2.島の双子 リントとレンカ
その女神像は、岬の先に、真っ青な海に向って腕を広げて立っていた。
大きさは、ちょうど大人の平均身長より少々高いくらいか。真っ白な大理石で出来た石像は、海から吹く潮風にもその肌を曇らせることなく、毅然として立っていた。
その女神像の足元に、今、一人の少年が座っている。歳のころは十四歳。女神のつま先、足元の台座にもたれかかるようにして草の上に胡坐をかき、女神と同じ海を向いて座っている。
その手には、なにやら白い塊が握られていた。しきりに手を動かし、手のひらより少し大きなその塊を削り、ふっふっと息を吹きつけてときおり飛ばす。
どうやら、石粉粘土の塊のようだ。手にしたやすりで削られた白い粉が、少年の息と海からの風に浚われて舞った。
少年はときおり女神像を振り返り、そして手元の作業に戻る。やがて満足したのか、少年はうんと手足を伸ばして立ち上がった。
女神と同じ海のほうを望み、そして岬のがけ下を覗き込んだ。波が打ち寄せる崖の下に向って、彼は思い切り叫んだ。
「レーンーカッ!」
真っ青な海は、その底まで綺麗に透き通っている。まるで上質のエメラルドを透かしたような、澄んだ色だ。
風が一瞬止んだその時、ばしゃりと水面に、金色の頭が上がってきた。
「呼―んーだッ?」
手を振ったのは、少女だった。後ろで一つにまとめた金色の髪が、ぬれた子犬の尻尾のようにたらんと垂れ下がっている。水面から顔を出したときに額に張り付いた前髪をはねのけると、海の雫がきらきらと散った。
彼女は立ち泳ぎしながら崖の上に向って声を張り上げる。眼にかけた木製の輪にガラスをはめた水中眼鏡が、光を受けてきらりと反射した。その手には、何か平たい石のかけらを握っていた。
「リーンートッ! 今日も大収穫だよ!」
「もう上がれっての!」
少年が崖の下に向って叫ぶと、はあいという返事と共に、水しぶきの音が返ってきた。少女の頭がエメラルドの水面に消え、白い素足が水面からひらひらと水中に潜っていく。
「最後のダメ押しかよ! あきらめの悪いヤツ!」
やがて満足したのか、少女が再び水面に顔を出した。彼女はすいすいと泳ぎ、崖の下へ向かう。固定ブイに引っ掛けてあった木の桶に、手にした石のかけらをそっと入れた。桶の中には、同じように石のカケラがたくさん入っていた。
レンカは桶を固定から外し、それを押しながら足だけの平泳ぎで岬のふもとにある砂浜に向っていった。
少年は、崖の上からその様子をじっと見ていたが、彼女がついに立ち上がり、桶を抱えて浜に上がったところでやっと眼を離し、女神の足元へと戻った。
「リント!」
レンカと呼ばれた少女が、道を歩いて岬へと上ってきた。その背のナップザックが重たそうに揺れている。
「毎日毎日、よくやるなあお前」
リントがあきれて肩をすくめると、レンカと呼ばれた少女はあんたこそ、と笑った。
「リントこそ。毎日毎日、よく飽きずに粘土を磨いてられるわね」
「そりゃあ、レンカさん。オレの女神が、『早く出してー』って言っているからさ」
リントがニヤッと笑って、ふところに仕舞いかけた粘土の塊を取り出した。
「どうだ! だいぶ美人になってきただろ?」
「うーん……」
レンカは眉根を寄せて粘土に顔を近づける。顔も体もまだまだすべてが荒削りで、完成とは程遠いことが見て取れる。
それでも、リントには、すでに美人に仕上がった女神像が見えているのだろうなとレンカは唸る。達人の職人が、掘る前からすでに、原石の中に像を見出しているように。
「あたしには、ちょっと、なぁー……わかんないや」
「ん! ま、これから岬の女神様を映して、もっと美人になるし、な!」
リントは手の中の粘土を見、改めて女神の石像を見上げて言い放った。そのまっすぐに女神を見上げる横顔に、レンカはふと視線を飛ばす。
無邪気にどうだと笑うリントの顔立ちは、女のレンカから見ても整っている。すべらかな白い頬、まっすぐでさらさらした金色の髪、快活な表情に、ふと見せる冷静な瞳。
「くそう」
レンカは口の中で唸る。リントは自分の双子の兄だというのに、どうしてこんなにも違うのか。レンカ自身は、十人並みの顔に、癖のある髪、そしてそばかすの少々浮いた頬だ。まるきり駄目とは思わないが、けっして美人ではないと思う。レンカが何気なく後ろを振り向くと、美しい女神像が柔らかな笑みをまとって立っている。自身の卑屈な思いが側の女神像に見透かされた気分になり、レンカはリントの手の中の像に向きなおり、少々口をとがらせてみる。
「何? オレの女神像が美人で嫉妬しちゃった?」
「バカリント。あたしに嫉妬している暇なんてありませんー!」
レンカは背中のナップザックをそっと地面に下ろした。口を開き、中のものをひとつ取り出す。それはレンカにとって戦利品というべき、海から拾い上げた大事なものだ。
「ん……」
レンカが取り出したのは、先ほど拾い上げてきた平たい石だった。よく見ると小さな傷がある。それは自然に出来たものではなく、明らかに人間が彫ったものだ。彼女はそれを、まるで海に読み取らせるように掲げる。
「古代にこのあたりの海域で使われていた文字だということは調べがついているのよね」
ナップザックに手をふれると、今日海から拾い上げた欠片がじゃらりとなった。
「全部集めたら、ここに女神の像が建っている理由が解るかしら」
「それこそ『よくやるよ』だよ、レンカさん。岬の下に古代文字の書かれた欠片がたくさんあるからって、この女神に関係あるなんて解るもんか」
「でも、『関係ない』ってことも証明されていないでしょ? 不思議だと思わない、リント。この島に伝わる伝説と、この像の存在との、微妙なズレ」
レンカが前髪をかきあげる。額の上に寄せ上げた木製の水中眼鏡をはずして、肩にぶら下げた。髪を結わいていた紐も外し、自由になった髪を手櫛でざっと梳き上げる。そして再び無造作に一つにまとめた。
その様子を見て、リントがやれやれと肩をすくめる。
「ま、オレもお前も、命無き女神に魅せられた、あわれな変態ってことだ」
「な、なんですって! あんたは変態かもしれないけど、あたしのはれっきとした学術調査よ! この島の文化の、探究活動よ!」
「じゃあオレのほうも芸術って言って欲しいね!」
風の吹き抜ける岬の上、女神像の足元で、少年と少女の声が今日もにぎやかにはじけていた。
* *
さて、レンカとリントの住むここは、大陸に挟まれた内海に無数に浮かぶ島のひとつだ。
内海といっても、東西に楕円型に広がるこの海を横断するにも縦断するにもエンジンつきの舟で三日以上かかるため、島の多さに対するせせこましさは微塵も感じさせない。
この海域は、夏は強烈に乾燥し、冬は雨が多い。しかし、太陽も風も明るく心地よいので、どの島においても、住む人々の心は大体において大らかだった。島の大きさは、五百人から五千人の人々が食うに困らない作物を作れる程度だ。
どの島も刺激的なほど青い海に、白い大地が緑の森を戴いている。島の特産を聞かれたら、全員が「景色だよ!」と答えるほどに、産業の少ない島だ。古くから、その気候が培う薬草や油の実など特殊な作物と、住んでいる人々が食べるだけの農業や漁業でゆったりと過ごしていた。
そして、このリントとレンカの暮らす大らかな島々には、ひとつの言い伝えがあった。
それが、岬の女神像にまつわる伝説である。
むかし、この島には王が居た。しかし、彼は女性に対してさまざまな失望を経験した挙句、ついに理想の女性として一つの像を完成させる。彼は自ら作り上げたその石像を『女神』と呼んだ。
大理石を丹念に彫り上げた結果、まるで内側から生命を感じるような、生きているような女性像が完成した。しかし、それは単なる石像に過ぎない。やがて王はその石像から片時もはなれなくなり、ついに致死的な恋の病に取り付かれて衰弱していく。
王をあわれに思ったこの海域の神のひとりが、その石像に命を与え、王は人間となった理想の女性と穏やかに暮らすというものだ。
ここまでは、レンカとリントの住む島だけではない、他の島にも伝わる話である。
問題はここからだ。石像に命が宿ったならば、どうして岬の端に、海を向いた形で今も『女神像』が建っているのか。
レンカは、こう考えている。
王は、人間となった石像の女神と暮らし始めた。しかし、人間である以上、二人の間にいさかいは起こり、女神はだんだんと歳を取る。
理想の女性として作り上げた女神が、命を持って理想から遠ざかり始めたことを、王はだんだんと不満に思うようになっていったのだ。
そして、ある日、決定的な一言を言ってしまう。
「おまえなど、石像に戻ってしまえ」
女神は王と暮らした家を飛び出し、岬に向かった。
「どんなにいさかいを起こしても、一度人の愛を知ってしまった以上、石像に戻り、外の世界に憧れ続けるのは嫌です。
石に戻るくらいなら、私は命ある者として死にます」
王が慌てて追いかけたとき、女神はすでに岬へたどり着き、両腕を広げてまさに海へ飛び込もうとしていた。
腕を広げ、崖の下に飛び立とうとした瞬間、王が声をかけたのである。
「待ってくれ!」
その声が聞こえたのか、まさに飛ぶ瞬間、女神は微笑んだ。しかし、王の発した「石像に戻ってしまえ」という言葉が呪いとなり、彼女はそのままの姿で石になってしまったということだ。
* *
「相変わらず妄想力豊かだよな。レンカの変態!」
ニヤリと言い放ったリントの背を、レンカの手がばしりと叩く。
「なによ! だって、気にならない? 人間になって幸せに暮らしたはずの女神が、結局石像として今の時代に残っているのよ?」
「おおかた、伝説を聞いた誰かが作っちまったんだろ? そもそも、女神と王の伝説だって、この海のどこの島の王の話なのかわからないって話じゃんか。もしくは、王様はそのまま死んじまって、像だけがここに運ばれた、とかな!」
リントがけらけらと笑い、レンカはさらに口をとがらせる。
「……芸術とか言っているくせに、夢の無い」
「夢ぇ?」
リントが、荷物を仕舞って背負い込み、帰り道を向きかけたレンカの正面にくるりと回った。
「そんな昔の事実なんてどうでもいい。オレが大事にしているのは、今ココに、美しい女神様がいるってことだ! 過去の妄想よりも今の創造だよ、レンカくん!」
「妄想って言うのはやめて! せめて想像といって頂戴! バカ!」
帰り道を足早に辿り始めたレンカを、まあ待てとリントが止める。
「なによ! まだバカにする気なら……」
「違う。……見ろよ」
レンカが振り返ると、ちょうど夕日が水平線に沈んでいくところだった。
その日最後の真っ赤な光が、女神の像の横顔を照らす。大理石で作られた像は、その赤い光を吸収し、内側からほんのりと赤みがさしたように見えた。
「……」
リントは、その様子をじっと見つめている。レンカも、まるで生命を得たような女神の表情に魅入った。
「……昔のことは、もう、誰にもわからない。でも、もし、あたしの想像が正しかったら、王様は、悲しんだと思うのよね」
レンカが、ふと言葉を発する。
「……一度思いついてしまったら、確かめずにはいられないの。そんな悲しいことなんかぜんぜん無くて、リントが言うように、誰かが伝説の女神に憧れて、楽しみながらあの像を作って、わくわくしながら海に向けて置いた。
……そうだということを、ちゃんと確かめたいの」
リントの瞳が、うつむくレンカの頭を眺め、そしてやおらに彼は妹の頭にぽんと手を置いた。
「レンカは、優しいから」
リントの手が、妹の髪を撫でる。海水に焼けた髪は、すべらかなリントの髪とは違う、きしきしとした感触を彼の手に残した。
「ほら。博物館に持っていくんだろ。早くしないと、ヒゲさんが飲み始めてしまうぞ」
この島のただひとつの博物館の管理人兼学芸員は、気のいい大柄な男だ。その見た目のままにヒゲさんと呼ばれ、島の住人にも慕われている。
女神の伝説を調べたいと言うレンカのよき相談相手でもあり、海から拾い上げた物の保管場所も貸してくれている。
「さ、行こう」
リントに促され、レンカが歩き始める。リントはやさしくその背を守るように、岬の女神を後にする。
レンカが、一度だけ女神像を振り返った。
夕焼けの熱が引き、像の表情は再び冷たい石の檻に沈みつつあった。
……つづく!
小説『滄海のPygmalion』 2.島の双子 リントとレンカ
リトレカ、はじめました。
発想元・U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
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BPM=172
作詞作編曲:まふまふ
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右も左も差し出していく
穴ボコ開いた ジグソ...ジグソーパズル
まふまふ
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