●夢の現実へ ~第2話~
さて、それじゃあ人生を少し振り返ってみようか。
昨日、俺はいつも通りヤ●ハ音楽研究所にて仕事をもらい、結果としては万事成功を収めてきた。
帰り際に引き続きの仕事として栗原所長から仕事を依頼され、俺はいつも通りに承諾。
仕事内容としては、いつも行っているうちの1つ。《機器の調整》だ。
機器といっても、基本は楽器。ただそれが機械化された――言うなれば電子楽器のことをさす――楽器だ。
俺はこれでもそっちの道にも多少なりとも強く精通しているため、仕事の割合としては昨日の演奏タイプよりもこっちの方が多いうえに好みだったりする。
んで、調節する対象を聴こうとすると、ケイが「俺が持ってくからそれまで秘密」ってことで保留。
あいつの性格上いつものことなので俺も納得し、就寝――までが昨日の事。
そして朝起きて目にした結果は――
「…………」
「え、えーっと……」
――エメラルド色の長い髪を左右に結わえ、髪と同じエメラルドの瞳。今更ながら気づいたが、間違いなくヤ●ハのシンセサイザー・DXシリーズをモチーフにした衣装を身に纏っている。
連想されるのは既に1つしかない。
これはヤ●ハのキャラクター・ボーカル・シリーズにて多大なヒットを飛ばしたあの『VOCALOID2』。
現実にいるはずのない、二次元の歌姫――初音ミク。
彼女が現実として俺の目の前に現れた。
♪ ♪ ♪
――凡そ10分前に遡る。
「わ、私がお届け物なんです!」
と少女が宣言して、とりあえず立ち話もなんだからと部屋にあげてリビングで対面。
「えーっと、ケイからの性質の悪い冗談ではなく、今回の仕事は君、なんだね?」
「は、はい! えと、初めまして鈴森創詩(すずもりつくし)さん。本日から住み込みで調節していただきます、ミ――私は初音ミクと申します。ふ、ふつつかものですが、宜しくお願いします」
言ってゆっくりとお辞儀をするお届け物少女もとい初音ミク。
後半は嫁入りに来た娘な台詞だが、あまりの事態に脳がついてこれず、ひとまず待っててもらうことに。
席を外し、俺が電話機を手にするまでわずか数分。
コールセンターの受付嬢から繋いでもらうことわずか20秒。
「はい、こちら貴方のフィアンセ、ケイ=J=立花です」
「くだらん問答はいいから現状の説明を詳しく頼もうか」
ケイの軽い声が聞こえた刹那、俺は思ったことを迷わずに口にした。
「お? どうやらサプライズが届いたみたいだな!」
「サプライズどころじゃねぇよっ!」
「はっはっはっはっは! そやろそやろ。そして可愛いやろぉ? ミクちゃんは~。あんな娘に『私がお届け物です』なんて言われた日には幸せ一杯やろー?」
やはりあの演出はこいつの仕業か……
予想通り過ぎることに思わず言葉も出ないでいると、俺がケイの演出に不服だったと思ったのか、
「何だ? 『私をお嫁にしてください!』のが良かったか? それとも少し乱れて『私を調教してくださいませ。ご主人様♪』のが――」
「んなくだらんことはどうでもいい!」
「くだらなくねぇだろがぁああああ! 男の浪漫ぞ!」
わかってやらないこともないが今はそれどころじゃないので無視!
「いいから現状を説明しろ」
「命令口調かい。まぁええわ。じゃあ耳の穴かっぽじってよぉきいときや」
それから聞かされた事実は、目の前に現れたサプライズ以上のものだった。
ヤ●ハが仮想世界のアイドルとして君臨したキャラクター・初音ミクを現実世界に体現するために始まったプロジェクトであること。
それは今の最新鋭技術――それも軍事で使うようなレベル――を駆使して実現させ、最終的には現実世界でのVOCALOIDとして音楽業界を震撼させようと言う目論見があること。
予算は無限であるはずもなく、この段階まで来るのに相当の額を注ぎ込んでおり、またプロジェクトが頓挫しようものなら会社自体が倒産すること。
そして、そんな重大なプロジェクトの中でも最も重要な《歌》の部分を、俺みたいな潜りに任せることになったこと。
何もかもが受け入れがたいものだった。
「なーに、今までやってもろうとった機器調節となんらかわらへんがな! ただ付け加えるなら、俺様の将来も、会社の将来もお前の肩にかかっとるいうわけさぁ♪」
「……なんでそうお前は気楽でいられるんだ?」
説明中は真剣だったケイの声も、結果として頓挫することは歯牙にもかけないように気軽い。自分の将来が掛かっていると言うのに……
「別にお気楽きめてるわけじゃないさ。ただ、失敗は許されないなら成功するしかない。ならいつも通りでいつも通り成功させればいいだけ。違うか?」
言っていることは間違いじゃないが――
「何故、俺なんだ?」
そう。腑に落ちないのはそこだ。
普通なら俺なんて潜りに頼らず、最高にして精鋭を揃えて臨むはず。
「それはな――単純にお前が選ばれたから、だ」
「選ばれ、た?」
誰に? 訊こうと口を開くも、ケイは有無を言わさず――
「そんなん本人に訊けや」
「おい! ちょっとま――」
通話が途切れた。ケイが受話器を置いて――通信を切ったのだ。
急いでかけなおすも「お客様の電話からのコールは受付拒否されております」と断られるだけだった。
思わず眉間を押さえて唸る。
頭では「今までとかわらへんがな」と言うケイの言葉があり、確かに頷く自分もいるわけだが……
「ちょっとスケール大きすぎだろ」
社員でもないフリーランスに頼む事かこれ?
「はぁ……」
まぁ悩んだところで進展があるわけではなし。ヤ●ハの上層部が決定したことだろうから、ケイに文句を言ったところで一文の得にもなりはしまい。
視線を向ければソファに行儀良く――ちょこんと言う表現が似合うように――座っている初音ミクの姿。
そわそわと辺りを見回してる辺りが小動物を想像させる。
「はは……」
思わず苦笑が漏れる。何せ、あれに天下のヤ●ハ様が社運をかけているのだから。それも調節するのはフリーランスの潜りときたもんだ。
世の中案外サプライズで満ち溢れているらしい。
何にしろこれ以上彼女を待たせるのも悪いので、「お待たせ」と声をかけて対面に座り、ケイの言うとおり話を聞くことにする。
「あの、もしかして――」
「うん。ヤ●ハ研究所にちょっとね。だから事情は飲み込めた」
「じゃ、じゃあ――」
「その前に質問いいかな?」
一瞬浮かべた笑みを大急ぎで直し、緊張の面持ち俺の言葉をミクは待つ。俺もうんと頷き、
「何故俺が選ばれたのか、君は知ってる?」
「はぇ? ケイさんは何も仰ってなかったのですか?」
「あぁ。詳しくは君に聞きなさいってさ」
「そ、そうですか……」
「え、えと……それはですね」と視線をあわせずらそうにミクがもじもじし始め、
「私がお願いしたんです。創詩さんがいいって」
「え? 君が?」
「は、はい……ごめんなさい」
まさかの答えに思わず声をあげてしまう。
「いや、怒ってるわけじゃないから謝る必要はないけど――」
いや、逆に納得かもしれない。なにせ、俺自身でも疑うような大役だ。出来るならばと会社の上層部は最高の機密性と環境を揃えていたに違いない。だが当の本人が他を望んでしまったのだ。機械にあるのかはしれないが――いや、どこをどうみても人間の少女にしかみえないのだからあるのだろう――モチベーションを上げる意味では当人の希望をかなえるのがもっとも効率はいいだろう。
しかし、何故に――
「――何故に俺なんだ?」
最初の質問とは少しニュアンスの違う疑問。
何故、ミクが俺を選ぶにいたったのか?
「そ、それは……その……あの……」
また顔を俯かせてもじもじとするミク。気のせいか頬も赤く染まっている気がする。と言うか、どう見ても普通の女の子にしか見えん。恐るべしヤ●ハ技術! 音楽と関係ないけどなっ!
って考えが横道に逸れそうなのを軌道修正し、「どうして?」ともう一度促す。
「あの、創詩さんは何度も研究所で演奏をなさってますよね?」
「ん? あぁ。何度か」
「その時に何度か演奏を聴かせていただいて……その……素敵だなって」
「と言う事は、君は結構前から研究所で――」
「はい。一年ほど……」
なるほど。それで俺の演奏を耳にした事があるのか。
「でも俺以上に腕のある人たちはいっぱいいるのに、何で俺みたいな潜りに――」
「そんなことはないですっ!」
真剣な瞳でまっすぐにこちらを見るミクが否定の声を上げた。
「創詩さんの演奏が他の方に劣ってるなんてありえないですっ! 何度も何度も聴きたい、ずっと聴いていたいってミクは思いましたもん! 生まれて初めて胸をぎゅ~ってされた音だったんですっ! 将来伴奏してもらうなら――ミクはこの演奏といっしょに歌いたい! そう調教してほしいって思ったんですっ! そのためならいっぱいいっぱいミクはがんばりますから! だから――」
そこまで言って自分が声を荒げている事と、身を乗り出してまで俺に近づいている事を悟り、
「はやややゃやっ!?」
強いては慌てふためき、急いで居住まいを直すと、
「――だから無理を言ってお願いしたんです……ごめんなさい」
真っ赤な顔で俯いて、尻蕾に思いを口にした。
「いや、謝る事はないから。凄く光栄だよ。ありがとう」
ミクほどじゃないが、ここまでまっすぐに褒められると俺も歯がゆいものがあり、思わず頬をかいてしまう。しかも結構な――《調教》とか爆弾発言が飛び出してたし……
「ぷっ……あはははははははっ!」
そして気づいた時には笑いが噴き出していた。
「はぇ? ふえ?」
俺の笑い声に目を白黒させるミク。
悪いな、と思いながらも俺は笑いを止められなかった。いや、笑うことでしか誤魔化せなかった。
前にも似たようなやつがいたことを思い出している自分を見せるわけにはいかないから。
「はー、はー、はーげほおほっ」
「あ、あの……大丈夫ですか?」
しまいには咳き込んで心配される始末だが、大丈夫だとミクを手で制して俺も居住まいを正す。
つられるように居住まいを正すミクを正面に見据えて。
「経緯はどうあれ、俺はこの仕事を先日の段階で承諾している。今更撤回する気もないよ。だから、よろしくお願いします」
頭を下げた。少し重荷過ぎる仕事に弱腰になった事の侘びを含めて。音楽家として、共に努力する仲間だと誠意を込めて。
「は、はいっ! こちらこそよろしくお願いしますっ!」
同様にミクも頭を下げ、お互い顔を上げた時には、彼女は頬を少し赤めた、極上の笑顔を浮かべていた。
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