3月7日。
PM6時20分
「私……もうすぐ死ぬんだ。ゴメンね、デル」
ハクの口からそんな言葉を聞いた。
信じられなかった。
あまりに突然すぎて、言葉を失ってしまった。
「私の寿命、あと一ヶ月もたないかもしれないんだ。思ったより病気が深刻化してて手術もできないらしいし」
ハクは微笑みながら、そう呟いた。確かにその口から聞いたんだ。
けれど、それを信じ、認めてしまいたくなかった。
でも……そういえば。心当たりはないわけじゃない。
昨日のハクの態度は、何かいつもと違う、おかしいものを感じてはいたんだ。
けれど、そんな、まさか。そんなことってあるはず――……ないだろ?
ハクからその言葉を聞いたのは、病室に入ってすぐの事だった。
ノックしても返事がなかったから、最初はトイレにでも行っているんだろうかと思っていたが、病室にはちゃんとハクの姿があった。
けれど浮かない顔をして、少しボーっとして、宙のどこかを見つめているという感じだった。
デルが病室に入ってきたことにも気づかず、「ハク」と呼びかけたところでようやく気付いたのだ。
さすがに様子がおかしいと思い、問い詰めてみたら返ってきた答えがこれだ。
あまりに無残ではないか。
「ねぇデル、何でそんなに哀しい顔してるの?死ぬのはデルじゃないんだよ?」
「……」
ハクの方こそ、何でそんなに嬉しそうにほほ笑んでるんだよ。あと一ヶ月も生きていられないかもしれないってのに、何でそんな風に笑っていられるんだよ。
そんな言葉が浮かんだが、デルは口には出せなかった。
「あ、もしかして。私がいなくなっちゃうのはやっぱり哀しい?」
「……当たり前だ」
ようやく出てきた言葉がそれだった。
「ハク、もしかして死ぬまで、病気が深刻化してること隠し通すつもりだったのか?」
「うん、だってデル、私が死んだの知ったら哀しむかなって」
「だからって隠すことないじゃねえかよ……!」
静かにだったが、自分でも知らないうちに語勢は強まっていた。
ハクもそれで俺が憤っているのを察したらしく、「だって……だって……」とバツが悪そうにつぶやき、目をそらしてしまった。
「その、えっと、ゴメンなさい。デルには、心配掛けさせたくなくて」
「なあ、俺らって親友じゃないのか?隠し事なんてする仲じゃあないだろ」
そう言うと、ハクは何故か少し笑った。
「ゴメン。でもデル、変わってないよね。その、すぐに熱くなる性格とか、熱くなると『親友』って言葉を口に出すところとか」
「え?」
「ねぇ、デルは覚えてるかな。10年前の1月、5日か6日に雪が降った事。それでさ、私とデル、一緒に雪遊びしたよね」
デルは少し考え込んだ。そう言えば、そんな日もあっただろうか。
10年前の事なんて、はっきり言ってもう覚えてない事がほとんどだし、大概は忘れてしまっていてもおかしくはない。
「あぁ、あの時か」
言葉ではそう言ったものの、実際覚えていなかった。
「うん。あの時からデルは熱い性格だったから、周りの雪溶けちゃいそうだったし」
「いや、それはないだろ」
「ううん、実際少し溶けてたって。熱気で雪がじゅわーって」
ハクはそう言って笑い、俺も笑った。
そうして、話をしていくにつれて、だんだん確かな記憶を取り戻していった。
……そうだ、確かにハクと俺は雪で遊んでた。
あの頃はまだ中学生で、将来のことなんてまだ何にも考えてなかったんだ。
将来は何になるとか、どこの企業に就くとかなんて、高校生か大学生になったら考えればいいものだと思ってた。
まぁ、その時になっても、あんまり真面目に考えなかったけどさ。
どっちかって言うと俺は真面目クンじゃなく、不良の方に分類されるだろう。
たまに授業をさぼったり、騒動を起こしたりするような。実際には、騒動を起こすまではいかなかったけれど。
「あれっきりだよね、ここらで雪が降ったのって。それからもうずっと降ってないもん、雪。もう一度、せめて死ぬ時までには見たいんだけどなぁ」
そう言って、ハクはまた笑う。今度は切なげに。
せめて死ぬときまでには――……。
そうか、昨日のハクもそれを言いかけていたのか。
「必ず生きている内に見られるさ、いや見せてやる」
「いいよ、無理しないで。もう見られないって、分かってるから。」
ハクの言葉と表情には確かな諦めがあった。けれど彼女はそれでも微笑んでいた。
諦め以外に、言い知れない何かがあるのだろうか。
生きている内にもう雪は見ることができないなんて、それは本当なのだろうか。
でもある意味、それは真実なのかもしれない。
年々、この地域は雪の降りにくい傾向になりつつある。
それにもともと、ここはそんなに寒い地方でもないのだ。
ふと、窓の外を眺めてみる。
空に見えるのは皮肉にも雲一つのない、紺色の空。淡く輝く白い三日月。
それに負けじと輝く街のネオン。色とりどりのカラフルな星。
世界は平和だった。
どこにも異常気象を感じさせる不安はなかった。
確かに、異常になっていると言うのに、いつもと同じように回る世の中。
そんな世界に溜息をついた、その時。
「――ゴホッ!!」
視線をハクの方に戻すと、ハクが口を手で押さえていた。
手の隙間から、赤い鮮血がにじみ出ている。
「ハク!?」
「ゴホッ――ゴホン……」
ハクは最初の咳から、発作のように何度も咳を繰り返している。
その度に口から血が出てくる。
デルは、駆け寄ってナースコールのボタンを押した。
そして、ポケットからハンカチを取り出して、それをハクの口に当てる。
「はぁ……命日が来たのかもね」
「言うな!そんな暗い事言うんじゃねえ!」
突然病室の扉ががらんと開く。
扉にはカイトと何人かの看護師が立っていた。
カイトが看護師に何か指示をすると、手早くハクを担架に乗せて、出て行った。
コメント0
関連動画0
ご意見・ご感想