それでも今まさにその時をむかえている人もいるんだろうと考えると不思議
でたまらなかった。

・・・きっと、僕も、もうすぐ・・・

そう思うと、景色なんて見えるわけがない。先がないとわかっているのに、
何かを見るなんて、僕にはできなかった。

・・・だけど、そんな悲観的な気持ちとは裏腹に、本当はひとつだけ見えて
いるものがあった。それは、この場所からもよく見える、一本の木。逞しく
根をはる幹と、それに反して小さく儚げに揺れる花弁。光の加減で銀色に輝
いて見えるその花の名前を、僕は知らない。ただ、ひとつだけ知っているこ
とがあった。あの木はいつだって満開の花を咲かせている。もう長いことこ
の場所にいるけれど、あの木が寒そうに枝だけになっているところを、僕は
見たことがない。何も無いはずの景色の中で、その木と花だけキラキラと輝
いて僕の目に写っていた。

あの木を、近くで見てみたい。

ずっと思っていたことだ。だけど、どこか後ろめたい気持ちがあって、僕は
その木の元へ行くことが出来ずにいた。きっと誰かに迷惑をかけるだろうし、
もしかしたら銀色に輝いて見えるのは、僕がそうであってほしいと願って
いるからそう見えるだけなのかもしれない。そんな気持ちがあったから。
それに、ずっとこの場所にいるせいか、僕はいつの間にか外へ出ることに
臆病になっていた。窓一枚隔てただけのこの部屋は、まるで外の世界と隔離
されているようで。もちろん実際はそんなことないんだろう。慣れという
のは実に恐ろしい。そんな有り得ない錯覚まで起こしてしまうなんて。
だけど、もう時間がないんだ。

僕は気付いていた。なんとなくだけど、そんな気がしていた。
このまま、この狭い空間で目を閉じるのも悪くない。そもそも、僕には既に
願望なんてものは無いに等しいから、どこでどうなってもいいと思っていた。
・・・いや、ひとつだけあったか。あの花弁には今見えているように銀色に
輝いていてほしい、と。非現実的な景色が、現実であってほしい、と。
そう願っていた。願いは願いのままで終わらせるべきか、それとも現実を
この目で確かめに行くか。



気がつけば僕は部屋を抜け出していた。
今までそうしなかったくせに、今頃になって何が僕をそうさせたかはわから
ない。もし、最後くらいと思ったからとか、そんな理由だとしたら実につま
らない理由だけど。

そうして、ついにその木を前にして、僕は思わず声をあげた。
あの部屋から見えていたそのままの場所に木は立っていた。
少し違って見えるのは、初めて近くで見上げてその大きさに気付いたから
だろう。根元に立ってみれば、まるで銀色の花弁に包まれているみたいだ。
空は見えない。僕の視界一面を花弁が覆う。

そして、その花弁はというと・・・僕の願った通り、銀色に輝いていた。
光なんて当たらなくても、ひとりでにキラキラと輝いていた。銀色の花弁は
無機質に感じられるのに、どういうわけか暖かくも感じられる。不思議だ。
そうであるように願いながら、心のどこかではそんなわけないと思っていた。
だけど、その景色は現実のものだった。しっかりと、僕の目に写っている。


こんなに胸がざわざわするのは、一体いつぶりだろう。嬉しいのか、感動
しているのか、満足しているのか、それとも単に終わりが近いからか。
自分でもわからない。それでも、こんなにいい気分になったのは久しぶりだ。
僕は木の根元に、ゆっくりと腰をおろした。

「君は、どれくらい長い間ここにいるの?」

返ってくる声などない。それでも、この木がもう随分と長い間この場所に
あることなんて簡単に分かった。きっと、僕が生まれるよりもずっとずっと
昔から、この場所にあるんだろう。

「僕みたいな人を、たくさん見てきた?」

返事の変わりに、細い枝が風に揺れた。少しだけ、花弁が散る。
それでも、この木はそんな程度のことでは朽ちはしない。それが少しだけ
羨ましくなった。羨ましくなって、俯いた。きっとこの木はそんな風に
思ってなどいない。もしかしたら、早く枯れてしまいたいとすら思っている
かもしれない。僕自身が感じていたことじゃないか。

見えている景色は、違うんだ。

息苦しさを感じて、僕は目を閉じた。枝を揺らしていた風が、僕の頬も撫でて
いく。視覚を遮断すれば、波の音がよく聞こえるようになった。

「ごめんね、あなたのこと、少しだけ羨ましいんだ。・・・僕も、
もっとたくさんの景色を見たかったな・・・」

その願いは、もう叶わないけれど。それでも、最後にこの銀色に輝く木を
見られただけでも、僕は幸せだったかもしれない。そう思えば、なんとなく
気が楽になった。

僕が、消えていく。

波の音は、もう聞こえない。頬を撫でていた風も感じない。
胸のざわめきはなくなり、思考も薄れていく。
あぁ、案外怖いものではないんだな、と身を委ねようとしたとき、
最期に綺麗な声が頭の中に響いた。


「私が咲き続ける限り、あなたを忘れない」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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銀色の桜 -1-

閲覧数:241

投稿日:2014/07/09 03:35:13

文字数:2,662文字

カテゴリ:小説

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