空から雨粒が落ちてくる。とめどなく、したたかに。
一歩一歩走るたびに、地面の雨水が跳ねてピシャピシャと音を立てるが、それも雨の降る音にはかなわない。
心臓も肺も疲れ果てて、身体が悲鳴をあげている。
それに、雨で全身は頭から足の先まで余すところなくずぶ濡れ。
雨は強すぎて、前が見えない。
それでも、デルは駆けていた。
10分くらい走ると、ようやく病院に付く。
休憩する暇などあるわけもなく、デルは息を切らしながら病院の中へと入った。
受付の係の人達や、そこにいる人々は、最初デルの姿を見て驚いた事だろう。
けれど人目を気にしている余裕もない、今はそんなものどうでもいい。
「カイト先生は、今……どこに……?」
「い、今は2階の弱音ハクさんの病室ですが……」
デルはそれだけを聞くと、走り出していた。
受付から右手に行ったところにエレベーターがあるが、それをスルーすると、階段の方へと向かう。
エレベーターなんて、待っていられない。
それよりも階段を使った方が、よっぽど都合がよかった。
階段を駆け上り、ようやく病室の前まで来た。
力強く、病室の扉を開ける。
中には、カイトと、変わり果てたハクの姿があった。
デルが入ってきた事に気づくと、カイトは目を細める。
「デルさん……ついさっき治療が終わったところですが、もう、ハクさんは……」
それ以上先は言わなかった。というよりも言えなかったのだろう。
デルはハクに駆け寄った。
ハクは目を少し閉じている、まるで意識がここにないみたいな感じだ。
けれどそれでも、ちゃんとデルの声は聞こえていたようで、左手を微かに動かす。
「デル……なの?」
「ハク!?」
「あぁ、その声、確かにデルだ……。私、やっと天国に来れたのかな……」
「天国じゃねえ!まだハクは死んでねえ!死なせてたまるか!!」
すると、ハクは弱々しく笑う。
「昔と、全然……変わらないね。デルのその熱い性格……。そういうとこが、私は昔からずっと……」
ハクの発した言葉は、それが最後だった。
目が、完全に閉じた。
「おい、ハク?ハク!!」
たまらず、叫んでいた。
ハクの頬に触れてみると、まるで氷みたいに冷たい。人肌の温度とは、思えなかった。
今の今まで生きていたのが、奇跡みたいだった。
「ハク!ハク!!」
5分は呼びかけ続けていただろうか。
自分が出せる限りの声で、何度も何度も。
けれど、ハクは言葉を返さなかった。
「頼むよ……返事、してくれよ……なぁ」
そんなデルを見ていたたまれなくなってきたのか、カイトは言った。
「ご愁傷様です……」
今は何を言っても届かないだろうと思ったのか、カイトはそれだけを言い残し、礼をして病室の扉から出て行った。
途端に、その部屋には静寂が訪れる。
思わずため息をついた。
毎朝6時40分にアラーム設定された目覚まし時計。
それの秒針が一秒ごとに、カチカチと音を立てている。
その事が余計、周りの静けさを際立たせる。
ハクがいなくなってしまったという事は、もう変えようもない真実だった。
一人きりになってしまったその途端に、心が崩れ去ってしまいそうになる。
ネガティブな思考が脳を支配する。どうしても悲観的な考えが働いてしまう。
ハクと会話している時はよかった。
ハクがネガティブな発言とか思考になるたびに、強がってポジティブな発言をしていた。
それは一体誰に言い聞かせていたんだ?
ハクにか?自分にか?
もしかしたら自分もハクと同じく、根はネガティブに傾いている人間なのかもしれない。
だから、言い聞かせていたんだ。ハクと、それに自分を守るために……。
ふと窓の外を眺める。
その瞬間、目を見開いた。
言葉にならないくらいだった。そこから見えた景色は。
何しろ、さっきまであんなに降っていた豪雨が消えているのだから。
まるで、最初から降っていなかったかのようだ。
けれどデルの身体は今も濡れている。雨にさらされたのは、確かな事。
そうして、更におまけに、10年もずっと姿を現さなかったそれがしんしんと降りだしているのだから。
夢でも見ているかのような光景だった。
「どうして、どうして今頃なんだよ……」
雨の代わりに、しんしんと降る白い結晶。雪、だった。
思わず窓を開けると、その瞬間冷たい風が中に吹き込んでくる。
空を見ると、真っ白な雪が空から舞い降りてくるのが見える。
真っ白い雲の中に、まだ幼かった自分とハクが一緒に雪合戦をして笑いあっている……そんな光景をデルは一瞬だけ、垣間見た気がした。
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