混乱の渦に飲まれた会場に僅かばかり後ろ髪を引かれる思いをしながら、レンファンドは屋敷から駆け出すと待たせていた馬車にヒラリと飛び乗った。
 彼の遣い魔が扮した御者が馬にピシリと鞭を打つと、嘶きと共に一定のリズムの振動が馬車全体に伝わる。
 馬車に据え付けられた柔らかなソファーに身を沈めると、レンファンドは満足そうに微笑んだ。
 「布石はこれで十分さ。」
 あの少年の心の闇は深い。
 彼の中に閉じ込められた狂気は時が来れば自ずと爆発する筈だ。
 その時に彼は思い出すだろう、夜会で出会った不思議な青年の事を。
 思い出させるには十分な騒ぎを起こせた筈だ。
 今頃屋敷は大騒ぎ、舞踏会は台無し。この原因をあっさり忘れるなど有り得ない。
 あの繊細な少年は事ある毎に今日という日を思い出し、悩むだろう。
 そしてその度レンファンドの存在が彼の闇に入り込む。
 そうなれば計画はほぼ成功したような物だ。

 「ああ楽しみだなぁ…やつの魂は美味そうだ。」
 馬車の天井を見上げながらレンファンドは待ち遠しそうにほうと息をつく。
 だがその瞳は鋭く天井を射抜いていた。
 「しかし…まったく、人と言うものは面白いね。」
 鼻の高さ、瞳の大きさ、唇の形。「我々」から見れば大差無い違いに翻弄されて自ら心を閉ざすとは……

 「あの少年に私の本当の姿を見せてやったらどうなるかな?」
 楽しそうな口振りとは裏腹に歪んだ弧を描きながらレンファンドは呟く。
 彼の呟きを聞いているのは下等の遣い魔共の影のみだった。


 そして、それから丁度三年後の夜―
 ヴェノマニア公の屋敷から火の手が上がった。
 異変に気付いた一人息子の手により炎はすぐさま消し止められたが、公爵夫婦の寝室は全焼。夫妻は死亡。
 出火原因は判然とはしなかったが、ベッドサイドに置かれた燭台が布団に引火したとして処理された。

 様々な思惑が渦巻く中、彼等の一人息子であるカムイが家督を継ぐこととなった。

 そして、歯車は狂い出す――

 ◇

 あの不思議な青年と出会ってから三年が経とうとする夜、両親の寝室へ火を放った。
 簡単な事だった。
 炎が寝室の戸を叩き出した頃に寝付けず廊下を歩いていた風を装って騒ぎ出せば良いだけだった。
 燃えたのは彼等だけ。
 他には何も失なわなかった。
 屋敷も、財産も、醜いこの顔も、全てそっくりそのまま僕の物だ。

 遺された一人息子を周囲は憐憫をもって見た。
 無用な同情だ。どうせお前らの腹はこうだろう。
 「両親の庇護も無しにあんな醜い息子が一人で世を渡っていけるのか」
 だがそんな嘲笑ともつかない憐れみは無用だ。
 何故なら僕は生まれ変わるから。
 これは計画のほんの始まりに過ぎない。
 僕の脳裏ではあの美しい碧眼が笑んでいた。


  ◇

 アスモデウス邸は町外れの森の中にひっそりと建っている。
 荘厳で格調高い装飾が当世の主流である中で、華美な彫刻が施された邸宅はやや前時代的だ。
 しかし、月の輝く夜ともなると月光を照り返す外壁が暗い森の中にぼんやりと浮かび上がり、妖艶な雰囲気を醸し出す。
 そしてそんな月の夜、彼の家に珍しい来客が訪れた。

 「…やあ、待っていたよ。」
 自ら屋敷の扉を開けたレンファンドは見覚えある美しい紫の髪を見て優雅に微笑んだ。
 「少し貫禄が出てきたんじゃないかい?」
 三年ぶりにまみえた青年はもうレンファンドを見下ろす程の長身になり、相変わらず長い前髪の隙間からはあの頃では考えられなかった程の強い眼差しを湛えていた。
 「…そういう貴殿は、お変わりないようだな。」
 対してカムイは確認するようにそう言う。
 男らしさを湛えた低く艶のある声だ。
 「そういう体質なものでね。」
 カムイの言葉にレンファンドは肩を竦めながら賓客を奥へ誘った。
 この声、使い方さえ覚えたら化けるな…そう冷静に分析しながら。

 「ああ、そう言えば風の噂で聞いたよ。大変な事になってしまったね。」
 賓客を応接間に通し、給士に扮した使い魔が持ってきた紅茶に口をつけながら、レンファンドは思い出したように言った。
 「…特に不自由は感じていない。」
 返すカムイはいささか不愉快そうだ。おそらく言われ飽きた台詞なのだろう。
 「そうかい?ご両親の後ろ楯が無くなって、君一人じゃ儘ならない事も多いのではと思っていたが。」
 カップをソーサーに返し、レンファンドは観察するように目の前の青年を見据えた。
 「いつ家督を継いでもやっていけるよう、必要なだけの教育は受けていましたから。」
 そっけなく返しながらカムイもカップを置く。
 「しかし、そうなると君も公爵家当主か。」
 レンファンドはテーブルに両肘をつき、指を組んだ。
 その向こう側からカムイを見つめる碧の瞳が悪戯っぽく光る。
 「そうなると色々やらねばならない事も増えたんじゃないかい?家の運営だけではなく伴侶も見つけなくてはいけないだろうし。」
 伴侶、という言葉は眼前の青年にてきめんの効果を与えたようだった。
 すかさず、同情を装ってたたみかける。
 「御両親の代わりになる仲人のあてはあるのかい?」
 レンファンドの言葉にカムイはフンと鼻を鳴らした。
 「あの人達が生きていたからって、縁談が進んだかどうかも怪しいものだ。」 「おや、一人息子を人にやりたくないとでも言う口かい?」
 単純な興味、というようにレンファンドは訊ねる。
 「逆さ…あいつら、俺が必要以上に外に出るのを嫌がっていたからな。」
 顔の前で両手を合わせてそう言うカムイの眼の光が闇に落ちていくのを、レンファンドは見逃さなかった。
 「それは…君の容姿と関係が?」
 あくまで自分は味方であると言うかのように、レンファンドは眉根を寄せる。
 「ああその通りさ。歳と共に歪んでいくこの顔をあいつらは忌み嫌った。挙句、こんな顔では当主として社交界に出るのも儘ならないと、わざわざ遠縁を養子にしようと…嫡男である僕を差し置いてだ!」
 ダン!!とカムイの大きな拳がテーブルを殴り付ける。
 彼のカップにわずかに残っていた紅茶がこぼれ、テーブルクロスに染みを作る。
 「…すまない。」
 カムイは短く詫びると息を整えようとするように肩を上下させる。
 「構わないさ。」
 レンファンドが言い終えない内に数人の使用人に扮した使い魔がやってきて手早くテーブルを片付けた。
 「それで、」
 テーブルクロスが巻き取られていくのを眺めながらレンファンドは口を開く。
 「君は御両親に絶望した訳か。だから殺した、と…。」
 「…ッ」
 カムイがハッとして顔を上げる。
 余計な事まで話してしまったと悔いるように口元に手を当て、探るようにレンファンドを睨む。
 そんなカムイの様子も意に介さないというかのようにレンファンドが優雅に微笑む。
 「案ずるな。人間の諍いなど私には興味が無い。それは私の専門ではないからね。もちろん誰かにこの話もするつもりはない。それより…」
 と、レンファンドは立ち上がるとテーブルに左手をつきカムイの方へ身を乗り出した。
 右手でカムイの顔にかかる髪に触れ、彼の瞳を覗き込むように顔を傾げると笑みを深め、言った。
 「君がここに来た要件を聞こうか。」

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アスモデウス卿の好奇-2

続き

閲覧数:187

投稿日:2013/01/06 14:11:13

文字数:3,017文字

カテゴリ:小説

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