4.
僕が執事服を着て業務をこなすようになって数年後、CryptoDIVAはメジャーデビューを果たした。
まだライブで十分な収益を上げていたし、動画サイトやダウンロード販売なんかの収益化の環境も整ってきた頃で、僕は内心ではメジャーデビューする必要なんが無いんじゃないかと思っていた。
だが、CryptoDIVAのメンバーの……というより、初音さんの強い希望でメジャーデビューすることになったのだ。
僕の心配など、杞憂だった。
CryptoDIVAは僕の心配などどこ吹く風、ヒットチャートの最前線を走り続けたのだから。
武道館、東京ドーム、五大ドームツアー、全国ツアー、野外フェス参戦と、アイドルグループとしては異例と呼ばれるくらいに精力的にライブ活動を行った。
初音さん以外の三人はバラエティ番組やドラマ出演なども果たし、歌とダンス以外での活動も増えた。けれど、初音さん自身は歌とダンスにこだわり、テレビ番組に出演することは多くなかった。
初音さんの中で大事なものはアイドルであり続けたが、それはあくまでも歌って踊るアイドルだったのだろう。
やがてメンバー個々の仕事が増え、結果として揃っての仕事はだんだんと減っていった。初音さんも一人で曲を歌うことが増え、ソロアルバムを出し、ソロライブもやるようになった。
CryptoDIVAはメジャーデビューしてから六年をあっという間に駆け抜け、外から見ればあっさりと解散した。一番近くにいたはずの僕でさえ気づかなかったことだけれど、ストイックな初音さんはライブパフォーマンスに限界を感じていたらしい。
他の三人は芸能活動を続ける意向だったのだが、初音さんはライブができないなら引退する、と主張した。その結果が、CryptoDIVAの解散だった。
地下アイドル時代を含めると、実に十三年、初音さんはCryptoDIVAに全てを捧げてきた。
僕は「初音さんのマネージャー」と冗談で言われるようになってから十一年、「初音ミク専属の執事長」となってからは八年が経過していた。
CryptoDIVAのラストライブ。
あれは本当に、伝説と言っていいライブだった。
◇◇◇◇
「みんなー! 今日もありがとねー!」
いつかと同じ挨拶を、初音さんはステージの上で叫ぶ。
同時に、観客席から地鳴りの如き歓声が上がった。
僕が初めて見たステージとは比べ物にならないほどに大きな、東京ドームの中央に建てられた仮設ステージ。周囲の客席数に至っては、当時の百倍以上の収容数を誇る。
ついでに言えば、あのときの僕は客先にいたのだけれど、いまの僕はステージの端っこに立っているという違いもある。
ドームでのライブという都合上、どこからでもCryptoDIVAのパフォーマンスを見ることのできる作りにする必要がある。必然的に舞台裏や舞台袖を設置できないという制約があるものの、僕が客席から見えるところにいる意味は、本来ならない。しかし、もはや初音ミク、及びCryptoDIVAのライブにおいて、執事服の僕もまた演者の一人としてカウントされているのだ。
僕自身は歌もダンスもできないし、演技力が高いわけでもない。
ただ脇でずっと初音さんを見守り、歌の合間に水やタオルを渡すくらいだ。細かな所作には細心の注意を払うけれど、なにかを言ったり大げさなことはあまりしない。
そうやって執事然とした黒子のような存在がステージにいるというのが、初音ミクのライブにおける一種のお約束というか、ネタみたいなものになっているのだ。
実に十九もの楽曲を、ほとんどMCも無しに歌い踊り終わったところだ。四人ともがうつむいてゼイゼイと肩で息をする。
それでも彼女たちが立っていられるのは、ほとんど狂気じみた凄まじい信念があるからに他ならない。
僕から水とタオルをもらって息をつき、少し時間をかけて息を整えると、四人は目配せをする。
「残念ですが……次の一曲で、皆さんとはお別れになります」
初音さんの言葉に、ドーム内が静まり返る。
「メジャーデビューしてから六年、その前の活動も含めると十三年。ボクたちは全てをCryptoDIVAに費やしてきました。ボクたちの人生の半分になろうかという長い期間です。あ、リンちゃんは本当にちょうど半分だね」
初音さんの言葉に最年少のリンさんは大げさにうなずくと、観客席に大きく手を振ってからお辞儀をした。
ドーム内に盛大な拍手がこだまする。
「でも……振り返ってみると、長かったはずなのに、本当にあっという間の出来事でした」
そこまで言って、初音さんはメンバーに向き直る。
「今まで皆に言ったこと無かったけどさ、初めて四人で稽古したとき……性格はバラバラでお互い我が強くてさ。このチームは二、三ヶ月くらいしか続かないだろうって思ってたんだよね」
おいおい。最後の最後になんて爆弾を……なんて思ってたら、ドーム内はまたたく間に爆笑の渦に包み込まれる。
しかも、前に向き直った初音さんにメイコさんが背後から近づいてゲンコツをお見舞いして、初音さんもいい声で「あいたっ」なんて言うもんだから、大盛りあがりだった。笑い声が収まるのにはずいぶん時間がかかった。
ラストライブでこんな意見を言っても無駄だけどさ。そんなにMCが上手なら、もっとやればよかったのに。もったいない。
「アタシたちもミクちゃんとはずいぶん話し合ったんだけれど……確かに、ここが限界点なんでしょうね。ミクちゃんの望むパフォーマンスをやるにはシンドくなってきたし」
メイコさんの言葉に、ステージ上の全員が苦笑を浮かべる。
「ミクちゃんがいなかったら、CryptoDIVAは成立しないのよ。なのにミクちゃんったら、自分がCryptoDIVAから卒業するだけでいいでしょ、なんて言ってね」
「ムリムリムリ。ミク姉がいなかったら、どんなに頑張ってもCryptoDIVAにならないもん。……悔しいけどね」
リンさんの言葉に、ルカさんもうなずく。
「初音ミクがいないCryptoDIVAは、魂のなくなった肉体みたいなものよ。だから、ミクがいなくなるなら、CryptoDIVAは解散するしかないって、皆で決めたのよ」
「ミクちゃんは続かないだろうなんて言ってたけど、それでも十三年も続いたのは……本当に、ミクちゃんがいたからなのよね。私たちはまだ個々で活動を続けていくけれど、CryptoDIVAとしてはこれでおしまい。初音ミクがいてこそのCryptoDIVA。だから、初音ミクがいなくなった後、アタシたちがCryptoDIVAの名前にすがって活動していくべきじゃない」
「そうそう。今回のライブはね、ミク姉の引退と、CryptoDIVAの解散のためのライブだよ。でもね、皆! これはミク姉がいなくても、CryptoDIVAがなくなってもウチらはちゃんとやれるんだって皆に報告するためのものでもあるんだ!」
リンさんの叫びに、ドーム内が万雷の拍手に包まれる。
「ちょっと皆、ズルいよ……。すごい覚悟で決心したのに、覆したくなるじゃん……!」
いつの間にか泣き笑い状態になっている初音さんに、ルカさんが優しく抱擁する。
「じゃ、撤回する? いいよ。また東京ドームでライブやろうよ、何度だってさ」
観客席からも歓声が上がる。
「ちょっとルカ姉! やめてよ、心が揺らぐから……!」
「揺らいじゃいなよ。もうちょっとだけCryptoDIVA続ければいーじゃん」
「リン! そんなこと言うなら、今日よりシンドいセットリスト組むからね! ボクでも出来ないって思った地獄をリンに味わわせてやろうか……」
「ヒッ……」
「ハイハイ。茶番はそこまでにしときなさい。これ以上やってたらラストの一曲、歌う体力も時間もなくなるわよ」
メイコさんの言葉に、初音さんとリンさんがハッとする。
「ミクちゃん、最期に皆に伝えたい想いがあるんでしょう?」
「そっ、そうでした」
初音さんが背筋を伸ばす。
「でも、伝えたい想いはちゃんと歌詞になってるんだよ。それはたぶん、皆にも伝わってると思うんだ」
「それはそうだけど、それでも、この曲の紹介はミクちゃんにしかできないのよ」
メイコさんの叱咤に、初音さんはうなずいて、二度三度と目元を袖でぬぐって……改めて観客席に向き直る。
「ボクがアイドルを目指そうと思ったのは、中学生になったばかりの頃でした。けど、描いた理想はあまりにも大きすぎて、手を伸ばしたって届くはずのないものに見えました。それでもボクは、手を伸ばさずにはいられませんでした。この場所からじゃ見えないものを……どうしても掴みたくて」
初音さんの真摯な言葉に、ドーム内が静まり返る。
「あれから十三年、届くはずがないって思っていたものは全て、いまここにあります。ここに……あるんです!」
爆発でも起きたかのような大歓声が、四人を包む。
「引退しても、ボクはこの世界にいるつもりです。執事長と一緒に三人のサポートをしたり、社長の補佐として新しい子たちのプロデュースをしようと思っているんです。ボクは表舞台からはいなくなるけれど、ボクの望んだ光が、希望が、愛が……ボクたちだけで終わらないようにしていきたいって思ってるんです」
拍手が巻き起こり、初音さんはいったん言葉を区切る。
「……この曲は、そんな僕の思いを汲んで作っていただいた曲です。皆に最期に聞いてもらうとしたら絶対にこの曲だって、そう決めていました」
初音さんはちらりと背後を見る。
CryptoDIVAの皆はすでに配置が済んでいて、初音さんの準備が整うのを待っていた。
皆の様子に、初音さんはあわてて数歩歩いて自分のポジションにつく。
「ボクたちの最期の曲『Prhythmatic』。聴いてください」
初音さんの言葉と同時に照明が落ち、スポットライトが四人を照らす。
『今ここにある希望はきっと 僕だけのモノじゃないから
重ねた愛が言葉になって 誰かの元へ届くよう 祈るの』
言い終わると同時に火花とイルミネーションがきらめき、四人を照らし出す。照明が点き、四人の最後の舞踏が始まった。
『多すぎる荷物は置いて行こうか
目の前の景色が思い出に霞むよ
答えようのない問いに涙を流していた
君はきっと誰よりも優しすぎるから』
四人は近づいては離れ、ときに情熱的に、ときに優雅に舞う。
初音さんの歌う歌詞は、そのどれもがいつか彼女の口から聞いた言葉だ。
『今ここにある希望はきっと 僕だけのモノじゃないから』
『この場所からじゃ見えないもの掴みたくて』
『輝ける全てのものに光あれって叫んだんだ』
誰よりも間近でそのパフォーマンスを見ていた僕は、自然と瞳が涙で滲んでしまう。
彼女はずっと前だけを見ていた。
そりゃもちろん、初音ミクが完璧だったわけではない。失敗だっていくつもあった。
ライブで歌詞を間違えたり、振り付けを間違えてルカさんにぶつかって転倒したり……数えだしたらキリがない。
けれど、それで彼女がなにかを諦めたことなどなかった。
彼女は反省して、失敗を糧にして、より高みを目指した。
言ってしまえば、今回の引退でさえ、彼女にとっては前進なのだ。
自分一人が輝いてみせて、光を放つだけでは、全ての人に希望を届けるには足りないから。
たくさんの人たちを輝かせて、たくさんの人たちに光を放ってもらわなければ、初音ミクの本当の望みは叶えられないと気付いたから。
彼女がいまできる最高のパフォーマンスは目の前にあるけれど、それですら届かないモノがあると思い知らされたのだ。
初音さんはCryptoDIVA引退に併せて、CreatePrimeのアイドル部門統括となる。高松社長の右腕になるようなもので、引退なんて言っておいて、実質的には昇進するようなものなのだけれど。
『どんな未来も君となら 描けると信じてるから
重ねた愛が言葉になって あなたの元へ届くよう
祈るの』
ラスト手前のフレーズを歌いきり、初音さんはステージの中央で深く息を吸う。
『祈るのー!』
ダンスは三人に任せ、初音さんは絶叫する。
いつもなら八拍で止めるところなのだけれど、ラストだからと、ここのフレーズは初音さんの息が続くまで伸ばすことにしていたのだ。
一分は言い過ぎかもしれない。けれど、そう思ってしまうくらい、息が続かなくなるまで長く続いたロングトーンに、観客席から拍手が上がる。
初音さんの声が止むと同時に伴奏も止む。それから改めてピアノが入るのに合わせて、息をつく初音さん以外の三人が綺麗なハーモニーを響かせる。
『今ここにある希望はきっと 僕だけのモノじゃないから』
歌い終わり、四人のダンスが終わるとともに照明が落ちる。
一瞬の静寂のあと、暗闇に包まれた東京ドームに、長い拍手が鳴り響く。
少ししてから照明が点き、四人が観客席に向けて深々とお辞儀をする。
と、拍手はさらにその勢いを増し、もはや轟音と言えるほどの勢いでドーム内を反響する。
耳を抑えたくなるほどの、凄まじい音圧。けれど、CryptoDIVAの執事長がそんな態度を取るわけにはいかない。僕はすました顔をしているフリをして……その実とめどなく溢れてくる涙でびしょびしょになっていた。
でも、よく見てみれば、CryptoDIVAの四人も観客席に手を振り、笑顔を浮かべ……そして僕と同じように涙を流していた。
拍手は長く長く続き、アンコールに用意していた激しいダンスのいらないバラードも二回歌った。
CryptoDIVAは、初音ミクというアイドルはこんなにも愛され、引退を惜しまれているんだなと実感した瞬間だった。
疲労困憊でいつ倒れてもおかしくないほどだった四人は、それでも観客の最後の一人がドームから出ていくまで笑顔を絶やさなかった。
観客席が完全に空になった直後、緊張の糸が途切れた四人はステージ上に崩れ落ち、初音さんに至ってはそのまま意識を失ってしまうほどだった。
……こうして、初音さんの表舞台での活躍は終わりを告げたのだった。
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