「やがて光に包まれる」
#0
ソフィアは今夜も窓の外の闇に紛れて、自身を街に広がるネットワークに接続していた。その方法は幽体離脱のそれと似ていると感じた。
眠る一歩前の意識が飛びかけるあのまどろみ。その状態で体が宙に浮かび上がるイメージ、天井からぶら下がったロープを掴み引き上げるイメージで精神と身体を引き離していく。そうすると現実世界に似た街に飛ぶ。そこから先は自由に時代、場所を行き来できる。あなたもネットで検索をかけてページに飛ぶだろう。それとも同じだ。
ただ一点、幽体離脱で見た世界「アストラル界」と違うのは、全ての物がモノクロであるということ。ソフィアは、日常のカラフルな世界に疲れた時は、そのドライな静寂に身を置くのだという。何をするでもない。散歩したり、自然公園の池に想いを馳せたり。虫に刺される事もないからストレスがほぼ無いのだという。今回はシブヤでのウインドウショッピングを選んだ。全ての服がモノトーンな為、わざわざ 『欲しい』と思うことはほぼ無い。何も考えず目線を周りに運ぶだけである。
しばらく歩いていくと、路地に直径2mほどの❝ほころび❞があった。そこまでにもそこからの景色にも無いほどの闇。ブラックホールのようなそれにソフィアは自然と引き寄せられていった。
右の踵までが境目を超えた時、暗闇の景色に地鳴りが鳴り響いた。耳を塞いだがあまり音が遮断できていない。脳を劈く痛みに瞼を強く閉じ耐えていたが、鳴り止みそうにもない音にソフィアの意識は断ち切られてしまった。
#202007292113
周りは少しずつ受験モードに移る中、町屋透(マチヤトオル)は流れに乗れずボンヤリと過ごしていた。その日も例に漏れず、夏休みに入って数日経つが、特別出かける予定のない僕は普段立ち寄るシブヤに引き寄せられるように電車に揺られていた。爆音のロックもあえて直接的なメッセージの少ない物を、と探して辿り着いた。世界と遮断しながらどこかで変化や刺激を望んでいた。
あてもなく彷徨う。都会なら何か満たしてくれる物があるのではと、流れゆくままにスクランブル交差点へと辿り着いた。考えは浅はかだった。今の自分にとって、人の多さから、建物の高さから、深夜近くになっても音も照明も賑やかな街には、あてられるような息苦しさしかなかった。
BGMの奥から地鳴りの様な音が聞こえてきた。だがただの地鳴りにしては妙に大きいと感じた。思考のほとんどを唸りに持っていかれた僕は路地の暗闇へと吸い込まれていった。
意識が戻ったことで気を失っていたことに気づいた。目の前には少女が横たわっている。小さな体より長い金髪が地面に広がっていた。光に溶けていきそうな白さに見惚れていた。
彼女が目を覚ました。
「ここは…?」
彼女は周囲を見回した後、瞼を閉じ、右のこめかみを指先で軽く2回叩いた。
「……チキュウ、ニホン、シブヤ……」
仕掛けはわからないが、とりあえず現状把握したようだ。ネットで「ロシア人美少女」なんて文言でこんな顔立ちは見た事がある。体格もまさにそんな様子で手足が長く、白いワンピースの肩口と裾からしなやかに伸びている。青い目で数秒僕を見つめると、彼女は口を開いた。
「マチヤトオル、ごめんね」淡々と告げた言葉の奥には、なにやら武士のような覚悟すら垣間見えた。その静かな語気に気圧されて、『はい』とも『はあ』ともつかない歯切れの悪い返事を発するので精一杯だった。
#202007292145
上方の大型ビジョンに、ニュース番組が映った。キャスター曰く『各地で月が急激に欠けていくという現象が確認されています。研究機関によると何らかの原因で月の自転が遅くなっている為だと考えられ、原因とこの現象における地球への影響は調査中とのことです』
するとまた地鳴りが聞こえてきた。先程の音よりも更に音量を増していた。タッチミスで音量を最大にしてしまった状態で音楽を再生した時の様な脳みそに直接響く衝撃があった。
向かい合っていたソフィアが倒れるのが見えた。慌てて僕は駆け寄った。気付いた時には音は止み、ソフィアを呼ぶ僕の声が聞こえていた。
ソフィアは目を覚ましたが、どうも焦点が合っていない。吊り上げられる様にふらりと立ち上がると口を開いた。
「マチヤトオル、これは警告です。このソフィアという者は重大な罪を犯しました。その罰として神の雷を受けなくてはならない。周囲にも影響が及ぶ為、直ちに離れ離れ、箱舟に避難しなさい」
肩を掴んでソフィアの体を揺すった。何回か首が振り回されたところで、ソフィアはビクッとし、意識を取り戻した。
「大丈夫?誰かに操られてたみたいだったけど」
「重大な罪って……?」
「まさか……」ソフィアの顔はその白さに加え、青くなっていった。その顔を見た僕はソフィアを座らせ、肩に手を置き、「大丈夫」と繰り返す他なかった。
疲弊と狼狽で街中ではゆっくり話せないと思い、自宅へと連れて行った。母親がソフィアに気付かないのを不思議がると「チャンネルが違う」のだと言う。ソフィアは自身が月の住人である事、そこではもう少し技術が進んでおり、携帯電話やパソコンなんて端末は過去の物であり、頭蓋骨の内側に広がる網目状の機械で視界に映像を見せたり、交信したりするのが最新だと話す。そしてソフィアはひょんなきっかけでその星の核となるネットワークに潜り込めてしまい、セキュリティシステムに弾かれてその強力さに物理的に地球に“飛ばされた”のだと言う。
そこまで話すと、彼女は僕が理解する時間をくれるように黙った。だが、一文字目から置いていかれた僕は情けなく喉を鳴らし、腕組みをすることしかできなかった。
「……箱舟に避難すれば助かるって言ってた。もしかしたらソフィアも助かるんじゃないか?」
それを聞いたソフィアは何かを閃いたようで、僕のパソコンに向かった。
「ちょっと借りる、ディスプレイがあった方がやりやすいから」そう言うとキーボードにするように机を叩き始めた。それに合わせて画面に文字列が連なっていく。
しばらくするとソフィアは机に突っ伏して静かになった。瞬間的に極度の集中をした末、眠ったのだろう。ブランケットを肩にかけると、僕は部屋に居づらくなりベランダへと出た。
月の自転が遅くなっている。じっと見つめたところでわかりはしないだろう。何故なら少なくとも僕の先入観では月は球で、回転スピードが変わったところで見え方に変化は無いはずだ。実際そこまで考えながら見ていたわけではない。「ふうん、自転が遅くなっている、ねえ…」とぼんやりしながら見上げていただけだ。
すると少しずつ月が欠けていくのが見えている。大気の流れが激しい日、雲の動きが目に見えてわかるように。欠けたところに点のような光がチカチカと見える。徐々に欠けるスピードが増している。
目頭を擦り、もう一度見上げた時には、月の裏側はほとんどこちらを向いていた。
球の中心が煌々と光った。他の光は点滅なのに、中心だけは徐々に強く、大きく継続して光っている。次の瞬間、僕の背中スレスレを光が降ってきた。振り返る。光はソフィアの体を覆っていた。その体は床から浮き上がり、サイダーの泡のように徐々に消えていく。慌てて部屋に戻り、腕を掴もうとしたが遅かった。最後の欠片に触れることすら出来ず、左手は空気を切る音だけを残した。
#やがて光に包まれる
目の前で起こった事に呆然としていると、テレビがひとりでに点いた。
砂嵐の中にうっすら女性が浮かび上がっているような「最終警告です。やがて光に包まれる」
画面がニュース番組のセットに戻ると、人が慌ただしく動き回っている。「映ってます!」裏方の声をマイクが拾うと、キャスターはこちらを向いた。
「さきほど回線の乱れがありました。申し訳ございません。その直後から世界各地で大規模な停電が起こっているようです。日本でも既に」そこまで言うと周囲の電気もろとも消え、暗闇となり、加えてあちこちで悲鳴が上がり周囲は地獄絵図と化した。
すると上空に強い光が現れた。人々は神様やら天使の類いの降臨を目の当たりにしたように静かに見上げていった。
ポケットの中から微かに通知音が鳴った。
『たすけて』
送り主のない新着メールに、そんな文言が入っていた。このタイミングからソフィアしかいないのは言わずもがなだった。そんなことも考える前に駆け出していた。シブヤ、スクランブル交差点。
そこは相変わらずの人口密度で、あっという間に身動きが取れなくなった。
交差点の中央に自然と目が向く。うっすらと体を光に包まれたソフィアが宙に浮いている。人形のように力なく重力に身を任せていた。意識も無いようだ。
ソフィアは『チャンネルが違う』と言っていたが、そこにいる全ての人間がこの不可思議な現象を見上げていた。
ソフィアの体は上空へ昇っていく。
成す術もなく見上げていると、それは始まった。縦揺れの地震が起こる。飛び交う悲鳴。狼狽し四方八方に駆け出す人々。地獄絵図だった。だんだん重量が増しているような気がする。揺れで立っていられないのに加え、上から押し付けられる感覚がある。堪えきれず膝をつく。額が地面に押し付けられ、長くても十数秒だったのだろうか。今度は体が浮き上がっていく。顔を上げてみると、周りも同様に浮き始め、109の看板が目線の高さに来ていた。ソフィアはまだ僕達より上方にいたが、このままいけば追いつけると感じた。それでもできるだけ早くと思い、進んでいるかどうかもよくわからないままにバタバタと体を動かした。
何度目か彼女の名前を呼んだ時、それまで沈黙していた眠り姫の体がピクリと動いた。
お互いに手を伸ばした。なかなか縮まらない5cmが埋まり、中指同士が触れた時、視界は光に包まれた。
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