ちょっと一休み・悪ノ娘と呼ばれた娘 前編
それはちょっと昔の黄の国のお話。
むかしむかしのほんの少し前。
大きな大陸の大きな王国は、砂漠に暴れ川、険しい山脈に海の向こうの豊かなライバル国と、かなり厳しい状況を抱えていました。
そして、その国の頂点に君臨していたのは、まじめで呑気な王様でした。
齢四十四の王夫妻。女で身を崩した王の伝説は古今東西耳ダコですが、この王様のことを、のんきな国民たちはこう噂していました。
「史上初の、子で身を崩した王になる」
季節は初夏。明るい日差しと春の大風が去った黄の国では、小麦の収穫を迎え、国全体が光の金色に染まっていました。新緑の緑に明るい日差し。この国の一番美しい季節です。
黄の国の王宮の、明るい中庭にも柔らかな芝が生えそろい、この国の双子の王子と王女が元気に走り回っていました。元気な歓声があたりにこだまします。
その光景を、王宮で会議を終えた十二人の諸侯たちがほほえましく……見守って、いませんでした。
彼らの目は、はしゃぎまわる子供たちではなく、全員屋根の上に向けられています。誰一人、笑ってなど居ません。真剣な表情で、または、北風に耐えるように自らの体を抱いて、もしくは額に脂汗を浮かべ手に汗を握り。
ついに恐怖に耐え切れなくなったひとりが、大声でさけびました。
「王様――――――! ボールはいいですから! もう、いいですから! お願いですから、降りて来てください――――――!」
「だって、リンたちとボール遊びしようって約束したんだもん」
「それが齢四十四の言い訳ですか! 」
ホルストという名の諸侯の一人が、降りてきた王に詰め寄ります。結局王が無事に地面に降り立ったのは半時も後のことでした。当然、その過程はとても無事とは言いきれません。一度足を踏みはずし、二度手を滑らせ、三度目に地面に最短距離で到達しました(落下とも言いますね)。王の代わりにシャグナという諸侯の一人がその場に倒れました。
「約束を破るのは教育上よくないだろう?」
「素人が屋根に登るのもよろしくありません!」
「いいじゃない、こうして私は無事なのだから」
「良い訳ないでしょう! 王に何かあったら、誰がこの国をまとめるのですか!」
言い訳して、良い訳。
『歩く角笛』と渾名されるホルストの怒声に思わずにやりと笑ってしまい、王は思い切り彼ににらまれてしまいました。
この渾名を彼につけたのも王です。曰く、諸侯たちを一声でまとめる力量。そして、無駄に大きい声量。いはんや、怒り声をや!
「まあ『角笛』。お前の体格でそう怒鳴るな、暑苦しい。ほら、あの子等の心休まる笑顔を見てごらん」
思わずこのやろうと怒鳴りそうになったホルストは、そのままの表情で遊んでいる子供たちと王妃をみやりました。
びくりと顔を引きつらせたのは王子のレンだけでした。王妃とリンは、そのホルストににこにこと手を振ります。王が先ほど命がけで拾ってきたボールを弾ませながら。
「王様! 遊びましょう!」
リンが王とホルストのほうへボールを放りますが、力足らず、未だ倒れていたシャグナを直撃しました。他の諸侯は王の無事を確認した後すでにこの場から逃走しています。けして小ずるい所のあるシャグナを見捨てたわけではありません。ホルストの怒声がうるさすぎるということです。それは誰も責めることは出来ません。事実ですから。いよいよ瀕死のシャグナのもとへ、やっと医師がかけつけました。
「は、あ、い!」
王が駆け出し、医師をつきとばしました。老医師が悲鳴をあげて転びます。王にはボールと可愛い王女しか見えていません。
「させるか!」
同時にホルストも地面を蹴りました。彼には王とボールしか見えていません。シャグナの手を踏んづけ、地味な悲鳴が地面に吸われて消えました。
「王! 」
「邪魔をするな、ホルスト! 」
……この後の政務も山積みなのに、ここで王にボールをわたしたら本日の仕事は終了だ。
……ここでボールを手にすれば、王族四人に諸侯のホルストが勝てるわけが無い。
……仕事しろ!
……権力万歳!
「「ボールを渡してなるものか!!」」
王とホルストの熱い視線が交錯しました。二人の手がボールに伸びます。
「!!」
そのとき、颯爽と風が吹き抜けました。しなやかな手が、鮮やかにボールを確保しました。
「……王妃!」
にこり、と、王妃が、汗まみれの男四人に向って微笑みました。
四人。
味方の快挙に汗だくになりながら笑う王、呆然とするホルスト、ぎっくり腰に呻く老医師、意識を失ったまま脱水症状に移行しつつあるシャグナ。
「ホルスト殿。まずは、同僚のシャグナ殿を助けてあげてください」
涼やかな王妃の声に、我に返ったホルストが、まず医師を助け起こします。
「そして、王様」
「……はい」
王妃はにっこりと微笑みました。
「屋根に登るなど、王のすることではありません」
……いいぞもっと言え。
ホルストは王妃の言葉にうなずいていました。王妃はどうやら、やたらと子供に甘い王の手綱を締めてくれそうです。
「リン。これからは、自分で取りに行きなさい。ボールを屋根に上げたのはあなたでしょう」
「うん! 」
「ええぇそれも違うでしょう?!」
前思考撤回。齢四つの王女が元気にうなずき、思わず全力で叫んだホルストに、あわれシャグナの意識はその鼻息で再び天高く吹き飛ばされてしまいました。
「ホルスト殿。あなたのお気持ちはよく分かります。王様、今日の騒動のお詫びに、どうぞ本日は月の昇るまでお仕事なさいましな」
砂漠でたどり着いたオアシスのように、王妃の言葉はホルストの心を穏やかに満たしました。
……ほんの、一時の後、まだ陽の沈まぬ中庭で、元気にボールを弾ませる王と子供たちの姿がありました。
「……王妃様」
どうやら王妃様は、体育会系の上に策略家でもあるようでした。
半分欠けている白い月が、昼の抜けるような青空にぽっかりと上っていました。
呆然とたたずむホルストの後姿を、背後から見つめる者がありました。
「……おのれ、ホルスト。」
それは、未だ青い顔をした、シャグナでした。全力で、逆恨みの最中のようです。
……後編へ、続く! →
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