「ミク姉、今日鈴鹿サーキット行くんでしょ? ボク一緒に行ってもいい?」

ピザトーストを齧りながらレンが聞いた。
ボカロ家、朝の食卓。
ミク、ルカ、リン、レンの四人が揃ってテーブルを囲んでいる。

鈴鹿サーキットでは明日からスーパーGT300の予選が始まる。
そのため、今日は雑誌やテレビの取材が集中するのだ。
ミクの今日のスケジュールはグッド・スマイル・レーシングの一員として雑誌やテレビの取材に応対することである。
グッド・スマイルは、初音ミクのイラストがデカデカとプリントされた、いわゆる痛車でレースに参戦している。
このイラストには一万人の個人スポンサーがついており、チームを支える柱の一つとなっているのだ。

レンはそれについて行きたいと言っている。
草食系ながらも男の子だから、レースカーには興味があるようだ。

「うーん、やめといた方がいいと思うけど…はたで見るほど華やかでもないよ」

いつもは万事に大らかなミクが、珍しく渋い顔をする。

「邪魔にならないように大人しくしてるからさ、いいでしょ」

「連れてってあげたら? 男の子なんだからさ、いい思い出になるわよ」

ルカが助け舟を出した。

「ルカがそう言うんなら連れてくけど…勝手にあっちこっち行っちゃダメよ。絶対にはぐれないでね」

「わーい! やったあ!」

手を上げて喜ぶレン。対してミクは難しい顔をしている。
…ミク姉、お祭りごとは嫌がっても無理やり連れてくタイプなのに、変なの。
リンは不思議に思った。

     ☆

快晴の鈴鹿サーキット。
ピットは迫力あるエンジン音で満ちている。
どのチームも明日の予選を控え、マシンの調整に余念がない。
レンはミクの痛車を前に興奮していた。

「うわー! 超カッコいい! いーなー、ボクも痛車になりたい」

目を輝かし、運転席の窓ガラスに顔をくっ付けて中を覗きこむレン。
ピット内のあらゆるものをグルグルと見て回る。
ミクはチームのスタッフと打ち合わせをしつつ、浮かれたレンが勝手にどこかに行ってしまわないように目を配る。

「レン、あんまりウロチョロしないで。約束したでしょ」

注意すると一旦はおとなしくするのだが、またすぐに目移りが始まる。
スタッフの一人がミクに声をかけた。

「ミクさん、モーター誌の記者が着いたそうです。取材は応接室になるので、移動をお願いします」

「分かりました。レン、行くわよ」

工具箱をあさっていたレンを呼びつける。

「伊蔵をつけますから、ご一緒にお願いします」

「いつもの人?」

「はい」

「レンがいるのよ。もう一人付けられる?」

「手配済みです。応接室はレース場の北側で、歩いて五分ほどです。お気をつけて」

スタッフの後ろから、二人の男が現れ、ミクに一礼する。
チームのメンバーと同じのツナギを着ているが、腕には警備会社の腕章をしている。
ツナギは場内で目立たないようにするためか。
二人とも大柄で背が高く、K-1選手のように逞しい。

「南原さん、あそこのレースクイーンから傘借りてくれる? 念のため」

ハイと返事をして、南原と呼ばれた男はミクの指示に従った。
暑いから差して歩くのかと思ったが、南原は畳んだまま先導し始める。

「ミクさん、こちらです」

警備の二人に前後を挟まれて、ミクとレンは歩き出した。

「ミク姉、後ろの人がイゾウさん?」

レンがミクの横に並び、小さな声で聞いた。

「違うわ。伊蔵ってのは、符丁よ」

「フチョウ?」

「グッド・スマイルでボディーガードのことをそう呼んでるの。明治時代に人斬り伊蔵って腕利きの剣客がいて、勝海舟の用心棒もしたことがあるのよ。それにちなんでね」

ずっとはしゃいでいたレンの顔に、初めて不安の色が浮かんだ。

「何でボディーガードが必要なの?」

「色々物騒なのよ。言ったでしょ、華やかなだけじゃないって」

真っ直ぐ前を向いたミクの表情は、いつになく引き締まっている。
こんな顔を見るのは初めてだ。

「傘は…?」

「うーん、説明しにくいわね。多分使わないと思うよ」

要領を得ない答えだ。レンはますます不安になる。

ピット周辺は人がごった返していたが、階段を登り二階に上がると急に人気がなくなった。
長い廊下を歩いていると、前を歩いていた南原が足を止めた。
前から白いワンピースを着た少女と、スタッフジャンバーを着た背の高い男が歩いてくる。
男の腕には警備会社の腕章。少女のボディーガードか。

「おや、初音ミクじゃなイカ」

ミクを認めて少女も足を止める。
年頃はリンと同じくらいだろう。頭に三角形の変な帽子を被っている。
腕を組み挑戦的な眼でミクを睨む。ミクも一歩前に出て睨み返す。

「あら、何か生臭いと思ったら、あんただったの」

少女はカチンときた顔をした。
青色の長い髪――いや、頭から生えた触手のようなものが、ゾワゾワと動き出す。
レンはビックリした。

「ミ、ミク姉、誰? この人?」

「LMP MOTORSPORTんとこの痛車キャラ、タコ女よ」

「イカ娘でゲソ!! 間違えんなでゲソ!!」

イカ娘が憤慨する。

「男連れでデート気分かでゲソ。のん気じゃなイカ」

あからさまな挑発だが、ミクは動じない。

「あんたこそこんなとこで遊んでないで、早く海の家に帰って焼きそばでも作ってなさいよ」

イカ娘が顔を引きつらせる。

「お前こそ帰って歌でも歌ってたらいいでゲソ!」

「あたしはそれが本業だからいいけど、あんたの本業は何でしたっけ? 地上を侵略するんじゃなかったの?」

見事に揚げ足を取られ、イカ娘が悔しがる。

「う~! バカにするなでゲソ! 目にもの見せてやるでゲソ!!」

口では敵わないとみると、すうっと大きく息を吸い込んだ。
レンが何をするんだろうと見ていると、イカ娘はいきなり口から大量の黒い液体を吹き出した。

「わっ!!」とレンが叫ぶ。

動きを読んでいた南原が素早く傘を開き、ミクを守る。
大きな日傘が真っ黒に染まったが、ミクには一滴もかからなかった。
傘を除けるとミクは先ほどと寸分違わぬ姿勢で立っていた。

「そこをどきなさい!! さもないと触手固結びにしてツインテールにするわよ!!」

ミクの貫録勝ちである。

「く、くそ~! 覚えてろでゲソ~!」

イカ娘は悔しそうに泣きながら走り去った。
ボディーガードが慌てて後を追う。
レンは何が起こったのか分からず呆然としていた。
南原がイカ墨まみれの傘を畳み、廊下の隅に投げ捨てる。

「船井、LMPに電話してイカ墨を掃除するよう言え。それとレン君のシューズも弁償させろ」

そう言われてはじめて、レンは自分の靴にべっとりとイカ墨がついているのに気が付いた。

「だー! こ、これお気に入りなのに…」

「それくらいで済んでよかったじゃない。さ、行くわよ」

ミク達は再び歩き出した。レンも慌てて遅れないようについて行く。
最後尾の船井が歩きながら携帯でLMPに電話している。

「ミ、ミク姉、何でイカ娘と仲悪いの?」

「あいつだけじゃないよ。痛車キャラの本分ってのがあってね」

ミクは変わらず前を向いたまま話した。

「道を譲った方がレースで負けるってジンクスがあるのよ。だから絶対に引き下がっちゃいけないの」

「それでボディーガードが…」

遅れを取り戻すように早足で歩くミク。
レンは必死でついて行く。

「で、でも、危ないよ。ケンカになったりしたら…。ただのジンクスでしょ?」

「あたしには一万人の個人スポンサーがついてるの。尻尾を巻いて逃げることは許されない。痛車になるってのは、そういうことよ」

ミクはきっぱりといった。険しさを秘めた横顔は、普段ののほほんとした彼女とは別人のようだ。
レンは言葉を失った。

「それにね、あんなスルメ女なんか可愛いものよ。もっと海千山千のツワモノが…」

廊下の角を曲がったミクが、話の途中でまた足を止めた。
先ほどのイカ娘の時とは比較にならない緊張が走る。
ハッとしてレンが前を向くと、白いプラグスーツを着た女が、凄まじい存在感を漂わせて立っていた。
彼女ならレンも知っている。エヴァンゲリオンの初号機パイロット、綾波レイだ。
マフィアみたいな黒いスーツの四人の男が、姫を守る騎士のように彼女を囲んでいる。
ミクと眼が合うと、綾波は冷たく微笑んだ。
二人は約三メートルの距離を置いて向かい合っているだけだが、間の空気は刃物のように鋭く張り詰めていた。

「ミク、久し振りね」

「そうね」

ただの挨拶なのに、切っ先が触れ合う音が聞こえてきそうだ。

「坊やも一緒なの? お姉ちゃんにしっかりくっ付いて、迷子にならないようにね」

イカ娘とは比較にならない毒の吐きようだ。

「心配は要らないわ。レイもボディーガード減らしたら? 男に囲まれていい気分になってるんなら、それでもいいけど」

一瞬綾波の眼が険しくなったが、すぐに冷笑を取り戻す。
逆上したら負けだという不文律があるのだ。

「ミク、ピットから来たの?」

「…そうよ」

「歩くときは気をつけたほうがいいわ。髪にオイルが付いてる」

えっ、と言ってミクは左右のツインテール見た。
しかし、どこにもオイルなど付いていない。
しまったと思って前を向くと、綾波が口を押さえてクスクス笑っている。
頭に血が昇るのを感じたが、こらえて表情に出さないようにする。

「あんたこそ注意しなさいよ。ピットインする車にはねられて、包帯だらけにならないようにね」

それは言っちゃダメ、とレンはミクの口を塞ぎたい思いに駆られたが、すでに割って入ることなど到底できない状況だった。
綾波の顔から微笑が消え、恐ろしい眼でミクを睨みつけた。
ひるむことなく睨み返すミク。視線がぶつかり合い、激しく火花が散る。

「イントネーションがおかしいのよ。歌はどうか知らないけど、ホント喋るの下手くそね!」

レンにはミクがギリッと歯を軋ませる音が聞こえた。

「ここで油売ってる暇があったら、パチンコ屋の営業でも行ってくれば!? そっちの方が実入りはいいんでしょ!?」

「ちやほやされてアイドル気分になってんじゃないわよ! 音符通り歌うだけのオモチャのくせに!!」

「あんたこそ碇ゲンドウのオモチャでしょうが!!」

剣で斬りつけるような舌戦が続き、レンは恐ろしくて気絶しそうになった。
二人は再び眼から炎が出そうな勢いで烈しく睨み合った。

「…ミ、ミク…さん…」

ミク達の後ろから、消え入りそうな声が聞こえた。
振り向くとグッド・スマイルのレースクイーンがひどく怯えた様子で立っていた。

「…あ、あの…雑誌の記者の方が、車の前で写真を撮りたいそうで、場所がピットに変更になったそうです…すみません、戻ってもらえますか…」

声も身体もガタガタ震えている。
可哀想に、きっとさっきからそこにいたのだろうが、怖くて声をかけられなかったのだろう。
ミクが綾波に向き直る。

「面白くなってきたところなのに、残念だわ。レイ、またね」

さらりとそう言って、踵を返す。
レンも後を追うため、綾波に背を向けた。

「レン」

歩き出そうとした背中に綾波から名を呼ばれて、レンは飛び上がった。
おそるおそる振り返るが、怖くて返事もできない。

「…わたしの親衛隊には、荒っぽいのもいるからね。せいぜいお姉ちゃんとはぐれないように気をつけなさい」

脅かすつもりかと思ったが、綾波の表情は静かだった。

「レン、行くわよ」

ミクは振り返りもせずそう言って、ツカツカと歩き出した。
レンは何も言えず、ミクの後に従うしかなかった。
廊下の角を曲がるまで、背中に綾波の視線が貼り付いているような気がした。

     ☆

(後編に続きます)

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ボクも痛車になりたいな(前編)

あの痛車キャラとあの痛車キャラも出てきます。

閲覧数:700

投稿日:2011/08/12 05:55:49

文字数:4,889文字

カテゴリ:小説

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