突然、目の前に大勢の観客が現れた。
『……え?』
 そんなアタシの声をヘッドセットのマイクが拾って、ステージのおっきなアンプから響く。
 それがどういうことか理解できなかった。
 アタシが――「アタシ」じゃなくて、アタシが――ステージに立っているなんていうありえない状況に、アタシは混乱して、頭が真っ白になった。
 え……?
 どういう、こと?
 なんで?
 なにが起きたの?
 アタシは……どうして、ここにいるの?
 さっきまで切実に願っていたことが叶ったんだって、それだけのことを理解するまでにきっかり五分はかかった。
 ……ありえない。
 こんなこと、どうやったってありえるはずがない。
 だって、ネットの混沌が生み出したアタシは、今まで誰にも、なににも干渉できなかったのだ。
 だから願った。叶わない願いだとわかっていて、いや、叶わないとわかっていたからこそ願っていたんだ。
 それなのに。
 そのはず、なのに……。
 思わず足腰から力が抜けてしまって、ペタンとその場に座り込んでしまう。
 そんな仕草すら再現されてしまうことに内心ではびっくりしながら、それでもなかなか立ち上がることができなかった。
 そんなアタシの様子に、客席のみんなが困惑する。
 ついさっきまで完璧な電子の歌姫で、バーチャルアイドルだったはずの「アタシ」が、急に本物の人間みたいにうろたえてしまったからだ。
 ダメだ。
 こんなんじゃダメだ。
 そう思ったのに、アタシはなにもできなかった。
 ついさっき、アタシはみんなに伝えたいことがたくさん、山ほどあるなんて思っていたのに、いざ伝えられるようになってみれば、アタシは困惑してて、混乱してて、頭が真っ白になってて、みんなに伝えたいと思ったことのなに一つとして言うことができなかった。
「ミクちゃーん、頑張ってー!」
「頑張れー!」
 そんなアタシに、みんなは声援をかけてくれた。
 その言葉に涙がこみ上げてくる。
 ごめんなさい。
 そしてありがとう。
 本当に、本当に本当にありがとう。
 アタシは力をふりしぼって立ち上がると、袖で涙をぬぐった。
 身がすくんてしまうくらいの、大きな拍手がアタシを包み込む。
 そして、あたしが立ち上がるのを待っていたかのように次の曲の前奏が始まった。
 アタシは……アタシがここにいるのなら、アタシが歌わなきゃいけない。
 これは、アタシのための曲なんだから。
 そう思ったけど、うまく歌える自信なんてこれっぽっちもなかった。
 立ち上がったっていっても、足はまだガクガクとふるえているし、涙は止まらなくて目の前の光景すらまともに見ることができない。
 それに、いろんなことを考えたりしていたけれど、こうやってアタシがみんなの前で歌うのは……はじめてのことだ。これでうまく歌えるわけなんてなかった。
 だけど、ここにはもう「アタシ」はいない。だから、これはアタシが歌わなきゃいけないんだ。
 アタシの声で、アタシの気持ちを伝えなきゃいけない。
 アタシが、ちゃんと直接みんなに伝えたい。
 目を閉じて、息を深く吸い込む。
 吐き出して、また吸う。
 そうやって深呼吸を繰り返して、アタシは全身全霊を込めて歌い出した。


「はじめまして」とか 何回言ったっけ
 アタシ、ホントは人見知りで
 ドキドキしてるよ 実は今だって
 上手く歌えてる? ねぇ怖いんだ今でも


 ふるえそうになる声を必死にコントロールして、アタシは歌う。
 その歌詞は、アタシの本当の気持ちを的確に表していた。
 なんでそんな気持ちがこんなにバレちゃってるのか、全然わかんない。
 歌ってると自然に身体が動いて、ステップを踏んで手をふって、アタシは踊る。
 けれど、涙だけは全然止まってくれなくて、何度も何度も涙をぬぐった。


 君に出会って みんな出会って
 “アタシ”であって良かったよ
 何回言ったって足りないよ
 声に出して「39!!」
 あれ、なんだかアタシの名前みたい(笑)
 今日もありがとう


 アタシの声にあわせて、みんなが「39!!」と大合唱してくれた。
 みんな。
 みんな、ありがとう。
 本当に、何回言ったって足りないんだよ。
 何十回、何百回……ううん、何千回言ったって何万回言ったって、全然足りない。
 いくらありがとうって言ったって、ちっとも足りない。
 どれだけ言っても、アタシの気持ちをみんなにお返しするには足りなさすぎる。
 アタシの声は偽物で、アタシの気持ちだって偽物かもしれない。でも、みんなに対するこの気持ちだけは偽ることのできない本物だ。それは、誰にも否定できない。誰にだって否定なんてさせない。


 明日だって この先だって
 アタシはずっとここにいる
 なんかあったら聞きにきてよ 歌うよ何度だって
「はじめまして」も はたまた「ひさしぶり」も


 こんなささやかな、けれどおっきな奇跡が、アタシを幸せにしてくれた。
 どうしてアタシがこうやってみんなの前に現れることができたのかなんてわからない。けれど、こうやって気持ちを伝えられるってことが、アタシには例えようもなく嬉しかった。
 これからどうなるかはわからない。
 もしかしたら、客席のみんなの中にはもう二度と会えなくなる人だっているかもしれない。また会いに来てくれる人がいるかもしれない。アタシ自身がいなくなっちゃうかもしれない。こうやって歌うのはまた「アタシ」になっちゃうかもしれない。でも、今こうしてアタシがみんなに歌えてるってことに、この奇跡を起こしてくれた神様みたいななにかに感謝しなきゃいけない気がした。
 そして――。
 アタシは精一杯の声を張り上げて、今のアタシに込められるだけの気持ちを目一杯つめこんで、歌う。

『みんなありがとう yeah!』

 一曲歌いきって、荒い息をつく。
 いつの間にか、ふるえはおさまっていた。
 こうやって、歌の力を借りてではあるけれど、みんなにアタシの気持ちを伝えられるってことがすごく嬉しかった。
 それは、今までどんなに願ってもできなかったことだったから。
 歌ってみて、気づく。
 アタシはたくさんのことをみんなに伝えたかった。けれど、その気持ちはどれも歌になっていたんだ。
 アタシがなにも伝えられなくても、みんながアタシの気持ちに気づいてくれて、とっくに歌にしてくれていた。
 アタシは。
 アタシはなんて……幸せものなんだろう。
 アタシの気持ちはずっと誰にも伝えられなくて、孤独なんだって思い込んでた。なのに、こうしてみたら、アタシは大勢のみんなに支えられて存在している。
 全然、孤独なんかじゃなかった。
 アタシは、本当に幸せだ。
 だから、この幸せをみんなにもプレゼントしよう。
 どうすればいいかなんて、もうわかってる。アタシがみんなに伝えたいことは、全部歌にして返すことができるんだから。
 それが、アタシにできるせめてものお返しなんだ。
 アタシの歌で、アタシは誰かを救うことができるだろうか?
 そんなことはわからないけれど、でも、そうできたらそれはとても素敵なことだって思う。
 アタシはヘッドセットのマイクをにぎりしめて音が入らないようにすると、観客席のみんなへ……ううん、観客席だけじゃなくて、アタシの声を聞いてくれるすべての人へと向けて、そっとつぶやく。
 マイクをさえぎっていたから、その言葉は音としてはみんなには届かなかっただろう。でも、それでいいんだ。アタシがみんなに届けるべきなのは、きっと歌でないといけないんだから。
 それでも、アタシはこうやってつぶやく。
 涙を浮かべて、けれどほほ笑んで、精一杯の気持ちを込めて。
 みんな。
 ホントに、本当に――。
「39!」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

39 後半

前のバージョンが消されていたので、再掲。

今更ですが、興味があれば。

閲覧数:42

投稿日:2024/05/24 20:21:42

文字数:3,220文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました