気まずいかんじではないけど、なんだかやりにくいな……と思っていた。嫌なかんじではないんだけど、私は罪悪感が少しあるみたいで。
なので、あんまり話もしないでここまで歩いてきた。思っていたよりも酔っていたみたいで、まだ顔が熱い。ここから駅までは五分十分程度なので、ちゃんと時計を見ていれば終電云々は関係ないし。歩いても帰ることはできるけど。どうせ私はひと駅先なだけだし。
火の点いたタバコをふかしながら空を見上げる。本当に風の強い夜。雲の切れ間にちらちら見える夜空を星が流れていく。一緒に帰ることになり、なしくずしにここまで一緒に来ているあの子は今、コンビニに買い物しに行っている。そういえばあの子タバコ吸う子だったっけ?
だから、私はひとりだ。ひとりでただ、風になびく髪を少し鬱陶しく思いながら空と音を立てて揺れる木々を見ていた。
――車のライトが通り過ぎて、消えた。
「先輩、ただいまです」
「あ、おかえり」
冷たい缶コーヒーを差し出される。受け取って頬に当てると気持ちいい。
ひと息ついて私も気持ちがほぐれたのか、話す余裕が出てきたみたいで。話しかけられるままに彼としゃべっていた。どうでもいい話。今日の飲み代が万馬券だったこととか。
楽しい、と思うし嫌じゃなかった。
私がずるい言い方で振ったりしたこともあったのに、どうしてこの子はこんなに気安く話しかけてきてくれるんだろうと少しだけ思った。
ちょっとだけ意識している心の一部が、変な反応しそうなのを抑えつける。
そんなわけないでしょ。
バカなこと考えてるんじゃないの。
あんな目にまた合いたいの?
――ううん、もう二度と嫌。
でも。……なんでもない。なんでもないんだ。淋しいだなんて思ってなんかいないんだ。
なんだかふたりとも沈黙が怖いとでも思ってるみたいに、どうでもいい話を続けていた。
話が途切れたら、なにか嵐が吹き荒れてしまうんじゃないかとでもいうかのように。
彼女が何本目かのタバコをゴミ箱に捨てる。僕が何度試してもダメだったのに、この風の強い中一発で火が点くのはどうしてだろう……。
やっと笑ってくれたりしたことが嬉しかったけど、会話が途切れるのが怖かった。微妙な距離感があるって意識し始めたらもうダメで。僕はもっと近くに行きたいと思っていた。
あの風になびいている髪もまとめて抱きしめて。
この激しい夜にまかせて君の手を握り締めて。
そんなことばかり思い浮かんで、鼓動が早くなるのを止められない。ああ、ダメだダメだ、下手に動いたらもう本当に側にいられなくなるかもしれないのに!
「先輩、風が強くて聞き取りづらいんで、もうちょっと近くに座ってもいいですか?」
「え、あ、うん」
思い切って言ったひと言は、すんなり受け入れられてしまった。
「なにか嫌だったら言ってください」
そう言って僕は――今まで正面のベンチに座って向かい合わせだったんだけど、彼女の隣に座ったんだ。
ほんの少しだけれど彼女の温度を感じるような気がする。僕は変態かもしれない……。
「こんな風に話すのって久しぶりだね」
どこか遠くを見て彼女が言う。すました顔で、タバコをふかして。
そうかもしれませんね、とその視線の先を追うけれど、ただ雲の切れ間から星が見えるだけだった。
ものすごい速さで、雲が藍色の空を流れていく。
先輩が、タバコの箱を取り出そうとして、落とした。それを拾おうとした僕と、先輩の手が触れてしまった。
その前後になにを話していたかなんて、吹っ飛んでいった!
触れて思わず握り締めてしまって。
まだ中に数本入ったままの箱はそのまま転がっていってしまうけれど、そんなことどうでもよかった。
「ご、ごめんなさいっ」
「いやいいよ、大丈夫……」
「先輩って、冷え性ですか?」
彼の口をついて出た間抜けな言葉に笑ってしまう。落とした瞬間たまたま握られてしまった私の手は、確かに冷たいに違いない。そうだよ、冷え性だよ。
そんなことはどうでもいい、どうして私はすぐに離してと言わなかったの? なんでちょっと嬉しいと、本気で思ってしまったの? これも全部お酒のせいにしてしまえば楽になるって、わかってる。
先輩は嫌がらなかった。だから握ってしまった手は、離さなかった。酔いにまかせているんだって自分に言い聞かせて、さらさらしてひんやりした考えてたよりもずっと小さな手を……。
あ、もうダメだ。抑えきれないかもしれない。でも、口をついて出た言葉は間抜けなひと言で。
「冷え性の手って嫌い?」
「い、いえそんなことないです、それより寒くないですかっ」
「えっ、あっ」
お酒って怖いかもしれない。
……そっと、抱き寄せられた。言葉とは裏腹にすごく優しくて驚いた。そしてその胸は思っていたよりもずっと広くて、大きくてどうしよう……って私、は。
これがもしもあのことが起きていない別の世界の出来事だったらすごく素直に幸せそうにできたと思うし、そうだったらいいなって思う。でも、本当の私はため息ばかりついている気がする。
「こんなことして、君が寒いんじゃない、の?」
「大丈夫……です。僕はそれよりも」
「それよりも?」
「ごめんなさい、もう抑え切れそうにないよ」
急に彼が、タメ口になった。
ざあっと、風が吹いた。
もうこの猛る胸が押さえきれない。ずっと、色々、我慢していたから。
「本当に嫌だったら突き飛ばして、ビンタでもして」
「ちょ、いきなりそんなこと言われても」
もう全部お酒のせいにしてしまえ。
「先輩、まだ僕はあなたが好きです」
――ほんの少しだけもがいていた彼女の動きが、止まった。
「いつもつまらなさそうにタバコふかしてるのも」
それがチャンスだとばかり今まで言いたかったことを言ってしまう。言ってしまえ。
「すました顔でいるのも」
「……」
「全部、強がりでしょ?」
「そんなこと、自分でも解ってるよ!」
僕の体に包まれたままで、君が言う。もうもがいたりしていなくて、目を真っ直ぐに見ていた。
「先輩に色々あったのは、少しなら知ってる」
「あ……なんで」
「もちろん全部は知らないけど!」
知らないけど、そのことが原因で色んなこと誤魔化して無駄口叩いてタバコばっかり吸いながら猫背でため息ついて、すました顔して。そんな風にひとりでも平気だみたいなスタイルで毎日過ごして……。
誰にも、心の中を見えそうで見えないような、そんな強がりばかり気取っちゃって。
「僕にとっては申し訳ないんだけど先輩のことが好きだってことには、些細な事情なんだよ」
怒られても仕方ないって思った。これって色々あったのもどうでもいいって言ってるも同じだから。
でも、そうやってあのころを些細な事情だなんて言われても私はなぜか怒らなかった。
ぐるぐる、ぐるぐる、あの時のことが頭の中を嵐のように駆け巡っていく。真っ白になったあの時のあいつの顔、もうすっかり忘れていたはずの修羅場。
それだけじゃない、色々、たくさん。
あのこと以前の思い出やあのあとに告白された時のこと。
何度ごめんなさいを言っただろう? もちろんこの子にも言ったんだ。
「些細な、事情か……」
「先輩にとっては、すごくつらかったのはわかってる!」
「う、うん……」
「でも、そんなこと関係なく、僕は先輩のことがまだ好きなんだ」
「……」
「まだ、ひとりで生きてけるだなんて、まだ彼氏なんていらないとか思ってる?」
と、そこでタメ口になっていることに気づいたのかあ、と、彼は声を上げた。
「す、すいませんなんか色々、うん、色々」
「どうしてここまできてそうなるかなあ」
笑ってしまった。
いきなりこんな風に抱きしめてきた癖に、抜けている。
私の心の奥の奥まで探ろうとしているのに。
――ああ、そこまでしてきた人って、あれからいたっけ?
「いいよ、もう。全部お酒の勢いだとしても、なんにしても」
もう、大丈夫な気がする。ここまでされちゃったら嵐ですべて嫌な記憶も吹き飛んでいったよ。
「だから……」
その時ひと際強い風が吹いたから、最後の会話は誰にも聞こえない。
さらに深くふたつの影が重なって。
からん、と空になったコーヒー缶が、転がった。
『Cyclone』了
参考・感謝
『初音ミク・レン』Cyclone(ver2)『オリジナル』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2309241
作詞・作曲・編曲:黒うさP
唄:初音ミク&鏡音レン
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