第一章 逃亡 パート13

 「このお時間に、ご面会ですか?」
 闇夜に消えかかりそうな弱々しい照明に照らされた牢獄塔の一階、衛兵の待機室で退屈そうな欠伸を漏らしかけていた、牢獄塔の衛兵隊長であるヘッセン少佐のアレクに対する第一声はそんな内容であった。日も暮れたこの時間に、しかも完全な武装をして訪れる心理は通常に考えたら想定できないだろう、とアレクは考えながら、きっぱりとした口調でこう答えた。
 「メイコ副総統に最期に一度だけお会いしたい。」
 そのアレクの言葉に、ヘッセンは神妙な顔つきをして見せた。旧黄の国の関係者ではなくとも、メイコとアレクの関係を知らない者は存在しない。だが、それでもヘッセンは生真面目で堅苦しい帝国軍らしく一つ大げさに咳払いを起こすと、アレクに向かってこう答えた。
 「申し訳ございません、アレク隊長。規則では罪人との面会は日が暮れるまでとなっております。」
 「君が職務熱心であることは重々承知している。」
 アレクはそこで、非難をかわすようにやんわりと瞳を綻ばせた。その柔和な態度にヘッセン少佐も僅かに瞳を細める。続けて、アレクはヘッセンに向けてこう告げた。
 「全責任は私が取る。」
 このような時、赤騎士団隊長の立場は非常にありがたい、とアレクは内心で考えた。赤騎士団隊長の立場は帝国の軍事階級上少将に相当する立場である。ゴールデンシティ総督府においては、アレク以上の階級の人間は総督軍を取り纏めるブレーメン中将と、大将階級であるメイコ、そして元帥であるシューマッハの三名しか存在していない。実権は少なくとも、階級だけ見れば相当の地位にアレクは位置していたのである。
 じり、と牢獄塔の照明に利用しているカンテラの炎が燃えた。僅かな黒煙と共に、焦げ臭い仄かな香りがアレクの鼻腔をくすぐる。そのまま、沈黙。場合によっては、この場で斬る。アレクがそう考えながら十数秒の時が流れたとき、ヘッセンが諦めた様子で溜息を漏らすと、アレクに向かってこう言った。
 「では、特例として。」
 ヘッセンはそう告げるとそれまで腰をかけていた、使いこなされて変色した木製の丸椅子立ち上がると、続けてこう告げた。
 「但し、私も同行するという条件付で。」
 ヘッセンはそう言いながら、敢えて見せ付けるように左腰に佩いたバスタードソードの柄先を左手で軽く撫で付けて見せた。不審な態度があれば、すぐに反逆と看做す、ということだろう。続けてヘッセンは一名の大柄な兵士に同行を命じ、残る兵士に向かって何点かの指示を出した。その後ヘッセンと大柄な兵士がさりげなくアレクの両脇を固めるように位置を取ると、アレクに向かってこう告げた。
 「それでは、ご案内致します。」
 その言葉にアレクは一つ頷くと、先導して歩き始めたヘッセンの右腰に映る銀色のリングを目撃して、内心でほくそ笑んだ。そして却って好都合だと考える。あれは恐らく牢獄の鍵束だろう、と推測したのである。牢獄衛兵の規則上も、衛兵隊長に任じられたものが鍵の一切の管理責任を持つという規定になっている。その意味合いから考えればヘッセンが肌身離さず鍵を持ち歩いているということは理に適っていると言えるだろう。アレクはそこまで考えてから、鍵束らしきリングから視線を逸らした。あまり凝視していると余計な不信感を与えかねない。とにかく、メイコ隊長が収監されている三階の牢獄までは大人しくしていることだ、とアレクは考えながら、螺旋状に伸び上がっている牢獄塔の階段へとその脚を踏み入れた。一段一段、踏みしめる毎に戦の緊迫感がアレクを包み込んでくる。そのアレクの様子に気が付いているのかいないのか、アレクの前を歩くヘッセンの歩調が変化する気配もない。それは後ろの、どうやらアレクとほぼ同サイズの大剣を装備しているらしい大柄の兵士も同様であった。ただ、後ろの兵士からは何かあればすぐに斬るという殺気だけは強く感じてはいたが。
 「もう、まもなくです。」
 階段を上り続けて数分後、ヘッセンが何かを思い出したかのようにそう告げて、そしてアレクを振り返った。アレクよりも三歳ほど年長であるヘッセンの横顔が螺旋階段の壁際に備え付けられているカンテラの薄い明かりに照らされて映る。そこでヘッセンは僅かに口元を緩めると、懐から懐中時計を取り出しながら、こう告げた。
 「面会時間は三分とさせて頂きます。」
 律儀な奴だ、とアレクは舌打ちの一つでも放ちたくなったが、その心理を喉元で押し留めると、ヘッセンに向かって僅かに頷く。それを了解の意と看做したらしいヘッセンはそこで満足そうに頷くと、三階部分、尤も罪の重い罪人を閉じ込めておく階層へと足を踏み入れた。
 「メイコ副総統は、この一番奥の部屋に監禁されております。」
 続けて、ヘッセンはアレクに向かってそう告げた。仕掛けるのはいつか、とアレクは考える。まだ、早い。冷静に観察すれば、アレクの背後に位置している大柄な兵士のほうがヘッセンよりも腕が立つらしいことは洞察できる。だからこそヘッセンもこの兵士を同行させたのだろう。一対一ならこの兵卒如きに敗れるわけがないが、流石に背後を取られている状態で事を起こすには危険が大きすぎる。
 「誰?」
 アレクがそう計算を立てたとき、か細い女性の声がアレクの耳に響いた。その声につられるように、アレクは声の方向へと視線を送る。薄暗い半月に照らされた赤髪。その情熱を誇る髪の下に見える、白磁のような美しい肌。愛する女の顔。
 「アレク・・。」
 詰まったような声で、メイコはそう言った。まるで、群れからはぐれた小鹿のような表情で。
 「メイコ隊長。お久しぶりでございます。」
 そのまま、アレクは自身とメイコを隔てる鉄格子へと駆け寄ると、その冷たい鉄棒の一つをしっかと握り締めた。そのまま、出来うるところまで顔を近づけ、続けてこう言った。
 「メイコ隊長。一体何があったと言うのです。」
 「・・私は、また裏切っただけよ。」
 そう言いながら、メイコは僅かに視線をアレクから逸らした。嘘を付いている。他の誰にも分からないかも知れないが、俺には分かる。メイコはこんな女じゃない。自身の行った行為に対して、それがどんな結果を呼ぼうとも後悔をするような女ではない。
 「明日、今一度シューマッハ総督にメイコ隊長の無罪を主張いたします。どうか、ご安心を。」
 「・・駄目よ。貴方の立場まで悪くなるわ・・。」
 アレクの言葉に向かって、メイコは視線をアレクに戻すと、続けてそう言った。その言葉が終わる間際に、メイコの口調が震えた。そのまま、瞳から一粒、大きな涙。
 「貴方は生きていて・・。」
 そう伝えることが精一杯だと言う様子で、メイコはアレクに向かってそう告げた。メイコが、涙を。その事実はアレクに対して多少なりとも衝撃を与えることになった。だが、だからこそ。俺が守らなければならない。アレクはがそう考えて鉄格子を握る手を僅かに強くしたとき、無情な声が背後から掛けられた。
 「アレク隊長。お時間です。」
 「メイコ隊長、泣き顔は貴方には似合わない。」
 アレクはヘッセンを無視するようにそう告げた。そして、メイコに向かって力強く微笑みかける。
 「アレク隊長。」
 苛立った様子で、ヘッセンはもう一度、アレクに対して鋭くそう告げた。その声を収めながら、アレクはゆったりと立ち上がり、もう一度メイコを視界に収める。これ以上涙しないように唇を真一文字に結んで震えるメイコに向かってもう一度だけ笑顔を見せると、落ち着き払った様子でアレクは振り返った。
 「待たせたな。」
 アレクはそう言いながら、瞬時に状況を脳内に叩き込む。大柄の兵士は自身の左手側。ヘッセンは右手側。
 「それでは、戻りましょう。」
 安堵したようにヘッセンはそう告げて、アレクに向かって背中を向けた。即座に左側を、瞳の動きだけで、確認する。大柄な兵士も、ヘッセンに合わせるように、視線を、一瞬だけ、アレクから、逸らした。
 刹那。
 この瞬間。
 アレクの鍛え抜かれた神経が震えんばかりに響き渡る。右手を構え、一息に大剣を抜き放つ。その反応に兵士が驚愕した表情をアレクに向け、そして自身の剣を構えようとした。だが、アレクはそのまま、兵士の右腕の肘から下を切り落とす。
 噴き出すのは兵士の激痛にまみれた絶叫と、兵士の右腕からまさに噴水のごとく湧き出す赤という赤を凝縮したかのような鮮血。五月蝿い声だ、とアレクは考えながら兵士の心臓へと向かってその血にまみれた大剣を突き刺し、そして抜いた。心臓を一撃で仕留められた兵士は声を上げるまもなく膝を突く。さらに心臓から噴き出す血を自身の身体全身で受け止めながらアレクは背後を振り返った。声も出ない様子で呆然とそのやり取りを眺めていたのはヘッセンの間抜けな表情。
 命を奪うまでもない、とアレクは考えると、剣の峯で真上からヘッセンの頭蓋に一撃を与えた。直後に力を失い、ヘッセンは無造作に床に倒れこむ。手加減したから死んではいないだろう。それよりも、先にやることがある。アレクは瞬時にそう判断すると、気絶したヘッセンの右腰に手を当てた。銀色のリング。鍵束だと推測をつけたそのリングに手をやり、そしてアレクは重々しい舌打ちを放った。
 「ダミーか。」
 それはただのリングだったのである。鍵など、一つも付けられていない。恐らく一階、衛兵の待機室に本物の鍵束があるのだろう。だが、今から戻る時間などない。
 「アレク!なんて無茶を・・!」
 メイコの声が背後から響いた。やれやれ、戦闘を見て普段の自分を思い出したのか、と呆れたように考えながらアレクはメイコに向き直ると、続けてこう言った。
 「少し、離れていてください。鍵を破壊します。」
 その言葉にメイコは素直に数歩引き下がる。鉄格子を縛り付けているものは精巧な造りの南京錠であった。剣でも破壊は不可能ではないが、とアレクは考えながらも、一番的確な選択肢は一つだけだな、と小さく呟きながら背中に背負っていたマスケット銃を取り出した。既に装填は終えている。
 「メイコ隊長、耳をふさいでください!」
 アレクはそう言いながら、南京錠の錠前に向かって銃口を向けた。こんな狭い、しかも反響性が高い石造りの建物内部で銃など放ったら、その反響音だけで耳がやられてしまう。自身には用意していた耳栓を押し込み、メイコが両耳をその両手で十分に塞いだことを確認してから、アレクは力強くマスケット銃の引き金を引き絞った。
 直後に、爆発するような銃声。耳栓をしていたにも関わらず、その音は強くアレクに突き刺さったが、それでも耳をやられるほどではない。それよりも、と考えながらアレクは南京錠を掴み、そしてそれを力任せに引っ張った。すると、鈍い音を立てて錠前が壊れる音が響き。
 開いた。
 アレクが安堵しながら鉄格子の扉を開けた直後、飛び込んできたのはメイコの完成しきった美しい肢体であった。そのまま、柔らかな温かさがアレクを包む。メイコがその身体をアレクに全て任せるように、アレクの身体を強く、もう二度と離さないとばかりに強く抱きしめたのである。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー ⑭

みのり「第十四弾です!」
満「諸事情あってコメントがかけない。」
みのり「そうなの!ばたばたしててごめんね。またね!」

閲覧数:158

投稿日:2011/03/19 23:32:25

文字数:4,600文字

カテゴリ:小説

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  • matatab1

    matatab1

    ご意見・ご感想

    『塔に囚われた大切な人を単身助けに行く』って、なんて美味しいポジションなんだアレク! と前々回辺りからニヤニヤしながら読んでました。

     今までは後手後手に回りがちだったけど、帝国への反撃の兆しが見えてきたので楽しみです。

    2011/02/13 11:26:42

    • レイジ

      レイジ

      ですよね?♪
      どこの騎士道物語だっ、という感じですが、暫くアレクの活躍をお楽しみくださいませ♪

      漸く物語が進んできた、と言ったところなので、次回も宜しくお願いしますね☆

      2011/02/13 18:55:00

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