白い猫は、この工場の一区画で所長という愛称で呼ばれる猫だった。真っ白の毛並みに金色の双眸を輝かせ背を伸ばして歩く姿は、猫ながら威厳と自信に満ち溢れている。
 一ヶ月の留守からか、歩く先々で猫は工場の職員たちの挨拶をうける。そのたびに、視線で彼は答えていた。名前を理解している猫は珍しくもないが、そのひとつひとつにちゃんと視線を返す猫は珍しいとしか言いようが無い。
「――さすが、ミクさんですねぇ」
「いやほんと、助かってますよ。風邪引いたときも――」
 イサムと研究員の男はなにやら楽しそうに話しこんでいて、その後ろをミクは邪魔にならないように歩いていた。
「作曲なんかもされてるんですか」
「一応趣味で、ですけど」
「そうなんですか。すごいですねぇ。私達の工場にも一人ミクさんがいらっしゃってるんですよ、歌は歌ってませんが」
「へぇ、でも工場でなにを?」
「通信関係の方でお仕事されてるみたいです。私も部署が違うので詳しくはわからないんですけどね」
 と、視界の端っこに緑色の影が通った。さっきいっていた、工場に勤めているミクだろうか。しかし、仕事をしてるとは凄いとミクは思う。自分はある意味無職だし特にそこに疑問は感じていないが、まさか働いているものがいるとは。
 ――給料とかどうなるんだろう? 声をかけたら気がついてくれるかな?
 けれど質問信号を飛ばしても返事はなかった。代わりにいくつかの無線中継ポイントと特定不能な反応が一つ。
「?」
 それは、ゆれる針のようなイメージ。確かな意図をもって発せられた返答。
 だが、ただの周波数の変調。言葉にはならない電波。けれどミクは確かにその中に意志があると思った。自分と同型の反応ではないのは確かだが、間違いなく同じ銅線を神経とするものだ。
 反射的に立体スキャンとエコー走査を開始、どのあたりから返答が帰ってきたのかを調べる。答えはすぐにかえってきた。すぐ目の前、右と左のセンサが同時に受信しているその電波は確かにそこからやってきていた。
「ミク? どしたんだよ」
「いえ、別に」
「あの前の建物がどうかしたの?」
 なんでイサムには自分の考えてることがわかってしまうのか、たまに不思議でしかたがない。視線で別になにもないと返事を返してミクは視線を落とした。そんなミクをみて研究員が薄く笑う。
「ずいぶんツンデレさんですね」
「そうですか? そうみえてます? でもツンしかないっつーか、むしろ嫌われてるっつーか。あんま言うこと聞かないし……」
「そうですか? 嫌いですか?」
 最後の質問はミク本人に投げかけられた。めがねの向こう側で不思議そうな顔が彼女を見つめている。
「別に嫌ってませんよ」
 それは嘘じゃない。
「クールですねぇ」
 くつくつと、嬉しそうに研究員がわらう。反論はしない。だが同意もしなかった。それが面白かったのか、研究員の目が弓なりに細められた。
「さて、目の前の建物が我らが所長の所有する工場です」
「周りより、大きいですね。なにをつくってるんです?」
 イサムがほうけたように建物を見ながらつぶやいた。
「多分、テレビとかで見たことあると思いますよ。テレビみられます? ネットでも一応ニュースになってはいますが」
「一応テレビはみてますけど」
 三人と一匹はそんな話をしながら、工場の扉をくぐった。
 先頭を歩いていた猫が自動ドアの前で立ち止まると一拍を置いて扉が開く。
「もしかして、あのバーコードの読めなかったところって」
「ええ、認証キーですココの」
 秘密ですよ、と研究員が振り向いて笑った。
 工場の中は迷路のようだった。通路は曲がり先が見えない、扉も規則的になんか並んでいなくて、まるで建築ミスでできた廊下の隙間にポツリと扉がついていたりする。ミクのGPSも電波が届かないのか、視界情報からしかこの建物の構造がつかめずすこしうろたえたような顔で廊下の天井をみあげていた。
 それは工場というよりは、データセンタのようなセキュリティだ。平衡感覚が狂うような微かな傾斜と、視覚的に差が無いようにつくられた意図的な曲線を描く廊下。曲がり角も直前まできがつかないし、その曲がり先もまたおなじ距離でカーブし見えなくなっているのでまるで差がつかめない。職員用にかかれた扉のマーカーもまた、意味のある並びではなく、まったく順序のばらばらなアルファベットがつけられている。最初がRでつぎがOだ、そのあとにみつけられたのはE。一人で置いていかれたら、間違いなく迷うこと請け合いである。
「すごい場所ですね」
「最近までちょっと機密情報の高いものをあつかっていたものですから。ようやく、解禁されたんですけど」
「迷路みたいですね」
 ミクの率直な感想に、研究員はそうですねと静かに頷く。
「最近の流行みたいですね。誰もよろこんじゃいませんが、仕方がありません。情報漏えいなんてものは、どれだけ機械や設備がよくなっても人間が使うかぎりそこからもれますから」
 いまだってそうですね、と笑いながら彼はつぶやく。
「いいんでしょうか?」
「ええ、僕らはもとからそこまで機密事項の高いものだとおもってませんし。上がかってに怯えてるだけですよ。技術は海の向こうから輸入してますし、設計も半分以上海の向こう側からやってきてます。そんなもんです、もとから買える程度の代物ですから、もれたところでそこまで損失にはなりません。さぁあとはこのエレベータをつかえばご対面ですよ」
 エレベータが開くと、導くように猫が先頭をあるく。研究員は本当にその猫が上司のように場所を譲り寄り添うような位置取りをして、客を迎え入れた。
 さすがにエレベーターの階は明記されており、ゆっくりとエレベータは地下へと向かいはじめた。

 エレベーターの扉が開くと、目の前には一つ鉄扉があった。その手前で猫は、座り込みこの場所だとばかりにこちらをみあげた。
 同時、電子ロックだろうか扉の中で錠が外れる音がする。
「さぁ、どうぞ。中の機械はあまり弄繰り回さないでくださいね」
 そういって、研究員が扉を開いた。
 中はテレビでみたことがあるレコーディングスタジオのような場所だった。機械がならび、眼前が大きな窓になっている。いくつかの椅子と、マイク。
 だが窓の向こうが違っていた。
「うお……」
 場所にしたら三階ほどだろうか。その全てをぶち抜いた巨大な空間が窓から見えている。
 そして、窓から見下ろす位置。格納庫の中央。そこに、見知った構造物が一つ鎮座していた。
「すげぇ」
 ミクもまたそれに記憶があった。朝テレビでみたCGの模型だ。
 だが、CGなんてまったく比較にならないほどの、存在感がそこにある。本体の大きさが分からなくなるほどの巨大なアンテナと飛び出たアーム。アームは対照ではなくて三本がそれぞれ勝手な方向に伸びているように見える。しかし注意してよく見ればすぐにそれが直角に交わる三軸にそって伸びていることがわかった。三本の長さがまちまちなのは、重心位置の兼ね合いだろうか。
 探査船の本体には、液晶画面のようなものがついていてその横にゴールデンレコードと同じデザインの大きな円盤が収められるケースがついていた。
「これって」
「はい、太陽系外探査船です」
 そして彼はメガネを引き上げながら続ける。
 目の前で見てみますか? と。

 ◇

 コレは三年間以上記憶を保持できないため、それ以前の情報はメモリ空間には残っていない。しかし一部特別な記録については保護がかけており、情報が今でも呼び出せるようになっている。むろん、メモリは有限であるので保護記憶の整理がいつしか必要になる可能性は存在する。
 その一部の記録情報によると、コレの認識番号はPED‐1332033でありPES‐1332032の後継機であるとされている。だがPES(略称)はすでに計画ごとその存在が抹消されたという記録がある。こちらの記憶は、一般記録になるのでいつか消去される記録である。コレの先代となるPESが現在存在しないという情報は重量度が高い、保持記録に関連する情報なので一時保護対象とする。
 コレの自由になるメモリ残存容量30テラバイト程となった。
 自己メンテナンスシステムがキックされる感覚を得る。メンテナンスシステムは外側からの介入はほぼ不可能であり、現在本稼動と同じ管理権限で起動している。これは、最終段階のテストである。
 メンテナンスシステムは、体をまさぐるようにまずメモリ空間の現状ログを取り始める。一時保護対象が増えた事実をログに記録し、さらに現在コレの周りを取り巻く温度がいつもよりすこし高いことを記録する。
 ――人間が室内に存在しています。
 いつもの人間だけではない。温度上昇からいって一人分多い。
 ログの取得に反応して、メンテナンスシステムはそれを低レベルの異常と判断。アクティブセンサのいくつかをサスペンドから起こし現状確認をするようにいってきた。
 コレは、メンテナンスシステムの言うとおりに最小に絞ったレーダーを起動させる。最小とはいえ、星間航行システムとして作られた空間把握用のレーダーである、人間にまったく害がないと断言はできない。最大で出力されたレーダーであれば、水の塊である人間は一瞬で沸騰するだろう。
 最小だから安全であるという確証はない。レーダーによる走査は危険だと判断し、管理システムの入室記録を確認することで異常を確認すると言って、メンテナンスシステムをだまくらかした。コレのもつ権限で、この部屋の入室記録だけは確認できるのだ。
 しかしその入室記録はさらに異常だった。人間三名を通したと赤外線トラップが伝え、重量センサのログも三人分の人間の足を検出してる。だが、その重量センサはこうも伝える。最後の一名の重量が二人分ほどあるというのだ。足の大きさからいえば、この重量はありえない。この結果より異常である可能性が高いとメンテナンスシステムは状態を低レベル異常からレベル1へと引き上げた。状況異常に対して現状認識を必要とする程度と位置づけされた異常レベルだ。
 これで人体への有害レベルが確定されていない最低出力のレーダーの危険度は異常レベル以下になった。レーダーが起動する。人を殺せるほどのものを、どれほど引き絞ったところで安全だなんてだれもいえないのに。
 そして、全方位に対してソレは行われた。まるで武器のようなレーダーの放射が。

 確かにそれは傷をつけた。

 実際は人ではなかったのだけれど。

 傷をつけた、それだけは確実だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

Re:The 9th 「9番目のうた」 その3

OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
次 → http://piapro.jp/content/0ff2mluvsy6fnz7q

その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45

閲覧数:287

投稿日:2008/12/24 14:42:26

文字数:4,364文字

カテゴリ:小説

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