「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……あの」
「ん?」
「なにかすることは? 社長」
苛立ちの目線を向けると、カイトは気だるそうにそっちに顔を向けた。今までうとうとしていたのだろう。声も顔も寝ている。
「そうだね、特にないかな」
「特にないって、鎌鼬のことを調べなくていいんですか?」
メイコがパソコンを指差す。レンとミクが出て行ってから今まで、仕事らしい仕事をなにもしていなかった。カイトはすぐどこかへ電車をしていたが、それも5分ほどで終わってしまい、あとはのんびりのほほん、うららかな陽光を浴びて呑気にしている。
「調べたかったら調べてもいいけどさ、どうせなにも出ないでしょ?」
メイコは不機嫌な顔を向ける。確かにその通りだ。鎌鼬について情報を漁ったが、ニュースで聴いたこと以外の情報は出ていない。相変わらずの目撃者なしの状態だ。これだったら、ミクを手元に置いていろいろ聞き出したほうが有効である。
「ずいぶんと気楽ですが、これで本当に鎌鼬が見つかるんでしょうか?」
「ねえ、メイコはさ、誰も見たことも聞いたことのない宝って信じる?」
急な話題変更。メイコは一瞬黙るが、すぐに否定する。
「そんなもの、ありはしません。宝っていうのは、誰かが見たから、知っているから存在するんです。見たことも聞いたこともない宝だったら、どうやってその宝の存在を知ったかで矛盾します」
「だよねえ」
「……なんですか、その話題」
「じゃあさ、『誰も見られたことない殺人鬼』は?」
「……そんなもの、いないって言いたいんですか?」
先ほどの会話を踏まえてメイコが推察する。カイトは優しく笑った。
「どうだと思う?」
「……います」若干悩み、それでも自信を持ってメイコは言った。
「あれはどう見ても殺人です。自然現象ではない。誰も見たことがない、というのは、目撃者を全員殺したから、というのが正しいでしょう」
「でも、ミクちゃんは逃げたよ?」
「ですから、それは偶然です」
「偶然?」
「でなければ、奇跡」
奇跡なんて余計胡散臭いけどね、とカイトは笑った。
「なんで殺さなかったんだろうね」
「……殺そうとしたのに、逃げたから」
「じゃあ、なんで今までの人は逃げれなかったんだろうね」
「…………わかりません」
メイコは黙ってしまった。カイトは続ける。
「目撃者を全員殺す、なんて、実際は相当難しいよ。だって、誰がどこで見てるかなんてわからないんだもん。なのに、目撃者なし。それってさ、どういうことなんだろうね」
メイコは答えない。カイトも期待していなかったようで、すぐに言葉を継ぐ。
「答えはさ、ものすっごい簡単なんだよ。目撃者はいないんじゃなくて、目で追えなかったんだ。見れなかったんじゃない。見えなかったんだ。そう考えれば、納得できそうじゃない? 大量殺人の訳も」
見えなかったとすれば、避けようがない。なにが起こっているのかわからなければ、逃げようがない。目の前で人が死ねば、普通はそこから逃げようとするからだ。人1人を殺すのに、10秒あれば十分かもしれない。じゃあ10人いたから100秒で殺せるかと問われれば、そうじゃない。1人を殺している間に、ほかの9人は逃げるのだ。散り散りに逃げると、とてもじゃないが100秒で終わらせるなんてことはできない。
逃げる間もなく殺さなければ。
殺されてると思われることなく殺さなければ。
「となると、さらに矛盾」
カイトが人差し指を立てる。
「なんでミクちゃんは逃げれたか」
逃げる間も無いはずが、逃げた。殺されてると思われることがないはずが、恐怖を覚えた。
「さっきの話しだけどさ、誰も見たことも聞いたこともない宝っていうのは、あるんだよ。存在するんだよ。実在するんだよ。顕在するんだよ」
「……今じゃなくて、未来に見つかる、という意味でですか?」
「ん? ああ、今は開発されてないけど将来作られるであろう難病の特効薬とか? 違う違う。そんなもんじゃない。もっと、単純な話しだよ。……さて、そろそろ出かけようかな」
「どこに行かれるんですか?」
「いや、ちょっと準備にね。決戦は明日だから」
「決戦……」
「鎌鼬との死闘をね、予約してこようかと思って」





あ。
と、レンが己の失態に気がついたのは折戸であるお風呂の戸が開いた音をさせたときだった。
そういえば。
タオルとバスタオルは用意した。けれど、それだけだった。肝心なものを用意していない。その先のものを用意し忘れているのである。
「やばっ」と座椅子から立ち上がる。「ごめん、ちょっと俺ーー」
 ーー着替え、用意し忘れてた。
レンがそういう前に、出てきた。
綺麗なライトブルーの髪だった。初めて会ったときからその色には気が付いていたが、洗うとさらに鮮やかになる。それをタオルで拭きながら表れた少女は、数年ぶりに汚れを落としたかのように、晴れやかな顔をしていた。
髪と同じ色をした瞳が大きく開き、自分を見ている。垢と泥で汚れていた顔は綺麗になり、少女らしく張りのあるきめ細やかな肌をしていた。
レンの視線が下に行く。
胸は、大きくない。けれど、それは少女であるがゆえに仕方ないことだろう。これから大きくなることもある。それを期待したくなるような、胸だった。
レンの視線がさらに、下がる。
陶磁器のような、滑らかな肌だった。 白く、下の血管さえ透けてしまいそうな繊細な肌。一点の汚れもない。あの装いを見るとずいぶん悲惨な生活をしてきたように思えるが、これを見ると真逆。汚れたものは一切触れてきたことないと思わせる、どこかのご令嬢とさえ見えてきそうな気品さがある。腰のあたりは女性らしく美しいシルエットがあり、おへそも黄金比を持っているかのように作り物めいた美しさがある。
レンの視線がさらに下がろうとして。
「お風呂、ごちそうさま」
ミクが言った。その言葉で現実に戻る。
「おごわあああ!」
全裸のミクが、そこにいた。
「なんでお前服着てないんだよ!」
「服?」
「いいいいいから! さっさと風呂に戻れ! 服を着ろ!」
ミクから目を背ける。けれど、さっきまで見ていた情景が目にこびりついている。どこを見てもミクの裸が前に表れ、自分を誘惑しているように思えてしまう。目を閉じようにも、閉じればもっと鮮明に肌色が浮かび上がり、目を閉じることさえ叶わない。
「服を着ろって言われても」
「まだいたのかお前!」
「ないもん、服」
「じゃあせめてバスタオルを体に巻け! 素っ裸で出てくんな!」
パタパタと足音が遠ざかる。それを聞いて、ようやく呼吸ができた。暑い。ともかく暑い。なんでこんな目に、と思えて来そうだ
こんなとこ、メイコやカイトにばれたら、なにを言われるかわかったもんじゃない。
呼吸を整えつつ、座る。手でパタパタ自分を扇ぎ、なんとか冷まそうとする。立ち上がろうにも立ち上がれないので内輪を取りに行くわけにもいかない。ああもう、と舌を打ったところで、ミクがまた戻ってきた。今度はちゃんとバスタオルを巻いている。けれど、使ったバスタオルが小さいのか、ギリギリだ。特に下半身がヤバイ。超ミニよりもさらに丈がない。もう少し大きいのもあっただろうにとレンは思うが、バスタオルの大きさを知っているのは家主だけだ。変えようにも、自分はまだ動けない。
なにはともあれ、ホッと安心するが、バスタオルの上からでも、先ほど見た映像がフラッシュバックしてくる。そこそこ柄のあるやつで良かった。もし真っ白であったら、余計鮮明になってしまうところだ。
「……これでいい?」
「ああ。ってか、なんで不満顔なんだよ、お前」
「怒られるなんて、思わなかった」
「お前が非常識だからだろ」
「非常識って、なにが?」
言って、ミクが腰を下ろそうとする。この部屋の唯一の椅子はレンが占領してしまっているので、ミクはフローリングに直に座ることにしたらしい。
直に、体育座り、である。
「お前ッ、馬鹿だろッ!!」




真っ赤になったレンが動けるようになったのはそれから10分ほど立ってからで、それまではひたすらミクと馬鹿馬鹿言い合っていた。馬鹿。馬鹿ってなんでそんなこと言われなきゃいけないの。馬鹿だからだ。馬鹿って言う方が馬鹿なのよ。お前の方が馬鹿だろ。そっちの方が。さっきまで消えそうな声でしゃべっていた彼女がいきなり馬鹿馬鹿言い出すのはかなり衝撃的であったが、それ以上の衝撃を受けたレンは気にも留めない。むしろ、やっぱり女はろくなもんじゃねえと再度誓ういい機会になった。
ミクには自分を服を貸した。流石に下着は無理だが(ミクは良いと言ったが、レンが拒否した)、服は背丈が近かったのでなんとかなった。
「お前、非常識にもほどがあるだろ」と、昼食を作りながらレンはぼやいた。「あり得ないだろ、普通」
「だって、知らなかったんだもん」
「知らなかったってお前な」
フライパンを降る姿を珍しそうに眺めるミク。聞けば自分で料理をした記憶がないという。じゃあどうしていたのかと問えば決まって「私、施設で暮らしてたから」
「……また、それか」
孤児、だという。気がついたら施設にいて、ずっとそこで生活していたのだそうだ。親は自分を捨てたのか、それとも亡くなったのか、それもわからない。ほかに「孤児院の名前は?」「場所は?」「ほかにどんな子がいた?」「環境は?」「朝何時に起きて、何時に寝た?」などいくつか聞いてみたが、まったく情報が出てこない。忘れている、覚えてない。それに近いが、ミクの様子だとどうも違った印象を受ける。
演技でないその仕草は、記憶を探った、という気配がいっさいないのだ。
知らない。それが正しいのだろう。記憶にない。それが正解なのだろう。それでもいい。別にその孤児院に行きたいわけではないのだから、ミクが嘘を言ったところで問題はない。しかし、その嘘を、ミクが信じている、ということが一番の問題なのだ。
なんにも覚えてないのに、それが本当であると信じている。行ったことない天国が存在すると、そのためならいつでも死んでやると言い張る馬鹿者のようだ。虚言甚だしいが、一蹴するには、ミクの顔があまりに真剣である。
それに、レンはこういう人を何度か見たことがあった。
となればなるほど。カイトが依頼を引き受けた理由もわかる。
「まあ、いいや。とりあえず、それ食ったらもう一度出かけよう。服買わなきゃいけなし」
「…………」
「どうした?」
「これ、なに?」と、ミクは今しがた運んできた料理を指差す。
「なにって、オムライスだけど」
「オムライス」ミクは匂いを嗅ぐように鼻を近づける。毒を疑うようなら先に一口食べてやろうかと思ったが、その必要ななかった。ミクはすぐにスプーンを握ると、貪るようにオムライスに食らいついたからだ。
「あんまりがっつくと、胃に悪いぞ」
「いい」
食事の合間の呼吸と同時に、ミクが言った。「食べ過ぎで胃が痛んでも、構わない。食べれるときに、食べる」
「……そりゃ、立派なことで」
ミクが食事を終えるまで、5分とかからなかった。

食事と、風呂で気を良くしたのか、家に来る前とあとではまるで人格が変わってしまったようだった。はしゃぐ、という表現がぴったりなのだろう。元気盛りの子どものように、目を離すことができない。
肝心の洋服は結局、店員に見繕ってもらった。服に拘りはないというので適当に入ったお店で下着からなにまで一式揃えてもらった。予算を先に伝えておいたのでオーバーをすることはなかったが、清算したあと、おつりが数十円しかないことにレンは驚いていた。流石である。
新しい服に着替え、服屋をあとにするころには、もう午後3時を回っていた。昼食はすでに済ませてしまっているし、これから事務所に帰ってもすることがない。
さっきからウィンドウで仕切りに自分の姿を確認しているミクに向かって、提案する。
「まだ時間あるからさ、散歩でもしよっか。ちょっとこの街、案内してやるよ」




ーー無頼 その3ーー

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

無頼 その3

掌編小説。
『無頼 その4』に続きます。

閲覧数:165

投稿日:2016/09/15 21:12:06

文字数:5,080文字

カテゴリ:小説

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