21.太陽の供物
明け方の雲が去り、地獄のように青い空が広がり、力強く太陽が昇ってくる。
午前八時。
平日である。島は農作業や商売のために往来する島の人々や舟の行き来でやってくる外の人で活気付く時間であるが、この日の朝は、異様な静けさに包まれていた。
その原因が、市庁舎の前、石畳の広場の真ん中にあった。
真新しい太い杭に、背中合わせに縛り付けられた、レンカとヴァシリスの姿であった。
「レンカちゃん……」
じりじりと焼かれていく身体に、意識を半分持って行かれながら、ぼんやりとヴァシリスは思った。
「……君は、思った以上に馬鹿だ……」
口に布で猿轡をされているため、話すことは出来ないが、どうにか首を回して視線を向けることはできる。白いレンカの肌は、高くなる日に焼けて真っ赤に染まりつつあった。
「捕まったとき、俺にだまされたと、君は言うべきだったんだよ。
……俺のためにも」
ヴァシリスの耳に、猿轡をされてもなお荒い、レンカの息づかいが聴こえる。まずいな、とヴァシリスが思ったとき、レンカの膝ががくりとくず折れた。
「……!」
膝の力が抜け、ぐったりとした背が杭をすべったのが、ヴァシリスにも解った。
しかし、きつく縛められた縄が、レンカが地に膝をつくことを許さない。腰とわきの下に回された縄が、レンカに立ったままの姿勢を強制している。
「レンカちゃん、」
ヴァシリスは視線をめぐらせたが、どこにも救いの手は無かった。無人の広場に、市庁舎の前の番兵がひとり。
助けてくれ、と声の限りヴァシリスは叫んだ。彼自身、力は尽きかけ、うめき声ほどの声にもならなかったが。
「リントを救えなかった今、俺は君だけでも救いたかったのに」
背後のレンカはぐったりと縄に身体を預けている。ヴァシリスとレンカは、前日の夜、杭に括り付けられた。あれから夜通し立ち続けるだけでも、体力を消耗した。そして、これからいよいよ太陽が昇ってくる。
「日の出から数時間しか経っていないのに、こんなに早く、限界がくるとは」
……三日も、もたない。
ヴァシリスの背に、ぞくりと悪寒が走る。
「ここに縛られるのは、ひとりで良かったんだぞ! そんな、俺の気も知らずに……」
ヴァシリスの制止も聞かず、すべてを正直に駐留部隊の前に明かしたレンカの声を、ヴァシリスは思い出した。怒りが、彼の足に力を与えるが、それもすぐに太陽の熱に削り取られる。
ちらりと、市庁舎の玄関の影から、番兵がこちらを見た。
「リント! 女神! もう、霊でも神でも誰でもいい。助けてくれ……」
ヴァシリスは、雲ひとつ無い天を仰いだ。
「……どうか、レンカ・カトプトロスを、お助けください。彼女には、まだ、伝えていないことがある」
伝えたいことが、ある……!
その時、広場の隅の、路地の陰から、人が現れた。ひとり、ふたり。島の人々が、広場に続く路地から次々に現れる。
皆、強い光の中で、じっとヴァシリスとレンカを睨んでいた。
その手には皆、桶を携えていた。
番兵は様子を伺いながら、やや視線を落とす。
小さな島に罪人が出たとき、島の者はどう反応するか、彼も幾度か見たことがあった。
暴力的にののしられ、または私刑を加えられ、刑罰ではなく、島の者たちの制裁によって死亡する場合がほとんどだ。
奇跡的に生き残っても、何の意味もなさないほど、その後の罪人の日常は苦しいものとなる。生命が助かっても社会的に殺され、ついには島を逃げ出すか、島を出るほどの財力も無かったものは、自殺に追い込まれることもある。
番兵は、じっと見ていた。逃亡者を匿った若い娘と、大陸から来た学芸員が、島の人々に囲まれるのを、じっと見ていた。
ヴァシリスは、目を見開いて、島の人々を見つめていた。
……あの、桶の中身はなんだ。
油ということも考えられる。というよりも、そうとしか考えられない。
ヴァシリスは、大陸からやってきたよそ者であり、長く働いて信用も得たが、最後の最後で彼らの期待を裏切った。
「リントが生きてりゃあな!」
ヴァシリスの耳に、島の友の声がよみがえる。
「『奥の国』の根城などあっと言う間に爆破して、島の若い者もすぐ帰ってくるのに!」
実際、リントは生きていたのだ。ヴァシリスが隠したことにより、駐留部隊のルカによって射殺されることとなった。
ヴァシリスのせいで、島の大事な若者、リントが死んだ。そう、受け取られているはずだ。
現実に、ヴァシリスを囲む彼らの目は鋭い。
ぐったりと杭にもたれているレンカと、彼らを凝視するヴァシリスを、敵に臨むような目で見ている。
駐留部隊は、助けないだろう。かれらは、自分達のことを、「今後の見せしめにする」といった。
たとえ油をかけられ、火をつけられても、それは島民の感情が暴走した痛ましい事件として処理されるのみだろう。
そして、ヴァシリスとレンカの最期が悲惨であればあるほど、『逃亡幇助』への見せしめとしては、功を為す……
畜生!
ヴァシリスは、ついに咆えた。最期の力を振り絞って、猿轡を噛み千切らんほどに叫んだ。
「レンカを助けろ! 馬鹿野郎! 同じ、島の民だろう?!
……医院で、レンカに、助けられた奴もいるだろう?!」
その言葉に、じり、と包囲網が狭まった。全員、桶をいよいよ構えている。
「……お前ら、リントの気持ちがわかってるのか?! レンカがどういういきさつで彼をかばったか、知っているのか!
……島単位で小さくまとまるのは結構だが、考え方が同じなのが当たり前だという根性は、あまりにも了見が狭すぎる!」
すべての叫びが猿轡に邪魔され、呻きとなって響いたそのとき、ついに一番接近した男から桶の中身を浴びせかけられた。
響いた液体の飛び散る音に続き、次々と人が押し寄せて、二人に桶の中身を浴びせかける。
「馬鹿野郎!」
「裏切り者!」
「死んでしまえ!」
息もつけないほどに、ヴァシリスとレンカの頭から、液体がこれでもかと浴びせかけられる。レンカがうっすらと目を開いた。
番兵があわてて駆け寄ってきた。
「こら! 罪人を助けるような行動は……!」
すると、桶の中身を残したままの男が番兵のほうに勢いよく振り向き、凄みを利かせて叫ぶ。
「何を言っているんだ! これは海水だ! これはな、罪人に食らわす島の慣わしなんだよ!」
周囲の何人かが、杭に水を浴びせながら叫んだ。
「そうだ! 口を出すんじゃねぇ!」
「裏切り者はな、濡れ鼠がお似合いなんだよ!」
「海水に干からびて死んでしまえ!」
間髪いれずに、ヴァシリスとレンカには何度も水が浴びせられる。布にしみこむ水の味は、たしかに海水だ。しかし、
「かなり、薄められている……!」
しかも、ほんのわずかに、甘い。その水が、猿轡を伝い、ヴァシリスの口に、そして体内にしみこんでいく。
まさか。
夢中で水を吸い上げながら、ヴァシリスはすっかりぬれた広場を見回した。首を回すと、目を開けてずぶぬれの布をかみ締めているレンカが見えた。
……まさか。
「おらよッ!」
最後に浴びせられた水の味は真水であった。
加えて、
「これでも食らえ!」
次に浴びせられたのは、真っ白な細かい島の泥を、水でこねたものだった。
番兵も、しかたなく納得した様子で身を引く。
……まさか。まさか。
ヴァシリスは、思わぬ事態に震えが止まらなかった。
「これで終わりと思うなよ!」
「裏切り者め! また正午にも来るからな!」
「三時にも来るぞ! 覚悟しとけや!」
次々に罵声を浴びせながら、島の人々が去っていく。顔見知りも居た。友人も居た。
かけられた薄い塩水。それを洗い流すかのような真水。そして、
「最後の泥は、日除けか……!」
濡らされた石畳が海からの風に撫でられ、ひんやりとした空気が上がってきた。それがヴァシリスの頬を撫でる。かみ締めた布が、塩の味と甘さを残しており、思わずきつく閉じた目から、涙が伝った。
「これが、『島』か……!」
島の者たちが、がらがらと桶を鳴らして路地に消えていく。最後に、わざとらしいほどのよぼよぼとした足取りで去っていったのは、
「パウロ先生……」
レンカの働いていた、医院の医師だった。
だれもいなくなった広場をふと振り返り、ヴァシリスに向かってニヤリと笑った。
「おい。ヴァズ。島ぁの心を、なめんじゃねぇや」
そうとでも言いたげな表情に、ヴァシリスは、流した涙を恥じるようにうつむき、そして見送った。
* *
果たして、島民たちはその罵声どおり、正午にも三時にも、そして夕方にも来た。
陽射しは強い。完全に日が沈み、気温が下がるころには、びしょ濡れの衣服もすっかり乾く。
そして、翌朝、再び罵声と共に水かけが始まるのだった。
三日間、それは繰り返され、レンカはなんとか持ちこたえた。ヴァシリスにいたっては、三日後の夕方、罰則期間が終わり縄を切られたその時も、意識がはっきりしていたほどだ。
「おい。まずは医院に運ぶぞ」
集まった島の者たちによって、ぐったりと横たわるレンカは担架に乗せられ、ヴァシリスはというと、両脇を若い男たちに支えられながら、医院への道を登っていった。
「なぜ、俺たちを助けた」
ヴァシリスが訊くと、両側の男達は顔を見合わせた。
「なぜって、仲間だからさ」
何の不思議がある、とでも言いたげな表情であった。
「リントもな。馬鹿だったと思うけど、付き合ったヴァズさんも十分に馬鹿だということだよ」
おいヴァズう、と、後ろから声がかけられた。博物館に近い場所で店を構えている、八百屋の親父である。
「実直すぎるあんたは、間違っても兵隊に行くな。邪魔だ。
島に居て、歴史だかなんだかの石を掘りまくれ」
にやりと笑ってヴァズを追い抜き、自分の家への路地に差し掛かったところで振り向く。
「そしてだな。今度こそレンカちゃんと、島の人口を増やせ! それが一番、島のためだ!」
爆笑がヴァシリスの両脇から上がった。
「オヤジ! よく言った! ヴァズさんは島から出しちゃ死ぬから!」
「本当、ヴァシリスさんが兵隊で同僚になるなど、絶対勘弁です!」
「あ、おれら明日舟で発つんですけどね、適材適所ってあると思いますから、気に病まないでくださいよ」
「うん。あの駐留さんに見つかった後の対処とか。絶対この人兵隊は無理だなと思いました。僕らも命が惜しいですから、絶対前線に邪魔しに来るの、やめてくださいね!」
肩を支える若者たちに散々に笑われつくしながら、ヴァシリスは、青い夕闇のなか、ランプの燈る医院にたどり着いた。
* *
奥の間の寝台に、レンカが寝かされていた。
「……レンカ」
そっと呼びかけると、レンカがゆるりとまぶたを上げた。
「……ヴァシリスさん、」
レンカが近づいていくヴァシリスに向かって、そっと手を伸ばした。その腕に、痛々しい縄の痕がついていた。
「ヴァシリスさん……ごめんね」
宙に伸ばされたレンカの手を、とっさにヴァシリスは抱き取った。
レンカが上体を起こして、ヴァシリスの身体にすがりつく。互いの背に回された互いの腕が、強く相手を抱きしめた。
「馬鹿が……俺の気持ちも、解れってんだ」
熱くすすり上げたヴァシリスに、レンカの声も涙で湿る。
「……解っていました。だから、無視したんです」
「ふたりで死ぬ意味は無いだろう!」
ごつん、とレンカの背に、ヴァシリスの拳が当たる。
抱きしめられた肩の上に顔を埋め、レンカが答える。
「でも、リントを守り、ヴァシリスさんを助けたかった気持ちに、嘘はつけません」
ぎゅ、とレンカの手に力が篭る。
「おーい。レンカもヴァズも、今日は養生して医院に泊まれ。毛布は二組……」
パウロ医師が、ひょいと奥の間を覗いて、そしてにやりと笑った。
「……二組もいらないか? ヴァズ?」
「そういうからかいは止してください! 彼女に失礼でしょう!」
抗議したのはヴァシリスだけで、パウロ医師はカカと笑い、レンカもくすくすと笑っている。
静かな夜に、満月が昇っていた。
* *
ルカは、リントを逃がしたあの日から、冷たい石の部屋に囚われている。
外の騒ぎも、すべて聞こえていた。レンカとヴァシリスが、島の人たちに水をかけられ生きていたということも、窓から聞こえる人の話から、知ることが出来た。
「よかった」
ルカは静かに微笑んだ。
前の晩、ルカのもとへ一つ通達が来ていた。
「翌日の船で、大陸の国本部に送り返す」
部隊長自身が、そうルカに告げた。
「命令なく人を撃つことは、罪だ」
それを聞き、ルカは静かに微笑む。
「こんどこそ本当に、さよなら、か」
満ちた月の光が差し込む中、目を閉じると、遠い岬の波の音が聞こえる気がした。
つづく!
滄海のPygmalion 21.太陽の供物
……この命、滅ぼすとしても。
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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ご意見・ご感想
日枝学
ご意見・ご感想
こんばんはwanitaさん、読ませていただきました!
危機→解決→次の危機→解決→……の流れで読み手を引き込んで飽きさせられなくて凄いなあと思っていましたが、その流れの中でも今回のこの話は特に心揺さぶられて良かったです! どん底の状況から持ち上げられる(刑・島の人々の罵倒→実は助けるためのもの・島の人々の嬉しいからかい)というのはやっぱ読んでて凄い良いです!
続き期待しています! 執筆お疲れ様です!
2011/07/12 05:51:33
wanita
>日枝学さま
いつもありがとうございます!
来週末は用事があって一週お休みしますが、さまざまな島の事情を明かした今、一気に畳み掛けていこうと思います。というわけで、次も「危機」です。
そして、私なりのこの世界への「解決」を準備しようと思います。
青い海と島と女神の物語、U-taさまの唄へのラブレターになるかどうか、どうぞ見守っていただければ幸いです。
2011/07/14 21:03:26