「鏡音のやつ、俺が警察ってこと忘れてるな!ハーゲンごときに買収される俺だと思うなよ……じゅる」
口から滴る雫を光らせながら、一人の男が林の中を走っていた。トレードマークのマフラーが、彼の動きに合わせて弾む。
彼は暫く時間が経ったのち、荒れた林の奥に一つの研究所を見つけた。ここに、彼を呼びつけた人物"鏡音レン"がいるはずなのだ。
逸る気持ちを抑えつつ、インターホンを何度か押してみる。しかし返事は無い。
「折角来てやったのに。もう寝ちゃったのかな」
結論から言うと、そこは目的地ではなかった。そもそもこの男、鏡音から受け取った地図をまともに見ていなかったのである。友人の住居など地図を見なくてもわかると意気込んで出掛けたは良いが、逃亡者がのうのうと自分の住まいに住んでいるわけがない、というところまでは頭がいかなかったようだ。
諦めて元の道を戻ろうとした、そのとき。研究所の中に青白い光が走った。
「……鏡音?」
恐る恐る玄関のドアノブを握った。扉は開いている。唾を飲み込み、男は静かに闇の奥へと入っていった。
電気をつけて辺りを見回すと、中は寂れて埃っぽく、しかし壁には削られたような真新しい傷跡があった。
「間に合わなかったみたいね」
突然角の向こうから女性の声が聞こえた。人の気配はしていなかったのに。
覗いてみると、女性は金色の長い髪を軽くかきむしりながら壁の傷を見ていた。彼女の顔はよく見えない。
だが、鏡音レンは男性だ。そして独り身。つまりこんな時間に、しかも家主である鏡音が不在の今、ここに居るということは。
「……空き巣!」
「違うわよ。バカイトのくせに生意気ね」
「!初対面なのに失礼だなぁ!」
まず罵られた怒りが先行するバカイト。
そのあとに一呼吸間を置いて考えてみる。あれ?幾らなんでも反応が冷静過ぎやしないか、というより空き巣に見つかった自分乙、あとあと、
「ん、間違えた?貴方は知人登録No.126『バカイト』さんよね」
女性はきょとんとした顔でバカイトを見つめる。
「登録……?もしかして鏡音のロボットか!」
バカイトは緊張の糸が一気にほどけた。鏡音のロボットならばここに居ても不思議ではない。
対してロボットは顔をデフォルトに戻し、
「初めまして、私はLily。緊急時には貴方か巡音ルカさんに、初音ミクの居場所を尋ねるよう指示されているのだけれど」
「ん?初音ミクって、鏡音が作ったナウなオタクにバカウケの、あの?」
知らない単語に眉間の皺を寄せながらも、バカイトの回答を正しく理解したようだ。
「そうよ、その初音ミクが今何処にいるのか教えて」
「それは言えないなぁ。申し訳ないが、警察には守秘義務があるのだよ。……どっちにしろ知らないけど」
チッチッチ、と指を左右に振らして得意気な顔のバカイト。それに苛ついたのか、Lilyは嫌悪を露にする。
「あんた馬鹿?」
Lilyは蔑む様な表情でバカイトを見下す。バカイトはムッとしながらも、ロボットがこんなに自然な表情を出来るのだということに驚いていた。そして鼻の下を伸ばしていた。虐げられ願望が芽生えた瞬間である。
「"緊急時"って言ったでしょ?緊急事態だから尋ねてるのよ!」
表情がくるくる変わって面白い。そんなずれた感想を持つバカイトとは反対に、Lilyは話を進める。
「機能は妹の私の方が上のはずなのに、何故か感知出来ないの。初音ミクの暴走がこれ程までとは」
「暴走って……」
ふと嫌な予感が頭を過った。
「あんた警察の人間なのに知らないの?初音ミクがいかに危険な存在であるか」
知らないわけがない。バカイトも嫌というほど調べ尽くした事件である。旧友の鏡音レンを取り調べる筈だった事件。
「あんなことがまた起こるのか」
「そうよ。だから私には初音ミクの監視、及び暴走時に破壊する役目があるの!」
「そ、それって」
困惑した態度のバカイトに、Lilyは苛立ちを見せる。
「頭が悪いのね。だから、人間に置き換えるならば――」
一瞬、バカイトは時が止まったような気がした。
「私は、初音ミクを殺すために作られたのよ」
――――
何処かの森の入り口。奥には細い道が続いている。
そこに彼女はいた。破壊の歌姫、初音ミク。その虚ろな瞳は、目の前の人物など眼中に無いようだった。
そして森への道には、立ち塞がるようにして緑の髪の少女が初音ミクを睨み付け対峙していた。
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