嶺SIDE
「いらっしゃませ!」
「いらっしゃいませ。」
「声小さいぞ嶺!」
店長の高谷さんから叱咤を飛ばされる。
バイトなんて、やったことのない人は楽そうで、早く働きたいなんて思うかもしれない。でも、現実はそんな妄想を容易く、粉々に粉砕する。バイトなんてただ苦しくて、人間関係に疲れて、生きるために働くのか働くために生きるのかわからないようなものだ。
一つのミスがとんでもないことに繋がってしまったり、寧ろバイトとして雇ってくれるところが少なかったり。後者で考えれば幾分か僕は恵まれているのだろか。
それでも苦しいことに大した差はない。
今現在、それを味わっている。
「ご注文ご確認させていただきますね。ビール4つ、竜田揚げ1つ、枝豆1つですね。しばらくお待ち下さい。」
最初は欲しい物があったから始めたバイトだった。物欲。とてもシンプルな理由。それが、始めてもう一年が経とうかとしている。店長もその点では感心していた。
「おまえ達の世代だとさ、六ヶ月も続けば立派なもんなんだけど、ここまで続くってのは立派なことだよ。胸張っていいぞ。」
「業務態度は?」
「Cランク」
「はははは。」
「悪いな~。チェーン店とかなら、正社員!ってのもあるかもしれんが、俺はそのところはよくわからないし、何より個人経営だからな。」
「よくわからないのに、よく続いてま――」
その台詞を言う前に、大きな瞳で貫かれた。怖い。笑っているけどそれが怖い。
店長に冗談くらいなら言える程度のコミュニケーション力もついていた。これも、きっとバイト続けている間に身についた。
でも、バイトが長続きしているのは・・・・・・・・。その理由は、別にある。
「嶺君!五番テーブルの注文受けてきて!私二番テーブルのところへたこわさ持っていくから!」
「はい!」
ここまで長続きしているのは、彼女の存在が・・・笹川倉子の存在が大きかった。
一目惚れは、統計学で見れば、長続きなんてしない方が多いらしい。でも、なら僕はどうしてここまで、執拗と言えるほどに好きなのかがわからなかった。
いつか、いつか好きだと言いたい。好きだと言いたくても、それを引っ込めてしまって、一日が過ぎる。それの繰り返し。
惚けていればバイトでミスをしてしまうのは痛いほど経験していたから、僕はすぐに現実へと戻った。
五番テーブルへと向かう。
「失礼します。ご注文を――」
「ハロー。」
「・・・・・・・・裏腹。」
目の前にいたのは、裏腹野々だった。
「やっふい。ちょっと仕事休んで来ちゃったよ。」
「いいの?仕事休んで。」
「仕事も何も、路上で細々と寒さに凍えながら温もりを求めてやってくる人を救う占い師だからねぇ。」
「今は夏だ。」
ふざけた口調をするけど、決して悪いヤツではない。それは、こいつと知り合ってからの三年間でよくわかっていた。学生時代に知り合って、初対面の時から仲が良かった。話しをすれば盛り上がったし、よく一緒に遊んだ。
時々人の考えていたことをズバリと言い当てる勘の良さもある。
「ご注文をお受けします。」
「アスパラベーコン1つと、若鶏の唐揚げ1つ。以上。」
そこで、裏腹はふと何かを考えるような仕草をして、
「ひょっとして春の季節?」
「なっ。」
脈絡もない話しをふっかけて、人を煙に巻くようなヤツなのは知っていた。知っていたけど、それにしても心を読まれたような気分になった。
何とか誤魔化したくなり、言葉を吐き出す。
「いきなり何意味不明なことを言い出すんだよ。」
「いや、だってこっちに来る途中で立ち止まってさ、彼女見つめてたから。」
自分に平手打ちを喰らわせたくなった。そして、裏腹の言葉は続く。
「ここ、女性の店員さんは一人だけみたいだし、まあ自然な流れじゃないかな。でもいつまでも一歩踏み出せないままだと、彼女誰かに取られちゃうかもよ?」
「五月蠅い。」
捨て台詞を吐いて、僕は厨房へと戻った。
その後も、店内は通勤ラッシュのように客が入れ替わり、戦場の兵士のように僕は働いた。めぐるめく時間は過ぎ、時計の針は見る度に瞬間移動でもしたかのように時刻が進んでいる。
12時になって、ようやく閉店時間になり、最後の客の会計を終えて今日のバイトも終わった。
どっと疲れが噴き上げるけど、時給制の一日ごとに手渡しだから、これからバイト代が貰えるとなるとその疲れも嫌じゃない。
先に笹川倉子からバイト代が渡される。次に僕。
「いやあおまえらホント助かってるぞ。ありがとな。」
個人経営だからあまり給料が出ないにしても、時給850円は中々だと思う。客のクレームを受けながら、洗剤に手を染めながら、掃除を気怠く思いながらも働いて得た。正真正銘僕自身のお金だ。嬉しくないなんて言えるはずもない。嬉しいのだから。
私服に着替え、笹川倉子を待つ。理由なんて、もういらない。
「あれ?また待っててくれたんだ!ごめんね、帰り道一緒ってだけで。」
「あ、・・・・・夜は心細いし。」
「それ私が言う台詞!」
帰り道が、僕と笹川倉子は一緒だった。正確には途中までだけど、それでもその時間が幸せに思えて仕方ない。チープだと叩かれようとも。
そうして見れば、物理的に好きな人と会う機会が少ない人からすれば、僕は恵まれた方なんだろうか。
帽子をかぶっている僕たちの影が、後ろに延びて地面を這う。距離が、近い。でも遠い。もどかしくてたまらない。手を握りたいなら、こんなにも近いんだからすぐに握ればいいのに。告白したいなら、今は夜道に二人しかいないのだから、すればいい。本人にしか届かないのだから。
・・・全部、できない。
言ってみろよ。無理だ。言ってみろよ。無理だ。
囁きに近い、それ以下かもしれない僕の声なんてとどくはずもない。
裏腹の顔が頭に浮かんで、頭を振って脳内から追い出す。ずっと一年近く、この帰り道の繰り返し。言い出せばいいのに、夜の暗さは、居心地の悪さはそれを許さない。
「わかってるんだよ、臆病だってことは。でもそんないきなり話しかけられないし、こんなに長い時間いるのに共通の話題すらないんだからどうしろっていうんだよ。
臆病なんて自分が一番わかってるんだ。でもだからってどうにもできないよ。無理なんだよ。無理。無理。無理。そんな度胸なんてないし、好きなことを伝えるなんてもっての他なんだ。
そりゃ名前で呼んでもみたいよ。でも笹川さんなんて呼び方は余所余所しいし、かといって下の名前で呼んだら嫌われるかもなんて考えちゃうから、どうにもできないんだよ。
弱虫と蔑まれたって、草食系と嘲笑われたってしょうがないじゃないか!人と触れ合うことがどれだけ難しいことか。ちょっとの勘違いで崩れることもあるし、あらぬ方向へと進んでしまうこともあるんだから。
どうしろっていうんだよ。難しくてややこしいんだよ。でもしょうがないじゃないか!ああそうだよしょうがないよ。好きになったらしょうがないじゃないか。怯えながらでも自分で進むしかないよ。でも進む時間だって、酷くのろまで、だから、だから。」
「嶺くん・・・・・・・・?」
「え・・・・?」
「さっきから、あの、何言ってるの?それに、ぇと・・・す、好きって?」
嫌な暑さだった。陽炎でも漂っていそうな、そんな暑さが肌をしっとりと撫で回し。
寒気がした。
そう。寒気。
そう、寒気。
夏だというのに、心を冷たく冷たく凍らせてしまいそうな、寒気。
「あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
裏腹が言っていた通りに、皮肉のような寒さ。寒い、寒い、寒い。あいつの憎たらしい顔まで浮かんできて、口の中が一気に干からびる。
言葉は、届いた。僕の全く想像をしていなかった形で。
「ねぇ、嶺・・・くん。」
言葉が埋める。
「ねぇ・・・・・・・・・。」
言葉が埋める。
何を埋める?
僕の空っぽの頭を。
何を埋める?
・・・・・・・・・・・・僕自身を。
圧倒的な、形容しがたい感覚を携えながら。
あぁ、ほら、ぷつりと、あるいはTVの切れる、擦れた電子音のような音で。
意識は途切れた。
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