10. 後編
「スパイカーズ、か。ニードルスピアにぴったりの名前じゃねーか。針よか釘の方がちっと太いけどな」
「彼らと現在敵対しているのが七番地区方面を拠点としているブルースカルズです。両者がこの都市の二大ギャングと言えるでしょう」
「さあて、どっちがオレの味方にふさわしいかねぇ。今んとこスパイカーズの方が都合がいいから接触するわけだが」
「簡単に首を縦には振らないでしょう。この都市のギャングの世界から見れば、ミセスは新参者です。我々は彼らのルール、仁義、プライドのなんたるかを知りません」
「そりゃそうだ……っと。あそこかな」
路地裏を何度も曲がり、八番地区の人間でさえ滅多に近づかない奥の奥。住宅地の中だというのに不自然に建物が消え、あからさまに怪しげな広場が現れる。
人の姿は見えないが、明らかに複数の視線を感じる。オレはさしずめ、スパイカーズとやらの本拠地になにも知らずに踏み入るネズミってワケだ。
オレはそんな中を平然と歩き、広場の中央で歩みを止める。
「スパイカーズ、エドワード・スパイク・ゴールドウィン。オレのことは知ってるな? 話をしに来たんだが」
取りあえずそう声を張り上げるが、雨音以外に返答はない。
「……ハァ。めんどくせーな」
オレは視線を落とす。
この辺りの地面はアスファルトもコンクリートもない。むき出しの赤土だ。この広場の赤土は濡れていてもずいぶんしっかりと踏み固められている。車が入ってこれる場所ではないから、それだけ多くの人間が普段から出入りしているってことだ。
ちらりと背後を見る。
狭い路地からここに出てきたわけだが、その路地近辺の壁は弾痕でズタボロだ。ここまで攻め込まれたとしても、ここで集中攻撃すれば最深部は守り通せる。こんな迎撃場所を作るために、建物の一つや二つは壊したのかもしれない。
こいつらをぶっ潰そうとするなら、確かに骨が折れるだろう。
「なあ。オレがここにつっ立ってても撃たれてないってこたぁ、初めっから会う気はあるってことだろ? じゃなきゃ、オレは路地からここに出てきた瞬間にあそこで殺されてる。こうやってバカみてーに喋んのもできねーハズだ。だろ? ほら、無駄な時間費やすのは止めて、建設的な話をしようぜ」
正面の通用口らしき扉が開き、二つの影が出てくる。
心底辟易している、という態度を隠しもしない、ドレッドヘアの女と、彼女に傘を差す付き人だ。ドレッドヘアの女はオレの倍くらいの歳だろうか。ずいぶん大きな釘打ち機を手にしている。オレじゃ両手でも持ち上げられるかわからないような重さの電動工具を、その女は片手で軽々と持ち上げ、オレに狙いをつけていた。
「……あんたは自分の立場ってもんを理解できていないらしい。ここはアタシらのテリトリーだ。縄張りを荒らすヤツは誰であろうと容赦しない。アタシが五寸釘であんたの頭を縫い付けないのは、単なる気分の問題さ。アタシの機嫌を損ねるようなら……どうなるかわかるね? ニードルスピア男爵?」
「男爵、ね。そこまでは……教えてなかったと思うがな」
オレが口角を上げて笑みを見せると、一切怯みもしないことに女は肩をすくめる。
「一番の武器は鉛弾や火薬なんかじゃない。情報だよ。生き残るにゃ、誰よりも早く、正確な情報を手に入れられるようにならなきゃならない」
「同感だ。……とはいえ、オレの方は情報不足だったな。エドワード・スパイク・ゴールドウィンがまさか女だったとはね」
「アタシも、そうそう姿を見せるわけにゃいかない身分でね」
「そりゃーラッキーだな」
「……?」
「一発で本人と対面できたオレはラッキーってことだろ?」
「まあ……そうだね」
女は渋々といった様子でオレの言葉を認め、釘打ち機を下ろす。
オレの気楽な態度に戦意を削がれたのだろう。
「で……男爵ともあろうお方が従者もたった一人でなんの用だい。内容次第じゃ五ブロック向こうの要塞みたいな住宅も更地にするよ」
「おお怖」
「あそこでなにやってる。あの二人組は堅気じゃないだろ」
「まあ確かに良からぬことじゃあるが……察しはついてるんじゃないのかい」
文字通りの意味でもあるが、暗に“まだ話す気はない”という意味も……女の眉間にシワが寄ったのを見ると、どうやら伝わったようだ。
「……」
「……」
少しの沈黙の後、女はため息をつく。
「……クソッ。仇討ちならよそでやっとくれ。うちの縄張りで面倒を起こされるのは御免だよ」
「カカカカカッ! エドワード・スパイク・ゴールドウィン。あんたは最高だな。あんたみたいに頭の回るヤツはそういねぇ。あんたみたいなヤツが欲しかったんだ!」
女はオレの奇行に少し怯えたように一歩下がると、釘打ち機の先端を少し上げる。
「止めとくれ。アタシゃスパイカーズから離れる気なんかない。どれだけ金を積まれたってね。ここはアタシが守らなきゃならない家だ。特に今は――」
「――ブルースカルズ、か」
「そうだよ。忌々しいったら無いね。ヤツらにゃ脳ミソが無いのさ。ちょっと数が揃ったくらいで、なにも考えずにちょっかいかけてきやがる。こっちが良好な関係を保とうとしたって無駄。ヤツらを潰してやりたいが……」
愚痴にハッとして、女が気まずそうに黙る。
「……調子狂うね」
「そりゃよかった」
「はぁ? なんだい、そりゃ」
「ケケケ」
オレの態度に――オレの狂気じみた“演技”に呑まれ、女は呆れる。
オレのペースに持ち込めたってことだ。
「エドワード・スパイク・ゴールドウィン。リン・ニードルスピアから貴殿とスパイカーズに、二つ要求がある」
口調が変わったオレに、女が身構える。
「……なんだい」
「オレは、あんたが欲しい」
「バカ言え。アタシゃ――」
「――エド、あんただけじゃない。スパイカーズもまとめて、オレは欲しい」
少し考えて、女はオレをにらむ。
「それで、アタシらになにをしろってんだい」
「スラム街の全てを手に入れろ。七番地区と八番地区の全てを管理下に置け」
「バカ――言うんじゃないよ。それができるんならとっくにしてる。アタシらにゃ人が足りないし、武器も足りない。ブルースカルズのヤツらと均衡を保つハメになってんのだって――」
「――オレの要求を受け入れる気があるなら、オレの会社から資金と武器を融通する。ただし、融通するからには絶対に成し遂げてもらう。ブルースカルズを壊滅させ、吸収し、運河の西側を勢力下に置け」
「……」
女が黙り込む。
彼女は今、真剣に計算している。
オレの要求に応えて闘争の道に進むのと、断って現状維持するのと、どちらがいいかを。
「断ったら、どうする」
「オレはあんたを気に入ったが……拒否するんなら仕様がねぇ。全く同じ話をブルースカルズに持っていく。今ちょっと聞いただけで、アンタの方が有能なのはわかったけどな」
「……今ここでアンタを消すって手もある」
「したけりゃそうしろ。アンタはずっとブルースカルズの影に怯えてりゃいい。さあ、やれよ」
オレは傘を放って両手を広げ、目をつぶるとエドワードに身を差し出す。
「なんでだ……死にたいのか」
「……ある意味じゃそうだ。アレックスの死から、オレの心ももう死んでる。誰かが殺してくれるんなら願ったりだ」
「そこまでして……アタシらにスラムを支配させることになんの意味がある」
「アレックスには商才があったが、人付き合いは苦手だった。市長と仲が良かったのは、他に友人がいなくて……ま、頭が良いってのも考えものだったわけだ。オレはアレックスの仕事を引き継いだが……結局のところ、会社はあってもこの都市を基盤とした後ろ楯がない。オレは、この都市に置ける基盤が欲しい。そして現状、都市の上層部の利権の影響を受けていない基盤として残っているのは……ここしかない」
「……」
本当はそれだけじゃない。最終的にこの都市の全てを混乱に叩き落とそうと思うなら、コントロールすべきはスラムであり、ギャングどもだからだ。
「……」
「……」
「……なんだ。やらねぇのか?」
オレは腕を下ろして、目を開ける。
女は改めて釘打ち機をオレに向けていたが……その顔にはありありと困惑が見てとれた。
「そんなに悪い条件じゃねーだろ? アンタは目的を達成でき……たまにオレの手助けをしてくれりゃいい。それだけと言えば、それだけの関係だよ」
「アンタが支払う対価からすれば、アタシらに望む“手助け”がその程度とは思えないけどね」
オレは肩をすくめると、傘を拾う。
「利害が一致してるってだけさ。スラムを支配している勢力がオレと敵対しないってだけで、オレにはずいぶんなメリットだよ。アンタにはそう思えないかもしれないけどな」
「……即答は、できないよ」
その返答は、最早オレの味方になると言っているようなものだ。
「だろうな。戻って部下と話し合いな。味方になるなら、縄張りでオレがなにをしてたかも教えるさ。同時に警護も頼むことになるがな」
「……ったく、大したタマだよ。ニードルスピア男爵」
笑う女に、オレも笑みを返す。
「お互い様だろ。……ディミトリ」
「はい。こちらに」
ディミトリから紙袋を受け取り、オレはそれをそのままエドワードに渡す。
「……?」
「取り敢えずの手付け金だ。オレの下に入るなら、その十倍をまず渡そう。武器はその後だ」
紙袋の中を覗き……しかし、エドワードは喜ぶどころか顔をこわばらせる。
そのリアクションこそ、エドワードが優秀な証拠だ。
「……余計に疑わしくなるようなことをするんだね。こっちがまだ何もしてないのに好意を振りまいてくるヤツは大抵ロクなもんじゃない」
「クククッ。そりゃーそうだ。……だからこそ意味がある」
「……この紙袋を拒否はできないみたいだね」
エドワードはため息をつく。
「ったく。まだアタシの半分くらいしか生きてない小娘のクセに、恐ろしい女じゃないか」
「お褒めに預かり光栄だね」
満面の笑みを浮かべてやる。エドワードは露骨に嫌そうな顔をした。
「……イヤミも通じやしない」
「あとこれは、お近づきの印ってヤツかな」
オレはポケットからロリポップを二つ取り出し、一つをエドワードに差し出す。
彼女は受け取るが、困惑気味の表情でオレを見返す。
「……。アタシはこんなの食べやしないよ」
「へへ。じゃ、また来るぜ。よろしくな、エドワード・スパイク・ゴールドウィン」
オレは自分の分のロリポップを口に含むと、エドワードに背中を向け、ひらひらと手を振って帰る。
「……」
無防備な背中を見せるオレに、エドワードは釘打ち機を向けるだろうか?
おそらくは……イエスだ。
だが、やはり打てないだろう。
そう“仕向けた”からだ。
オレはスパイカーズを手中に入れた。
彼らはすぐにブルースカルズを駆逐し、七番地区と八番地区、運河の西側のスラムを支配するだろう。
ああ……アレックス。
まだ時間はかかるけれど……貴方の仇は、絶対にとって見せるから。
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