「あれ? ネギ煎餅今日も無い…っていうか置場無くなってるじゃない、どうなってんのよ!?」
今日はミク、レン、リンの三人で、ジャスコ札幌店へ買物に来ている。
ミクがルカに買物を頼まれたのだが、レンとリンも暇なのでついて来たのだ。
午前十時。開店したばかりなので、まだ客はまばらだ。
衣料館→電気館と回って、ミクがいつも立ち寄る北海道特産品のコーナーへ来た。
目当ては北斗製菓のネギ煎餅(せんべい)だ。
斜めにスライスしたネギを練りこんで焼き上げた煎餅で、ネギの産地北斗市の名物である。
直径10センチほどの煎餅はとても薄く、練りこまれたネギは表面に浮き出ている。青々と鮮やかで、まるで押し花のようだ。
パリパリとした食感を楽しんでいると、煎餅とは思えないほど豊かなネギの香りが広がっていく。
ミクのようなネギ好きにはたまらない逸品である。
それが、無い。
先週も買いに来たのだが、その時は売り切れと言われた。
今日はいつもの置場すら無くなっている。ミクは店員のおばさんを呼び止めて聞いた。
「ネギ煎餅ですか。製造元が倒産したらしいんですよ。美味しかったんですけどねえ」
「ええ!?」
ミクは『家が火事です』とでも言われたかのごとく驚いた。
「ミ、ミク姉、そんなにショック受けなくても…。ネギを使ったお菓子ならほかにもあるし…」
レンが慰めるが、呆然としているミクの耳には届いていないようだ。額に斜線が入っている。
「あ、あの…大丈夫ですか…」
心配そうな店員の声でミクはハッと我に帰った。バッグから携帯を取り出し、素早くボタンを操作する。
ネットで北斗製菓の電話番号を検索すると、すぐに通話ボタンを押した。八回目のコールで相手が出た。
『お待たせしましたあ、北斗製菓です』
声からして年配の女性だ。土地の訛りがあり、おっとりした感じだ。
「あの、倒産したって聞いたんですけど、本当ですか?」
ミクがいきなり本題を聞く。
『すみませんねえ。ご迷惑をお掛けします。経営上の理由で行き詰ってしまいまして、工場を畳むことになりました。小売店の方でしょうか?』
「いいえ、ネギ煎餅が好きなだけです」
『まあ、それはそれは。せっかくご愛顧いただいたのに、申し訳ございませんねえ。わたくし共も残念なんですけど、どうにもできませんで…』
人の良さそうな口調で申し訳なさそうに謝る。ミクはそれ以上問いただすこともできず、電話を切った。
石川啄木の短歌のように、閉じた携帯をじっと見つめている。
「…ミ、ミク姉、あきらめなよ。お菓子なんかよりさ、食品館で本物のネギ買って帰ろうよ」
見かねたリンがそう言うと、ミクは何かを決意したようにキッと前を向いた。
ルカに頼まれた買物リストのメモをバッグから取り出す。
「リン、買物お願い。レンはあたしと北斗製菓へ行くわよ!」
リンの手にメモを握らせると、レンの手を引いて早足で歩き出す。リンは呆然としてその場に取り残された。
「ミ、ミク姉! 手痛いって! マ、マジで行くの!?」
店の前で客待ちしているタクシーに二人で乗り込む。
「丘珠空港まで、急いで!」
ミクの切迫した声に押されて、タクシーの運転手が急発進する。
「お、おかだま空港? どこだよそれ?」
新千歳空港と函館空港しか知らないレンが聞く。
「チャーターヘリがあるのよ」
「ヘ、ヘリで行くの!?」
レンと話しながらも、ミクはまた携帯で何やら調べている。
「あなた北斗市ってどこにあるか知ってるの? 函館の隣よ。札幌からだと特急でも四時間かかるのよ。あ、運転手さん、途中で北洋銀行があったら寄ってください」
ミクは敵に追われているジェームス・ボンドみたいな顔になっている。何を言っても聞きそうにない。
「い、幾らかかるのさ? 高いんでしょ、ヘリって?」
「二、三十万ありゃ足りるでしょ。あ、もしもし、北海道航空ですか? ヘリ空いてます?」
チャーターヘリの会社に電話しているようだ。もうレンには止めることができない。
☆
途中で銀行に寄り、ミクは北洋銀行の名前が入った紙袋を持ってタクシーに戻ってきた。
…食パンでも入っていそうな大きさだけど、まさか現金じゃないよな…。
…銀行ってよくティッシュやタオルくれるからな、そうだ、それに違いない…。
レンはミクに何も聞かず、そう思うことにした。
☆
ジャスコを出てからわずか四十分で、ミクとレンは北斗市の上空に差しかかった。
ビルや車がオモチャのように見える高度を、ヘリは時速220キロで飛行する。
「北斗市役所の近くにヤダマ電気があるはずよ! 北斗製菓はその後ろにあるの! 探して!」
ローター音に負けないように、ミクが大きな声で操縦士に指示する。
「お、お客さん、シートベルト外さないで、座っててください! 右前方がヤダマ電気です! でもどうするんですか!? 降りることはできませんよ!」
操縦士も大声で返す。
「何で降りれないのよ! ヤダマの駐車場だだっ広いじゃない!」
「法律で、ヘリポート以外に降りるには事前に許可取らなきゃダメなんです! 緊急時でもない限りね!」
「緊急時ならいいのね!」
ミクの言葉にレンは青くなった。
ミクは大きく息を吸い込むと、音量を制御するダイナミクスパラメータ全開で叫び声を上げた。
「キィイイ―――――――――――――――――――――――――!!!」
「わあ!!」
レンは堪らず耳を押さえた。操縦士はヘルメットをかぶっているので、耳を塞ぐこともできず悲鳴を上げている。
「どっか故障したとかいくらでも言い訳できるでしょ! すぐに降りないと、気絶するまで叫ぶわよ!」
「そ、そんな無茶な…」
ミクがまた叫び声を上げる。高度計のガラスカバーにピシッとひびが入った。
「わ、分かった! 降りるからやめてくれー!!」
☆
突然駐車場に降り立ったヘリコプターを、ヤダマ電気の買い物客が遠巻きに取り囲んでいる。
ミクは紙袋から百万円の札束を一つ取り出すと、封を切って大体で半分に分け、朦朧としている操縦士に渡した。
「お釣りはいいから」
ハッチを開け一メートルほどの高さからひらりと飛び降りる。
ミクの超音波でふらついているレンも、後に続いてよろめきながら飛び降りた。
ざわつく人々の間を抜け、二人は北斗製菓へと急いだ。
☆
(中編へ続きます)
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