「……根に持ってたんですね、鏡」
部長から受け取ったノートを閉じ、私は言った。無言でノートをしたためてたからてっきりデスノートに私の名前を書いてるのかと思ったけれどどうやら違ったらしい。恨みを事実虚構(あるいは妄想)を入り混ぜて物語に昇華するのはさすが文芸部部長。部長の肩書きは伊達じゃない。
「おいおいおいおいやだなあ三崎ちん」
やはり大袈裟なノリで先輩は言う。自分の事だけあってか、その辺の描写は的確だ。
「私は三崎ちんと違って後輩のかわいいい悪戯をいつまでも根に持つほど私の器は狭くないよ」
「いや、それはそのノートの中の私の設定でしょう。しかも男になってるし私」
「原作と派生でキャラに違いがあるのはままあることだよ。『この物語はフィクションであり』のくだりを入れるためにはやっぱり違いを出さなきゃいけないし。肖像権ってのもある」
「現実を原作って言うな。前半はほぼ現実を忠実に再現してるじゃないですか」
性別の違いはあるとはいえ。
立場の違いがあるとはいえ。
「前半ってほぼモノローグだけど、こんなことを思ってたのか」
「思ってません!」
どうしてそっちになるかな!
「そんなに恥じる事もないぜ。入学したての頃はみんなそんなもんだよ」
「どうしてそんな優しい目で見る!」
「ほのぼのでライトノベルな高校生活はみんな夢見るのさ」
「ライトノベルな高校生活は憧れますけども!」
「何でもかんでも大声を出せばツッコミになると思ったら大間違いだぜ三崎ちん」
「無駄に手厳しい!」
「BL同人作家はツッコミに厳しいのさ。BLだけに」
「シモネタじゃねえか!」
やっぱりうちは演芸部かもしれなかった。
むしろ演芸部に看板を替えた方が人が入るんじゃないだろうか。私は即刻体部届けを出すけど。
「世の中ノリと鋏と勢いがあれば何とかなるものだよ」
「そこに鋏が入る意味が分かりません」
「鋏は便利だよ。髪も紐も切れるし、ポテチの袋を開けるのにも苦労しない」
「……鋏を眼球に突き刺して死ねばいいのに」
「ぼそっと怖い事を言うなよ三崎ちん、本気に聞こえるから」
「あっ、やだ。本音がつい漏れちゃいました」
「隠す気無しかよ!」
もちろん冗談。
私はそんなサディストを超えて猟奇的な人間ではない。品行方正純真純白真面目に生真面目こそが私のアイデンティティである。そんな危険なこと、見たことも聞いた事も考えた事もない。危険思想で逮捕されてしまう。
「いつからこんな怖い後輩になってしまったんだろう。教育方針間違えたかな」
先輩は大きなため息を吐いた。
教育方針も何もまず教育出来る人間じゃないだろうことは明白自明の理。
「先輩の教育方針がまかり通ったりしたら学校は滅びますよ」
もちろん冗談の範疇だ。傍から険悪そうに見えるかもしれないけれど、当事者同士にとっては単なるじゃれあいだ。
「方針と言えばですけど、部の活動方針とかどうするんです。部費の割当無し、顧問と言う顧問も無し、部員と言う部員も無し、あるのは部室だけの形だけ文芸部とはいえ活動実績もなきゃ廃部も時間の問題でしょう」
「大丈夫、そんな状態が五年以上安定して続いてるから」
「それは冗談であって欲しいんですが」
「残念ながら事実なんだなこれが。でも六年前はこんな風に少数とはいえ活動してたらしいぜ」
「資料でも残ってたんですか?」
「うんむ」
大きく頷くとおもむろに立ち上がり、後ろの棚からノートを数札取り出した。
「記録って言うか作品だけど」
「OBOG方は処分せずに残してるんですね。私なら恥ずかしくて処分しますよ」
「さらっと酷いことを言うんじゃないよ。それに自分の過去を恥ずかしいと言い出したら人間先は無いぜ」
「私が先輩ならそこの窓から飛び降りますよ」
「人の過去を恥ずかしいって言うな!」
「むしろ作品ですか」
「恥じる箇所は何処にもない! あるのは少しの気恥ずかしさと背徳感だ!」
だからどうしてそう堂々と言えるんだあんたは。もうつっこむ気にもなれない。
いつでもボケに乗っかるわけではないのだ。
「逐一ボケないと会話出来ないんですかあなたは、全く」
「私がボケなかったらこの会話は凄く冷めて見えるんだぜ。配慮だよ配慮」
「何に対する配慮ですかそれは」
「読者への配慮だよ」
先輩は言う。
「いいかい三崎ちん。私がボケる事によって、この場はボケても問題ないんだなと言う空気を演出するわけだよ。するとその演出によって読者は良好な環境であると理解する。地の文を減らして長々だらだらとした説明を省き、結果的に文字数の圧縮に繋がる。というわけだ」
「何の話ですか」
「小説の話だよ」
「先輩その窓から一回飛び降りた方がいいんじゃないんですか?」
「ここ一階だけどね」
「……先輩が脳味噌吸われて存在を消せば私は幸せになれるのに」
「だからいちいち怖いよ!」
「先輩、いつまで存在してるんですか?」
「本当は私のこと嫌いだろ!」
「二十年前の先輩は好きでした」
「存在すらしてないじゃん!」
「大声を出せばツッコミになると思ったら大間違いです」
「冷静に言われた! ……はい、勉強します」
「いい加減人との付き合い方も学んでください」
「……はい」
しゅんとうなだれる先輩の顔に消しカスを飛ばしてやろうかと悪戯心に駆られたけれど肝心の消しカスが机の上には無かった。文芸部なのに文具が無いとは何と言うことだ。カッターと消しゴムくらい常備するべきだろう。ああ、輪ゴムでもいい。とにかくあの顔に一発当ててやりたい。当てて涙目にしてやりたい。
そんな気持ちが高まる一方でやっぱりそれはいけないことだよなと自省する心が少し憎い。天使と悪魔の囁きではないけれど、どうして自分の良心に悩まされなければならないんだろう。全く、こういう時ばかり複数の物事を同時に考えられる頭の構造が一番憎い。根本的に善良な人間だから仕方ないけど。
善良な人間として、ここは先輩を慰め立てるべきだろう。
「先輩、私は先輩のこと好きです。嫌いじゃないです」
「本当?」
しょぼくれた顔を上げこっちを見る。
「本当です」
「……BLは歓迎だけど、百合はちょっと」
「…………」
全然しょぼくれても反省もしていなかった。
私の痛んだこの良心を一体どうしてくれる。
「付き合うとしたらやっぱり男がいいな。例え見た目がボーイッシュと言われようと、恋愛感情を抱かれるなら女子より男子だよ」
「ボーイッシュなのはあなたの妄想の中だけですから、いい加減現実と鏡を見てください。端から見たら見も心も完全無欠な根暗文芸部女子です」
いっそ姿鏡を自腹で設置してやろうか。なんなら三面鏡でもいい。それとも紫の鏡か。
「やだなあ、これでも昔はスポーツ万能の才女だったんだぜ。末は博士か大臣かと言われたもんだ」
「…………」
もういい、こうなったら放置プレイだ。
良心諸共放置だ。
「幼稚園の頃はリレーで常にアンカーを走り、小学校ではいつもマラソン一等賞。サッカーをすればハットトリック、野球をすればサイクルヒット。あの頃は全盛期だったね」
「…………」
「けど全盛期も長くは続かなかった。中学校に入学する前に自転車に撥ねられてね。怪我自体は何とも無かったのに打ち所が悪かったのか運動神経がぱったり途絶えてね。それからだよ、今までの人生とは全く違う文芸部に入部したのは」
「…………」
「あの時自転車に撥ねられてなければ個人競技でインターハイ行ってたんだろうけれど、今の生き方は生き方で満足してるからね」
「…………」
「上を目指して日本一になって世界一になって世界一を守り抜いて、なんて世界は性に合わないってのもあるけどね。トップになって何があるんだろうか。上を目指すためだけにスポーツをするのかなって考えたとき、足が止まったんだよ。ちょうどその止まった時に自転車に撥ねられたから、きっと神様が人生を変えてくれたんだろうね」
「…………」
「という私の壮絶な半生があったんだけど、見直した?」
「…………」
「ねえ、見直した?」
「…………」
「もしもーし、三崎ちん?」
「…………」
「……三崎五香さん?」
「……あの、ぷよぷよやってるんで黙ってくれません?」
「部活中にゲームやってるんじゃねえよ!」
「それと、うちは文芸部なんで漫談を披露されても困るんですよね」
「またそれかよ!」
「あなたは黙ると死ぬ病気なんですか? いっそ冷凍マグロにでもなって築地にでも上がってください」
「…………」
「…………」
「暴言もその辺にしてくれないと、いい加減泣くよ?」
「鳴くならホトトギスを参考にして下さい。ピーチクパーチク鳴かれても迷惑です」
「…………」
「ケータイの着信を参考にしてもいいですよ」
そんな風に苛めていると先輩の制服のポケットから、脳に響くような電波ソングが流れた。
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