翌日。
僕はいつもの場所に向かい、誰もいない柵の向こう側へ紙飛行機を飛ばした。
二人を隔てるこの“カベ”を超えていけるように、高く、遠くへ。
返事が返ってくるかなんて分からない。あの子がここへもう一度来るという保証だってないし、たとえ来たとしても、読まれずに破かれてしまうかもしれない。
期待と不安が心を掻き乱し、次の日は駆け足でいつもの場所に向かった。
「…………あ…!」
小さく驚きの声を上げ、僕はそこに落ちていた“紙飛行機”を拾う。
【こんにちは。
私も会いたいです。
明日、ここで待っています。】
広げてみると、丁寧な字で文章が書かれていた。
その夜、僕はこの前よりも激しく脈を打つ胸を押さえつけ、再び手紙を綴る。
【また会えて嬉しいです。
その帽子、似合ってますね。
とても可愛いですよ。】
直接言葉を交わす勇気はまだ持てなかった。だから僕は“紙飛行機(テガミ)”という手段しか選べなかった。
翌日。
あの子は柵の向こうに佇んでいた。
僕は紙飛行機を思いきり飛ばす。それを受け取った彼女は、あの時と同じ柔らかい微笑みを浮かべてくれた。
次の日は、彼女が紙飛行機を飛ばす。それは柵の上をすれすれで通ると、僕の下に届いた。
【ありがとう。
貴方の瞳も綺麗な色をしているよ。】
その文章に、僕はこれ以上ない笑顔で返した。
翌日。
僕の紙飛行機(テガミ)を受け取った彼女は、喜びを隠しきれない表情で僕を見た。
【ここを出て自由になれる日がいつか来るんだ。
そしたら絶対君に会いに行く。約束する。
だから、待っていてくれないかな?】
そして彼女は力強く頷いた。
僕はグラウンドに戻る風を装い、空を見上げる。
――――知ってる。
その言葉が――――“嘘”だって事、知ってるんだ。
知っていながら、僕は敢えて書いたんだ……。
……君の喜ぶ顔を見たいが為に。
独房の中で、小さな窓から覗く三日月を眺めた。
――だけどね、君の事を想うと、そんな嘘も“真実(ホントウ)”になる気がしたんだ。もしかしたら解放される日が来るんじゃないかって、僕は本気でそう思ってしまうんだ。
もっともっと言葉を交わしたい。
もっともっと気持ちを伝えたい。
【直接話がしたいんだ。
僕とこっちに来て話】
クシャリ。
書き途中の手紙を握り潰す。
解ってるんだ。こんな事ぐらい。
君が、“こっち”に来る人ではない事ぐらい……。
この想いだけは伝えちゃ駄目だ。
「……明日もまた、会えるよね……」
また、あの笑顔を見せてくれるよね。
そんな細やかな幸せが、僕の心を満たしてくれるのだから、それでいい……。
それだけでいい…………。
◆ ◆ ◆
それから毎日、紙飛行機(テガミ)のやり取りが続いた。
どうやら彼女は病気を患っているようで、今も入院中との事。ここへは病院を勝手に抜け出し、誰にも内緒で来ているらしい。
【病室は退屈で嫌いなの。
貴方に会えるのが唯一の喜びよ。】
「……へへっ」
僕はその事が嬉しくて、思わず笑みを零した。
ベッドの下に作った穴を掘り、そこへ今日貰った紙飛行機を入れる。今まで貰った物も、全部この穴に埋めてあった。ここならそうそう看守にバレてしまう事はない。
【僕も、君と会えるのが唯一の喜びだよ。
ここに来てくれてありがとう。
いつも来てくれてありがとう。】
明日渡す紙飛行機(テガミ)を抱え、僕は眠りに就いた。
◆ ◆ ◆
翌日、いつもの場所に紙飛行機が落ちていた。
「……?」
柵の向こうにはあの子がいる。
今日は僕が飛ばす日だったはずだけど……。
僕は紙飛行機を手に取り、中の文章を読んだ。
【体を治す為に、大きい病院に移る事になったの。
そこはとても遠い場所にあるから、もうここへは来れないと思う。
だから】
――――バイバイ。
僕は両腕を垂らし、茫然と彼女を見つめる。
嘘だと否定してほしかった。
これは冗談だと、戯けてほしかった。
しかし、彼女は静かに微笑むだけだった。
あぁ……あの子が後ろを向いて歩き出した。背中が少しずつ遠くなっちゃう。
嫌だよ、お別れなんて嫌だよ……。
「……って…」
こんな声じゃ届かない。
「……ってるよ…!」
もっと。もっと声を張り上げて、あの子に僕の言葉を届けるんだ。
――――――――!
彼女はぴくっと立ち止まって肩を震わせると、振り返って飛びきりの笑顔を見せてくれた。
だから僕も同じくらいの笑顔を浮かべ、昨日書いた紙飛行機(テガミ)を高く飛ばした。
そして彼女の背中を見送った後、僕はその場に膝をつく。
…………もう、いいよね。
今日まで苦しい思いを沢山してきたけれど、
――――こんなに泣いた日はあっただろうか。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ…っっ!! あぁっ、あ、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
君に会えて、哀しみしかない運命にも笑顔を浮かべていられる気がしたんだ。
君に会えて、絶望(ヤミ)しかない未来に希望(ヒカリ)が差し込んだような気がしたんだ。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ねぇ、明日から僕は、どう生きればいい…?
鉄線を握り、ひたすらに叫ぶ。両手が血塗れになり、喉が嗄れても尚、僕は構わずに叫び続けた。
名前を呼んであげる事も出来ない。
その後を追ってあげる事も出来ない。
会いにいくという約束だって果たせない。
僕は、何一つ出来ない。
なんて無力なのだろう……。
手紙にいくつもの雫が落ち、彼女の綺麗な文字を滲ませた
◆ ◆ ◆
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