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『私は誰の為に生きているの?
何の為に生きているの?
どうして私が生まれてきたの?
そんなのどうだっていいじゃない。
一番大切なのは自分自身が楽しいこと。
長い時をかけ、数々の疑問・苦しみ・悩みをあの夜空に投げかけた。
星達は答えを知っているかのように光輝く。でも教えてはくれない。この世に神様なんていない。
でも気付いたら前に進んでいた。
ああ、私はこんなに幸せなのに、
まだまだ知らない人がいる。
まだまだ知らない場所がある。
沢山やりたいことがある。
時間が全然足りないわ。
thirty thousand days
皆は誰の為に生きているの?
皆は何の為に生きているの?
あなたはどうして生まれてきたの?
でもやっぱりそんな事は些細なこと。
一番大切なのは貴方自身が楽しいこと。
貴方は数々の歌を作り私にくれる。時には失敗もあり、貴方は泣いた。
星達は「がんばれ、あと少し」と貴方を励ます。
あの時に見た空が、雲が、桜の花びらが。
あの時に聞いた貴方の鼓動が、通り過ぎる時間が、
すべて美しかった。
この世に神様なんていない。私たちは絶望・恐怖・挫折をすべて突き破る。
ああ私たちはこんなに幸せなのに、
まだまだ知らない人がいる。
まだまだ知らない場所がある。
沢山やりたいことがある。
貴方と一緒に進んでいきたい。
thirty thousand days』
その歌が終わると一斉に歓声が広がった。
リゲルP(りげるぴー)という有名プロデューサの曲「thirty thousand days」である。
七河閃(ななかわせん)は特に手を上げたり大声を出したりはせず静かに楽しんでいた。
(やっぱりいい曲だな・・・)
この曲を境にコンサートは前半終了となり、30分の休憩に入った。
トイレに行く人、疲れてその場に座る人、飲み物を買いに行く人等でフロアが混雑し始めた。
七河は夕方から仕事の為、前半が終わり次第帰る予定だったので、その場を離れ、出口に向かった。
外に出てみると、体の中の熱気が一気に冷め、一瞬で冷えてしまった。先ほどまでは暑いくらいだったので、丁度良かったがこのままではすぐに冷え切ってしまうので早く電車に乗りたかった。3月になったとはいえまだまだ外は寒い。空は少し怪げな雲が浮いている。もしかしたら一雨降るかもしれない。
七河はコンサート会場から早足で駅に向かいそこから電車に揺られること約40分。自宅の最寄り駅の津和野台に着いた。
自宅はそこから歩いて15分程のところにある。電車に乗っている時に窓に水滴が付いているのに気づいた。どうやら天候が悪化したみたいだ。
仕方が無いので駅のコンビニで傘を買って歩いた。こうやってどんどん家に傘が溜まっていくのだ。もう遅いとおもいつつ携帯で天気予報をチェックしてみると夕方から雨とある。七河はテレビを見ない。なので天気予報も携帯のネットで事前にチェックしないと分からないのである。
雨が降っていたが散歩がてら家に帰るとする。お気に入りの音楽を聴きながら散歩をするのが彼の一つの趣味である。
いつもの散歩コースを歩いているうちに、前々から天気が悪い時の公園の風景を写真に収めたいと思っていたので、少し遠回りをして、公園に寄ることにした。
七河は趣味の一つに絵を描いている。まだあまり上手いとは言えないレベルだ。日々こうやって写真を撮ってそれを参考に練習している。彼は特に風景画が好きだ。
公園に着くと入り口のそばにある灰皿でたばこを1本抜き取りライターで火を付けた。公園には雨が降っているので誰もいない。この公園の周りにぐるりと一周できる散歩道がありそこを1週すると300メートル程あるので、散歩にはうってつけだった。天気がよければマラソンをしている人や、公園内で遊んでいる子供、カップルなどで賑わう。
春になると、津和野台さくら祭りというイベントがあり、ところどころに屋台が建ちお祭りムードになるのだ。
七河はたばこを吸い終わると適当な木を探して、ローアングルから曇り空をバックにシャッターを切った。冬が過ぎたとはいえ朝はまだ氷点下になる時もある。木の枝にはまだ葉は少なかった。
たまに晴れ目が出てはまた曇る。雨はそれほど降っていなかった。天気雨なんて久しぶりだ。この時期にこういう天気は珍しいなと七河は思った。デジカメで撮った写真を見てみるとバックの空が曇の間から光が少しだけ差していて、神秘的に写っていた。
いい写真が取れたと満足しデジカメをバックの中に仕舞って七河は公園の入り口に向かった。
が、そのとき―――
視界の端に何かが写った。
「あれ」七河は思わず声が出た。
現在七河がいる反対側の散歩道のほうに二つならんでベンチがある。そこの片方のベンチに人が一人座っていた。七河はあまり視力が良くなかったがよく目を凝らして見て見ると髪の毛が長い。腰の位置よりも下に垂れ下がっている。それに少し青っぽいような色だった。
どうしようか。
具合が悪そうに見える。
七河はかなり悩んだ。
様子を伺いに行ったところで自分には何もできないし、知らない人と話すのもあまり得意ではない。あまり面倒な事には首を突っ込みたくない。
それでも七河は少しずつ、近づいていた。
自分でも驚いていた。
自分はいったい何をするつもりなのか。
一応相手に近づかれていると思われないように自然に近づく。途中で相手が気付いてどこかに去ってくれれば何も無かった事になるし、すべて解決する。
しかし、どう考えても不自然だった。万が一病気か何かだとしたら助けなければならない。救急車は119だっけ……
相手は依然としてベンチに座ったまま全く動かない。もしかしたら本当に具合が悪いのかもしれない。
七河ははっきりとそれに近づいていった。自分の中で決心が着いた。もし変な目でみられても、悲鳴を上げられても、逃げればいい。この一瞬だけの出来事なんだ。
そんな事を色々シミュレーションしているうちに、ついにはっきりとその人が認識できる距離まで来てしまった。
しかしやはり反応がない。もうさすがに相手もこちらの気配に気づいてもいい距離だ。
ベンチに座っている人は両手をだらんと下にたらし、顔は下を向いている。
おかしい……
雨が強くなってきた。
心臓の音が耳に響く。極度に緊張している。雨の音よりも心臓の音のほうが大きく聞こえる。
「あの・・・すみません」七河は相手に聞こえるように言った。
しかしやはり反応がない。
もしかしたら……
七河はもう一度今度はすこし怒鳴り気味に言った。
「あの!大丈夫ですか!?」
反応がない。
(救急車・・・!)七河は携帯で急いで救急車を呼んだ。
「もしもし、はい津和野台公園で人が意識不明です。早く来てください。はい。ええ、そうです一人です。宜しくお願いします」
自分でも焦っているのが分かる。他人の為に救急車を呼ぶなんて初めての経験だった。
一度深呼吸をし、少し落ち着きを取り戻した。この人は本当に意識が無いのだろうか。
可能性はかなり低いが、ただ寝ている。という可能性も無視はできない。七河はさらに意を決して肩を掴んで激しく揺すってみた。
「あの!」
やはり反応がなかった。生きているようには思えなかった。
「っと」
そのとき、肩を揺すった反動で少し体の重心がずれて、横に倒れそうになったので、慌てて支えた。
うなだれていた顔が少し見えた。
同時に七河は驚愕した。
その人は目を開けていた。
七河は少し屈んでその顔をよく見た。
肌が、肌ではなかった。人間の肌ではないのだ。
この人の服装が厚い紺のトレーナーにマフラーをしていたので、気づかなかった。
実際に触って確かめてみる。ほっぺたの辺りを擦ってみるとゴムみたいな感触。人間の肌よりは凄く硬い。
そして七河はこの人が人間では無いことに完全に気づいた。
「これは……ヴォーカロン……」
ヴォーカロンとは簡単に説明すると最新技術を生かした自ら歌を奏でる事ができるロボットである。
20年程前、以前はヴォーカロイドという人が直接プログラムをして音を合成させて歌を作成できるソフトウェアが開発された。
それから留まることを知らず、オリコンにランクインする等でそのソフトウェアの完成度は評価され一般の人間にも多く知れ渡った。
そこからもめまぐるしい技術の進歩があり、ついに3年ほど前にヴォーカロンという人工知能を搭載し歌うことを主としたヒューマノイドが完成した。
最初に完成したのが、初音ミクタイプというヴォーカロンで、もちろん持ち主の手でプログラミングして歌わせたり、それに合わせて踊らせる事もできる。その他の機能としてはヴォーカロンの内部には通信機器が備わっており、設定をすればインターネットや通話が出来る。ネットにさえ繋がれば何でも出来るがまだまだ開発は途上でこれから段々にバージョンアップされていくだろう。
そしてなんといっても人工知能が搭載されている点がロボットらしいが、ヴォーカロンはやはり普通のロボットではなかった。
持ち主と共に生活する事で様々な経験、記憶がヴォーカロンの内部にある膨大なデータベースに蓄積されヴォーカロンも成長する。特定の行動を自ら起こしたり、言葉を巧みに操れるようになる。データベースの容量は人間が100年共に過ごしても半分も埋まらない程用意されている。しかし100年も過ごした記録は今のところ当然ないわけで、実際に100年分のデータ量が蓄積されると、レスポンスも悪化等なんらかの不具合が発生すると言われている。
それにしても本当に便利なペットみたいなものだ。
今日七河がコンサートに行ったのはまさしくヴォーカロンのコンサートだったのである。 リゲルPという名前の有名プロデューサが育てあげた初音ミクタイプのヴォーカロンのコンサートだった。(ちなみにリゲルがハンドルネームでそれにプロデューサのPを語尾に付ける呼び名が一般的である)また、ヴォーカロンを購入するとなると、一般人は手が届かない金額であるのでまだほんの一部の人にしか渡っていないし、知名度もまだ低い。
しかしながら……
ヴォーカロンではなくともこのようなロボットが増えていくと、将来人間のほうが少なくなってしまうのではないか。とも思う。
ロボットに仕事をさせたり、家事をやらせたり、遊びの相手をしてもらったりと、何か不具合が起きないか人間がメンテナンスだけをしていれば良い。
人間は本来仕事をしない為に仕事をしているのであるから、ロボットにすべてを任せるのは合理的ではある。
それに人間よりもロボットのほうが地球にやさしいだろう。地球を駄目にしているのは人間だし犯罪を犯すのも人間。
人間だけが地球にとって無駄なのである。
このヴォーカロンの完成は人間がいなくなる第1段階という事に気付いていないのも人間だ。
天気はすっかり雨になり、ザバザバ降っている。空は完全な灰色。
遠くで救急車のサイレンの音が聞こえた。
七河は必死に考えていた。
でも、このヴォーカロンを自分はどうするのつもりなのだろう?
持ち主を探そうか?
一応高価な物なので警察に届けるか?
見なかった事にしようか?
一番良い選択は何か。七河は考えている。呆然と立ち尽くしたまま。
救急車のサイレンがさらに大きくなる。
あの救急車は一体どこに向かっているのだろう。
本当に喧しい。一体誰が救急車なんか……
(あ、そうか。僕が呼んだんだ)
人間が意識を失っていると思ったら、ヴォーカロンの勘違いで……
怒られるかな……
今日は本当に変わった日だ……
生きていると色々な事が起きるのだなと七河は改めて思った。
七河は傘を畳んだ。その瞬間に雨が一斉にどばどばと七河に降り注いだ。
さっきまで天気雨だったのに。
この雨はこのヴォーカロンの涙だろうか。
救急車のサイレンがどの音よりも鮮明に聞こえる。
その音が七河の頭を麻痺させていた。
七河はポケットにあるタバコから1本抜き出し、ライターで火を点けた。
しかし一服もできないまま雨でタバコは萎れてしまった。
今日は本当に変わった日だ……
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