やっぱり、人ごみは蒸し暑い。甚平を着てきたのは正解だった。僕はそう思い、屋台でもらったウチワを一扇ぎした。
「楽しい?」
祭り会場に入った途端、マドは何回か同じ質問を投げかけてきた。
「うん。楽しいよ」
僕はその数だけ笑顔を浮かべ、明るく答えているつもりだ。自分の中でベストな返答をすると、マドは必ず「よかった」と言いそうな顔でニコニコしている。
そんなマドを見ると少しだけ、切なくなる。
たぶん、自分は心のどこかでマドを好きなのだろう。
臨海学校の時、隣で涙を流しているマドを見て、我慢してるんだなぁ。今までよくがんばってこられたなぁと感心し、そんな姿に目を惹かれたのだろう。
だけれど、マドは隣の住人、榎本権弘のことが好きだ。またまたどっこい、エノヒロは僕と同じクラスの加治屋渚のことが好きであり、加治屋さんとエノヒロは両想いで、友達以上恋人未満のような関係である。
それからよくも悪くも進展せず。僕は加治屋さんのことが好きだったが、どうも今はそういかないみたいだ。
エノヒロが加治屋さんのことを好きだという現実を知って、マドは傷心していると思う。いつも真面目で活発なマドだが、ここの所元気がなかった。そんな彼女を支えてあげたい。それは心のそこから想う願いだ。
この話をして、心移りが早いといわれてもいい。それでも、僕はマドが好きだから。
「ねぇ、ここのお好み焼き食べよ」
今、ここで好きといったらどうなるだろうか。
たぶん微妙な顔をされるだろうな。
言いたい。この二人だけの時間っていうのは少ない。今だからこそ言えることだけど、言ったら後が怖い。
「どうしたの? 鹿野君」
マドが見上げて僕を見る。
「あぁ。ごめん。考え事してた。食べよう食べよう」
「うん! 二百円だって。安いね」
考え事は君の事。
近い距離なんだけど。
どんなに想っていても届かない。
*
こんな風に歩いてると、カップルに思われちゃうのかな?
なんてバカみたいなことを考えながらエノヒロ君と歩く。
お婆ちゃんがかわいい浴衣を持っていてくれて本当に助かった。
やっぱり、エノヒロ君の背は高くて。私の頭一個分くらい大きい。
「身長何センチ?」
思わず、エノヒロ君に聞いてみた。
「百六十七くらい? 日に日に小さくなっていくような感じがある」
エノヒロ君はそう言って頭頂部をポリポリと掻いた。
「それじゃダメでしょ」
私はそんなエノヒロ君の姿を見て、笑う。
幸せだなぁ。うん。幸せ。
こんな日常が続いたらどうなるのかな?
いつか。エノヒロ君と離れちゃう日が来るのかな?
いつか。エノヒロ君を忘れちゃう日がくるのかな?
いつか。エノヒロ君が私を忘れちゃうのかな?
全部嫌なこと。今はそんなこと思わないはずなのに。何で思っちゃうの?
「加治屋」
「あ……。うん?」
切ない気持ちになりながらも、エノヒロ君の返事には元気よく答える。空元気だけど、エノヒロ君を心配させたくなかった。
「あそこの屋台、行ってみようぜ。俺、腹減ったからさ。加治屋も食べる?」
エノヒロ君はそう言って、箸巻きの屋台を指差す。
「あ、うん。私も食べたい」
私は急いで持ってきた小さいバッグから財布を出すと、エノヒロ君から「はいっ」と箸巻きを渡された。
「あ、お金……」
私が財布からお金を出そうとすると、エノヒロ君は右手で私を制止した。
「いいよいいよ。たまにはカッコつけさせて」
エノヒロ君はそう言って照れるように笑い、後頭部を右手でポリポリと掻いた。
「エノヒロ君って、恥ずかしがるとき頭の後ろに手回すよね」
「えっ? あぁ。そうだ」
エノヒロ君は少年のような笑顔を浮かべる。エノヒロ君を笑わせると、私まで幸せな気持ちになる。こんな日常でも幸せを感じることができる私は誰よりも幸せなのだろう。
「向こうにベンチがあるから、座ろうか」
「うん。いこっ」
そう言って進みだすエノヒロ君の後ろ姿を見て、もっと触れたいと思う。
もっとエノヒロ君を知りたいと思う。
そう思う気持ちは悪い気持ちなのかな?
いい気持ちなのかな?
よくわからない。
また、悪い癖だ。
悩むとトコトン悩んでしまう。
今は楽しいときだから、楽しみたいのに。
私とエノヒロ君はベンチに座り、箸巻きを頬張っていた。
「俺、あそこのお好み焼き買ってくるね」
「うん」
エノヒロ君は立ち上がり、人ごみの中に消えていく。
どうしても。どうしてもこれから前にいけないのかな?「私も一緒に行きたい」って言いたかったけど言えなかった。怖くて言えなかった。本人は私がエノヒロ君のことを好きって言うのは知っているはずだけど、その「知っている」という思いがすれ違っているのが怖かったから言えなかったのだろう。
「加治屋じゃん」
振り返ると、小学校の頃一緒のクラスだった飯田君と三人の知らない男子がいた。飯田君は、近くの市立中学に通っていて、卒業してからというものの、接点も無く忘れかけていた存在だった。飯田君は苦手な存在で、忘れるのも当然だろう。
「久しぶり」
「ひ、久しぶり」
飯田君は三年前と変わらない態度で、私に接してきた。
「浴衣とか着て。かわいいね」
「あ、うん。ありがと……」
前髪をかき上げて、飯田君に返事をする。こんなデリカシーのない態度もあんまり好きではない。
飯田君は昔と同じ癖で、鼻の先を手で摩る仕草を見せる。このしぐさを見せるときは大抵、何かをしでかすときだ。
「一人なの?」
「え……いや……」
私の返事を聴かないまま、飯田君は私の腕を握る。
「よかったら、俺らと一緒に行かない? 男ばっかじゃ暇だしさ」
飯田君はそう言って私の腕をグッと引っ張る。やはり、飯田君も中学生なので抵抗できない力だ。腕に飯田君の握力が伝わる。
必死に腕を振り払おうとするも、力が強いので振り払えない。どうしようもない気持ちで、目に涙が溜まってくる。
エノヒロ君……。
そう思った瞬間、飯田君の握っている腕を後ろから違う誰かが掴んだ。
潤んだ目で振り返ると、エノヒロ君が眉間にシワを寄せて立っていた。
「お前、なんだよ」
飯田君が軽い口調で言うと、エノヒロ君は強い口調で言い返す。
「加治屋が……。嫌がってるだろ。離してやれよ」
そう言うと、飯田君の周りの男子が笑い声を上げる。嘲笑したような笑いだ。
「この子のヒーローのつもりですかぁ?」
飯田君の横に居たガラの悪そうな男子がそう言うと、エノヒロ君は私の手を離して、一歩前に出て、睨みつける。
「おぉ? ケンカかぁ?」
その男子が挑発するようにそう言うと、エノヒロ君は一つ深呼吸を漏らす。そして、右の拳を固める。
「そんなのは求めてないよ。ケンカは何も生まない」
「おぉ。そうだよねぇ。下手したら加治屋も傷ついちゃうもん」
飯田君も調子に乗って、エノヒロ君を挑発する。
「まぁ。こんなクズを殴っても、手が汚れるだけだしね」
エノヒロ君の口から意外な言葉が出ると、飯田君が「はぁ?」と眉間にシワを寄せる。
「お前、生意気なんだ……」
飯田君がエノヒロ君の胸倉を掴もうとしたときに、エノヒロ君の握り締めていた拳が下から飯田君の顎に振り上げられる。その拳は飯田君の顎にクリーンヒットして、飯田君は後ろに吹き飛んだ。その光景はスローモーションのようで、周りに居た男子は唖然としていた。
飯田君を殴った瞬間、私はエノヒロ君によって手を引っ張られ、人ごみに入っていく。そして、本部前にあるベンチまで全力疾走をした。浴衣だから走りにくかったけど結構がんばった。
肩で息をする私を見て、エノヒロ君が「大丈夫?」と一言漏らす。
「うん……。大丈夫」
私たちはベンチに腰を下ろす。
「あれ、だれ?」
「小学校の頃のクラスメイト……」
「ごめん、一人にして」
「ううん。全然。手、痛くない?」
「痛くないよ。ちょっと、イラッとしたから殴った。そっちこそ痛くない?」
エノヒロ君は手を曲げ伸ばしさせてみせる。
「うん。私は大丈夫」
腕を見ると、飯田君の手形がついていた。
「加治屋も、女の子だから。これで冷やしなよ。後残ると嫌だろ?」
女の子という言葉に過剰反応して、ドキッとしてしまう。渡されたペットボトルを腕に当てて、目線を下ろす。そこでようやく気付いた。
私、エノヒロ君と手を繋いでたんだ……。
「あ、手……。ごめん」
様子に気付いたエノヒロ君のほうから手を離す。そして、エノヒロ君はしばらくモジモジして遠くを見た。
私はそんなエノヒロ君の横顔を見て、一言漏らす。
「手、握らせて」
「はい?」
エノヒロ君は拍子抜けな声を出して、私に耳を傾ける。
「手、繋いでおきたい。私、ずっと考えてた」
ずっと思っていたこと。それを言うのは今しかないかな。場の雰囲気に任せて。口の動くままに任せてエノヒロ君に想いをぶつける。
「もっと、エノヒロ君と近づきたい。エノヒロ君に触りたいって。でも、怖かった。私だけがエノヒロ君のこと好きなのかなって。想いが交差してるのかなって。私がエノヒロ君のことを好きっていう想いだけが交差してるのかなって……」
エノヒロ君はさっきと打って変わって真剣な表情で話を聴いてくれていた。急にお腹の辺りから妙な感情がこみ上げてきて、ついでに涙までこみ上げてきた。
「もっと……。近くにいたいよ……」
私は祭りの音に消え入りそうな声でそう言って、エノヒロ君の手を握った。
「そっか」
エノヒロ君は切ない表情を浮かべて、そう言った。
しばらく、私たちの間には沈黙が生まれていた。聴こえるのはバンド演奏と、人の声だけだった。
「なんで、イライラしたの?」
沈黙に堪えられず、言葉を発する。
「いやさぁ。だって、好きな人があんなことされてたら……」
エノヒロ君はモジモジしながら、口を手で覆った。
「嫌じゃん。好きな人は大切だし」
頬を赤く染めた彼は、恥ずかしげにそう言った。声はこもって聴こえずらかったけどそうはっきり聴こえた。
思わず、私まで「好きな人」という言葉に過剰反応してしまい、頬が熱くなるのがわかる。
やっぱり、私もエノヒロ君も互いのことが好きなんだ……。
心中でそう思いながら、口を開く。
「エノヒロ君」
「ん?」
祭りの音にかき消されそうな声で、エノヒロ君は返事をする。
「私、好き。やっぱり好き」
想いを伝えるのは二回目。でも、今度は決心の固まったもの。理想が現実になったもの。嬉しいもの。
「あ……。うん……。俺も……」
エノヒロ君は頬をいっそう赤らめて、私の手をぎゅうっと強く握った。
花火が上がり始めたころ、想いを伝えることができた。
楽しい夏はまだまだこれからかな。
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