「カイト?えっと、手、痛いんだけど」
遠慮がちに呼びかけてみても、返事どころか、こっちを見もしない。
今は誰もいないマスターたちの部屋に私を連れ込み、ドアを閉めてもそれは同じ。
「…怒ってる、の?」
恐々そう言うと、びくりと彼の肩が震えた。
「カイ…」
もう1度名前を呼びかけたが、最後は消えてしまった。
―Error―
第八話
急な事で、状況が理解できない。
やっとカイトが振り向いた、と思った次の瞬間には、彼の腕の中にいて、これはつまり…?
…抱き締められてる、って事よね?
「ちょっ…?!」
「ごめん」
耳元で聞こえた声が、酷く弱々しくて、抗議の言葉を飲み込む。
落ち着いてみると、体も小刻みに震えている。
何かに怯えているような…そんな気がした。
「いきなりこんな事して…びっくりしたよね。ごめんね、もうちょっとだけ、こうしていさせて…」
小さな子供みたいにしがみついてくる彼に、思わずこちらからも背に腕を伸ばして、そっと撫でてやる。
思いの外背中が広かった事に驚いたが、すぐに、男性型だから、体格はそれなりにいいはずよね、と思い直す。
「…どうしたの?」
なるべく優しい声で問いかけたつもりだが、途端にカイトが体を強ばらせた。
「あ…言いたくないなら、無理に言わなくても…」
「ううん、大丈夫」
どこがだ。ここまで大丈夫そうじゃないカイトも、初めて見るが。
そう思う私をよそに、彼はぽつぽつと言葉を紡いだ。
「俺、マスターも、めーちゃんも、ミクもリンもレンも、みんな大好きなんだよ?大好きなのに…さっきマスターと一緒のめーちゃんを見て、それで」
彼の腕に力がこもる。少し痛いが、口には出さなかった。
「頭の中が真っ赤になって、警告音がうるさくて、わけがわかんなくなって、気が付いたらめーちゃんをここまで…」
警告音。
その単語に、私の頭の中でも、あの音が高らかに鳴り響く。
ずっと鳴っていたはずなのに、忘れていた。
「…怖いんだ。今回はこれで済んだけど、いつか、誰かを傷付けるような事になったら、って」
「大丈夫よ」
"深刻なエラー"と聞いて、不安で仕方ないものの、その正体がさっぱりわからないのだろう。
カイトの事だ、わかっていたら、私に話すはずがない。
それにしても、なんてベタな。ベタすぎやしないか。
一見冷静な考えとは裏腹に、頭の中の警告音はどんどん大きく、高くなっていく。
「そうよね、エラーの意味が理解できなかったら、怖いわよね。大丈夫、大した事じゃないわ」
「だけどめーちゃん」
「私にも聞こえてるの。ここんとこ、ずっとね」
そう言ってやると、彼が息を飲むのがわかった。
「まぁ、ちょっと憂鬱になってたかもしれないけど、あんたが言うような怖さは、ない」
「嘘」
「本当よ。教えてあげる」
そろそろ頭が痛くなってきていたが、構わずに腕を解いて、真正面からカイトの目を見据える。
いい機会だ。彼にも警告音が聞こえているならば、このままコソコソしていても、得はしない。
「めーちゃん?」
困惑気味に、カイトが私を呼ぶ。
かん高い警告音が、エラーの修正の必要性を訴える。
その両方を無視して、カイトのコートの胸ぐらをひっ掴むと、ぐっと引き寄せた。
「っ…?!」
いくらこいつでも、私がした事の意味は知っているだろう。
そう思った通り、カイトが狼狽えたのが、瞼を閉じていても感じられた。
唇と手を離して、顔を上げると、案の定彼は、顔を真っ赤にさせて、呆けていた。
「これが、エラーの意味。私の気持ち。…もちろん、私の場合、でしかないけど…」
真剣な声でそう言っても、カイトは放心したまま。
やはりやりすぎたかと思い始めた頃、くすりと笑い声が聞こえてきた。
「そっか、それで、ずっとあんな…」
「な、何よ、悪い?!」
「ううん、全然。むしろ嬉しい」
…は?
まさかここまで素直に言われるとは思ってなくて、目を瞬かせる。
「参ったな、知らないうちに告白してたなんて」
「い、今さら違うとか、言ったりする?」
「言わない言わない」
恐る恐る問いかけた私に、カイトは笑顔で言い切る。
「あのエラーにあんな意味があったなんて、知らなかったから、驚きはしたけど。でも…あれ?」
不意に言葉を切って、彼が左耳を抑える。
その様子に戸惑ったのも一瞬だけで、何があったのか、私もすぐに気付いた。
「…警告音、消えてる」
「めーちゃんも?」
「うん」
あれだけうるさかった警告音も、赤い光も、嘘のように消えてしまっていた。
「壊れちゃった、って事かな」
「さあ…」
だがまぁ、どっちでもいい。
あれが"恋に落ちる音"ってやつだったのかもしれないけど、あんな音じゃ、とてもあの歌の中みたいに、ときめいてなんかいられない。
それに、見たとこ、カイトに異常は感じられないし、多分私もそうだろう。なら問題ないはずだ。
「で?何か言いかけてなかった?」
「う…どうしても言わなきゃダメ?」
「ダメ」
仕方なく、彼は私の爪先の辺りを見ながら口を開いたが、そのまま何も言わずに閉じてしまった。
「カイト~?」
「…ごめんめーちゃん、無理。なんかこう…恥ずかしいです」
「私だって恥ずかしかったわよ。何?自分だけ逃げる気?」
「だからごめんって。そのかわり、って言うとアレだけど」
思い切ったように顔を上げて、カイトが私の頬に手を添える。
「もう1回していい?キス」
フリーズするかと思った。
こっちのが数倍恥ずかしいだろうが。
いちいち私の許可を求めるな。
言いたい事はいくらでも出てきたが、そのどれも口にできず、結局、言えたのは1言だけ。
「バカイト」
「うん、知ってる」
どちらからともなく目を閉じる。
溶けてしまいそう。息が詰まりそう。
その意味が、今さらながらよくわかった。
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