3月8日。PM0:00分
仕事の休憩時間。事を一段落させたデルは大きなあくびをして椅子にもたれかかった。
机の上に、ノートパソコンが置いてあり、その周りには煙草やらライターやら、ボールペンやらメモ帳やらいつかの会議の資料やらが散らかっている。
整理をしようとは思っているのだが、仕事が忙しくて、片付けにはなかなか手をつけられないのだった。
せめて少しだけでも捨てられないかと、デルは様々な物が散らかる机に手を伸ばす。
そうして、一つ引っ張り上げたのは新聞紙だった。
うっわ、いつの新聞だ、これ?
日を確認すると、それは意外にも今日の新聞だった。
特に気になるニュースもなく、ふと天気予報の欄に目がいく。
この辺りは、今日はほとんど曇りか雨のようだ。
確認をしようと窓から外を眺めてみるが、空には雲がかなり立ち込めている。
日光が完全に遮断されてしまっているせいで、外は朝から薄暗いし、まるで心までもが雲に満たされてしまいそうだった。
まだ雨は降っていないようだが、少しすればこの辺りも雨が降るだろう。
とても、どんよりとした天気だった。
「な~にたそがれてるんです?」
そう言って、声をかけてきたのは同僚の巡音ルカだった。
両手に、紙コップを二つ持っていていて、両方とも白い湯気が立ち上っていた。
「いや、別にたそがれてるわけじゃ」
「またまたぁ~。そんな物憂げな目で外を眺めて、やっぱり仕事中もハクさんの事が気になるんですよね?」
ルカはニコニコと笑いながら紙コップをデルの机に起き、もう一つを隣の自分の机に置く。
「別にそんな事はねえよ。たださ、この所色々と不安定みたいだから――」
「やっぱり気になるんじゃないですかぁ。まぁ、デルさんとハクさんは互いに親友同士ですからねー」
そう言って、ルカは笑った。
巡音ルカは中学時代からの、友達……というか知り合いみたいなものだ。
昔からルカには色々と助けられることもあったりするのだが、からかわれる事が大多数な気がする。
現に今もからかわれているし。
「ハクさんとは、今どこまで行ってるんです?」
「うっさい、話しかけんな。俺は今仕事で忙しいんだよ」
本当は午前の仕事はもう終わっているのだが。
適当に、机の一番左端に置いてある書類に手を伸ばす。
「ハクさんとは今、どこまで行ってるんです?」
「……」
適当に書類を読んでいるふりをしながら、ルカを無視する。
正直、こんな奴の話に付き合うより仕事と付き合っていた方がまだ精神的に楽ってものだ。
「もしかして、もう付き合っちゃったりしてるんですか?」
「……」
だから付き合ってねぇって。
ついムキになって否定したくなるのをぐっと堪える。
それは昨日カイトにも言われた事だった。
どうしてこうも、俺とハクの関係は誤解されやすいんだろう。
異性の幼馴染同士というのは、カップルと間違われやすいのだろうか。
「幼馴染=常に一緒にいる」みたいな、そんなイメージがあるからか?
どちらにしろ、俺とハクが付き合っているだなんて、もとより存在しない話だ。
「まさかもうキスまで…?それとももうホテルに連れ込んで――」
「だぁーっっ!!黙れルカ!!お前それ以上言うとな――……」
「それ以上言うと?」
「ボコボコに殴る」
「えー、デルさん暴力反対ー。しかも女の子に手ぇ振るうなんてサイテー」
どっちがサイテーだよ、どっちが。
少しの間をおいて、ルカはくすくすと笑う。
明らかに、こいつは俺をからかって楽しんでいる。
けれど何故か、ルカは憎むに憎めない奴なんだ。
からかわれるのは確かにイラっとするのだけど、その後ルカが笑っているのを見ると、何でだか許してもいいような気がしてしまう。
ルカの笑みは、ハクの笑みにどこか似ている感じがしたから。
愛想笑いでも苦笑いでもなく、本当に心から楽しんでいるような、それでいて静かな笑い方。
「で、結局ハクさんとは何処まで行ってるんです?」
「いや、付き合ってねえから」
「え?じゃあ、キスもないんですか?」
「あぁ」
「手をつないだ事も?」
「あぁ」
そう言うと、ルカは心底がっかりしたように肩を落とす。
「なーんか拍子抜けだなぁ……。それに勿体ないですって、そういうの。少し手を伸ばすだけで彼女を作れるのに、それをしないなんて」
「そう言われても、別に彼女が欲しいわけじゃないし」
ルカはつまらなそうに、紙コップのホットコーヒーを手にとってゆっくりとあおる。
そして、苦そうに顔をしかめた。
「……シュガー、足りなかったかな」
そんな独り言をつぶやき、ルカは自分のカバンを取ると、そこから小さい小瓶を取り出す。
いつもルカが持ち歩いているもので、その中には角砂糖が入っているのだ。
コーヒーの苦みを砂糖で十分に消さないと飲めないルカにとっては、それは必需品みたいなものだった。
デルもコーヒーを飲もうと、机に置かれた紙コップに手を伸ばした時。
『プルルルルル――……』
「あら、電話。珍しいですね、こんな時間にかかってくるなんて」
「だな……。ったく、勘弁してくれよ」
気だるそうにデルは電話の受話器を取る。
「はい、こちら咲音商事ですが……」
「すみません、始音病院の者ですけども、本音デルさんは今いらっしゃいますか?」
「私ですけど……もしかして、カイト先生?」
「あ、デルさんですか!?大変です…、ハクさんがまた、倒れました……!」
「え!?」
「大至急こちらに来ていただけますか?詳しい事はそちらで!」
カイトはそれだけを簡潔に言うと、プツンと電話を切った。
その後、ツー…ツー…という、無機質な音だけが耳に伝わってくる。
事態を飲み込んで行くにつれ、徐々にデルの顔は蒼くなっていった。
だが、このままただすくんでいるわけにもいられない。
「ルカ、ちょっと俺、病院行ってくる!部長にはお前から適当に言っておいてくれ!」
「えっ?ちょ、デルさん?」
状況が飲み込めないルカをよそ目に、デルはコートを羽織ると、全速力でハクの病院へと駆け出した。
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