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 夕方だというのに人口密度が高いせいか、夏のせいかはわかりもしないが蒸し暑い。もう、夏なのだから蒸し暑いのは仕方が無い。外気に露出している肌には、ベッタリと湿気がついている。
 もう、帰りたい……。松江亮はため息をつきながらそう思う。
 もともと、松江は人混みが得意なほうではない。どちらかと言うと人酔いをするほうだ。それなのに、坂倉祭りに来ていることには理由がある。
 元サッカー部の主将で、松江の友人である帯広康永から誘われたのだ。帯広は人望が篤く、人柄も熱い。そんな彼を嫌いになる人はそう多くはない。松江は珍しく帯広のほうから誘いが来たので承認したのだが、結果がこうだ。坂倉祭りに来て早々、人に酔ってしまっている。
「人酔い、大丈夫か?」
 帯広はそんな松江に気を遣っているのだが、松江は強がり「平気平気」とやせ我慢で頷いた。
「康永! ここの焼き鳥うまいぞー」
 一緒に来ていた富永恭一郎と城島旭がこんがり焼けている豚ばら肉の刺さった串を持ってきた。そして、
「おぉ。そうか。いってみよう」
 帯広はそう言って松江を引っ張り、評判の焼き鳥屋台に足を進めた。
「なんで、俺まで……」
「まぁ、いいじゃないか」
 帯広はそう言って、含み笑いを浮かべる。松江はそういう帯広の表情が新鮮に思えた。
 いつもは、皆をまとめる体育会系男子(男子というよりか親戚の叔父さんの風格)だが、毎日が気を張っているようだと松江は思っていた。
 だが、こういう場になるとこんな笑顔を見せるとは、松江にとっては新鮮すぎる体験だった。
「どうかしたか?」
 帯広がそう言って首を傾げると、松江は「なんでもない」と微笑んで返答した。
 坂倉祭りはまだ始まって二時間ほどしか経過していないが、辺りは人で埋め尽くされていて、五〇メートル先が見えない。夏の蒸し暑い夜が祭りのせいでまた蒸し暑くなりそうだ。松江はそう思い、青いティシャツのネックを持ちパタパタと扇いだ。ちっとも風はきやしないが、少しの心安めにはなった。
 松江がふと周りを見渡してみると、浴衣を着ている女性が多いと感じる。それはそうだ。祭りなのだから。この時に浴衣を着なくていつ着るのかという話になる。
 見渡していると、一人の女性が松江の目に留まる。その女性は、背が高く見た感じでは百六十五センチほどの身長はあるだろう。赤い花が漂っている浴衣が様になっている。ショートボブの髪は立派な黒色で屋台の電飾などに照らされて輝いている。
「あの人綺麗だよなぁ」
 松江はそう言って、帯広の肩を叩いて女性のいる方を指差す。帯広は始め、首だけを動かして松江の示した方を見る。すると、次は驚いたような表情を浮かべて言葉を漏らし、体ごと示した方向を向く。

「えっ? 松江、大杉は諦めたのか?」
 帯広による突然のカミングアウトに松江は驚く。
「そんなわけないだろ。前にも話さなかったっけ? フラれはしたけど好きだって」
「は? ちょっと待ってくれ。話しが合わない。顔を向こうに向けてみろ」
 帯広はそう言って松江の頭を掴み、半ば強引に振り向かせた。そして、松江は女性に目を向けた。
「あの人は、大友愛理さんじゃないか」
「はっ?」
 帯広の思わぬ返答に驚きながらも、松江はその女性をよく見てみる。帯広の言うとおりだった。彼女は紛れもない、「大友愛理」だ。松江が大友愛理を見つめていると、大友愛理が振り返って松江のいる方を向く。
 その瞬間、松江は大友から視線を逸らしたのだが、大友は松江の視線に気付き駆け寄ってきた。
「ちょっと、いいところに!」
 大友はそう言って松江の手を握りしめる。その様子を隣で見ていた帯広はそれを横目に、たった今焼鳥屋の亭主から預かった豚バラを頬張りながら「モテるなぁ」とのんきに思っている。
「なに! どうしたの!?」
 顔を真っ赤にして焦っている松江を大友はぐいっと引っ張り、自分の近くによせる。大友より小さい松江は簡単に大友から引っ張られ、よせられた。大友は引き寄せた松江を胸で受け止め、帯広に声をかける。
「康永君、ちょっとこの子借りてくよ!」
 帯広は、豚バラを口に咥えたまま、「おう! 帰るときには返してな」と言い、人ごみの中に消えた。(その後、帯広は富永と城島に「松江はモテるなぁ」ともらしたそう)
「な、なんなの? 状況がつかめないんだけど」
 大友の胸が上手に受け止められた松江は、体制を立て直し恥ずかしげな表情を浮かべる。
「あ、ごめん。さすがに胸はダメだったね。とりあえず来てくれるかな?」
 ボーイッシュな大友は、胸に男が当たることなど特に気にもくれず、松江の手を握りグイグイと人ごみを潜り抜けていく。
 松江が引かれた先には、ベンチが一つあり、その上には外灯用の提灯がユラユラぶら下がっている。辺りは暗いというのに、提灯の周りだけ明るく、虫が集っていた。本部の近くなのでバンド演奏などの音がよく聞こえる。そのベンチに鷲見五十鈴が座っていた。その横には、何かが入った白いビニール袋がたくさん置いてある。
 なんだこれは……。
 松江は思わず人酔いを思い出して、吐き気に襲われた。だがなんとか堪える。
「急にすまないんだけど」
 座っていた鷲見が口を開く。松江は鷲見に視線を送ると、鷲見はイカ焼きを口に頬張っていた。
「これ、少し食べてくれる?」
 鷲見が隣に置いてあるビニール袋を松江に一つ差し出す。その中には、たこ焼き、箸巻き、etc……。とりあえずさまざまな物が入っている。
「屋台を出してる知り合いが多くてね。調子に乗ってもらいすぎたら、食べれなくなっちゃった」
 なにやってんだよ……。

 松江は心の中でそう思い、大友が自分をここに連れてきた真意を思う。
「もしかして、これを食べろと……」
 松江は小さい肩をすくめて言うと、鷲見と大友は合わせて頷く。
「俺、少食なんだけどなぁ……」
 松江は困ったような表情でポリポリと頭を掻きつつ、ビニール袋に手を伸ばしお好み焼きの入ったプラスチックの入れ物をとる。
「なんだかんだ言って食べてるじゃん」
 大友はそう言い、松江の背中を叩く。バチッという鈍い音の後に、松江の体は少しだけ前に動いた。
「いったいよ!」
「まぁまぁ。ごめんごめん」
 大友は反省の色を見せず、後頭部をポリポリと掻く仕草を見せた。大抵の思春期男子はこの行為でコロッと恋への旅路を踏んでしまうのだが、松江はそんなものにも目をくれずにプラスチックの入れ物を縛っていた輪ゴムをとる。
「まぁ、がんばって食べてみますわ」
 松江は不機嫌そうな声でそう言い、鷲見の座っている横に腰を下ろした。
 お好み焼きは案外美味しかったらしく。松江は次々に余っているものを口に頬張っていく。ついさっきの少食宣言はどこかに消えていった。
「案外食べるねぇ」
 松江は鷲見のほうを見てポツリと呟く。鷲見の横にはプラスチックの入れ物が山のように積んである。そろそろ胃が限界な松江はその入れ物の多さに驚嘆している。
「さっきはお腹イッパイだったんだけど、どこかに失せたわ」
 鷲見はそこまで息を吐くように言い
「早く口を動かしなさいよ」
 と相変わらずの強気な言葉で、松江を突き放すように言う。松江はそんな鷲見の態度には慣れっこだった。最近はよく鷲見と一緒にいる。同じクラスではないのだが、図書委員会という意外な共通点で、仲良くしている。委員会の仕事中でもこのような口調が出ているので、慣れたも同然だった。
「あれ? あれは……」
 大友が屋台で買ってきた綿飴を頬張りながら目を点にして、人ごみのほうを指差す。松江と鷲見が指されたほうを見ると、浴衣姿の大杉円香と甚平姿の鹿野友香が二人で居る。
 松江は大杉の浴衣姿に目を奪われ、手にしている割り箸をポロリと手から離してしまう。
 円香はエノヒロのことが好きじゃなかったのか?
 荒ぶる感情と抑えきれない動揺が松江の心の中でせめぎあっている。複雑な気持ちを抑えきれないまま、足元に落ちた割り箸を拾い、ゴミ袋に入れた。
「あら、お箸落としちゃったの?」
 大友はそう言って新しい箸を松江に渡す。


「もしかして、動揺してるの?」
 大友は不敵な笑みを浮かべて松江の表情を伺う。松江は裏をつかれたような顔をして大友を見た。鷲見は二人の話など目にもくれず、本部の方であっているバンド演奏を眺めている。
「円香をみちゃったから……でしょ?」
 大友がそう言った瞬間、松江の顔が赤くなる。
「ほら、図星」
「ち、ちげぇし」
 松江は恥ずかしげに首筋を掌で撫でるが、顔は正直に赤くなっている。
 大友はアハハッと大きな声で笑い、すぐに真剣な表情になる。
「たまには他の女の子にも目移りしてみたら?」
 松江は大友の真剣な表情を見るのは初めてだった。
 いつもは、明るく笑っていたり愛想笑いを浮かべていたりするのだが、今の表情は松江にとって今日二つ目の新鮮なことだった。
「嫌だね。断固拒否」
 松江は真剣な表情で、大友を見返す。その目ははっきり大友を向いていた。
「おぉ。案外決意は固いですねぇ」
 大友はそう言って遠くを見て切ない表情を浮かべ言葉を漏らす。
「周り見えないと、悲しいよ」
 松江は言葉の意味がわからなかった。もちろん大友が何を言いたかったのかすらもわからない。ふと目を、大杉のいたほうに向けると、もう姿は無かった。
「あ! いた!」
 松江の耳に、よく聴いている声が入り込んできた。声のしたほうを見てみると、城島と富永と帯広が居た。
「お前! 抜け駆けして女子と遊んでんな!」
 三年生の中では生粋の女好きの富永が言う。
「ごめんね。こんな礼儀知らずで」
 富永と小学校からの付き合いで、もう富永の保護者的存在の城島が深々と頭を下げる。
「なんで来てんだよ」
 あきれたような声で松江が言うと
「皆で食べた方が楽しいだろ?」
 と帯広が見慣れたビニール袋を大量に持ってきた。
 屋台の袋だった。
「また喰うのかよ!」
 バンド演奏にかき消されそうな男女のにぎやかな声がひと夏に響いた。

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15.心の準備は万端です

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投稿日:2014/06/22 20:04:13

文字数:4,182文字

カテゴリ:小説

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