死ぬか死なないか。見せ掛けの二者択一の人生を生き続けるくらいなら最後に遺書でも残してとっととドロップアウトが望ましい。死んだらやり直せないなんて保障はどこにもないのが不安だけれど、リセットでも電源オフでもどちらでもいいだろう。終わりよければ全て良し。終わらないのは遺書かそれとも人生か。あるいは続かないのが遺書かそれとも人生か。なんにせよ、遺書は終わらずとも人生は終わる。別に書けなかったところで死ねないわけじゃないのだから、どうでもいいのか。なんとも馬鹿馬鹿しい話だ。言い訳がましく生きてて、結局のところ死にたくないだけなのだ。メロスならこの辺で四肢を投げ出してやんぬる哉とでも呟くんだろう。ああ、馬鹿馬鹿しい。実にどうでもいい。
胸の穴底からこみ上げて来る空虚な笑いが口から思わず漏れ出た。一度漏れ出た笑いは塞ぐ気にも抑える気にもなれず、私の意志とは無縁なままに溢れ続けた。傍から見たら私はどうしようもない変人だ。何が面白いわけでも楽しいわけでもなく、ただ生理的に笑っている。息をするように笑っている自分が滑稽で殊更笑えてきてしまう。でも、このまま笑い死ぬのは嫌だなぁ。苦しそうだし。
「笑い死にってのは紀元前から存在するらしいぜ」
私の滑稽な姿に、彼はどうでもいいうん蓄を入れてきた。
「自分でくすぐっても頭が理解してるから感じないけど、他人がすると効果があるらしい。人間の脳って意外と出来てるんだぜ。中途半端だから死ぬのかも知れないけ」
「別にくすぐったいわけじゃないけどさ」
無限かと思っていたけれど、発作はもう収まった。
「じゃあ毒でも盛られたか、よっぽど面白いネタでも思いついたかどっちかだな」
「あーあ、疲れた。顎外れそう」
「そんな笑う奴、初めて見たよ。笑い死によりレアかもな」
「見たことあるんだ笑い死に」
「うちの爺さん」
相変わらずの軽口で答えた。
「呵呵大笑の意味を聞いたら自分の日記持ってきて読み出した。そしたら今みたいに笑い出して止まらなくなって、止まったときには心臓も止まってた。自分の思い出で笑って死ぬなんてとんだ大往生だ」
「そりゃ御愁傷様」
返す言葉が思いつかないので、そう言った。軽口だったかもしれない。
「大往生なんだ、御愁傷様じゃなくておめでとうと言って欲しいもんだぜ。もう何年も前の話だけどね」
「じゃあおめでとうございました」
「ま、嘘だけど」
「だろうね」
「はん、つまんねえの」
薄ら笑いを崩さず言って、おもむろに立ち上がった。
「止む気配無いな、雨」
「そうだね」
「一緒に帰る?」
「断る」
「事実は小説よりも奇なり、なんつうけど現実はこんなもんだよなぁ」
希も無し。
くだらなそうに言った。漢字で書くならばきっと希だろう。そう思った。
「俺は帰るけど、お姉さんはまだいるの?」
「あなたがいなくなってから考える」
「つれない答えだ」
彼はバッグから折り畳み傘を取り出した。
「傘持ってるじゃん」
「別に持ってないなんて言ってないぞ」
「じゃあなんで」
「普段と違うことをしたかったのさ」
軽口で言う。
「普段と違う道を選べば普段と違う景色が見えるだろ。じゃあ普段と違うことを続けてったらどうなるか。普段と違う道、普段と違う考え、普段と違う行動、普段と違う生活、普段と違う生き方。突き詰めていけば変われるって、そんな気がしない?」
「で、雨の中傘も差さない変人になったわけだ」
「差してたら変人扱いもされなかったけどな。人生なんてこんなもんだよ」
折り畳み傘を開き、ベンチの外へ出た。
「差すんだ、傘」
「ああ。もしかしたら雨宿りしてる女の子と出会えるかもしれないからな」
「前向きだね」
「後ろ向いてたら違う道も選べねえだろ。あ、今良い事言った」
「後ろ向いて適当に道選べばいいじゃん」
「……さすが詩人。視点が違うな」
「だから詩人じゃない」
「見る目だけは自負したんだけど、そこまで言うんなら違うんだろうな。反省だ」
「センスの欠片も無い人間にそんなもの書ける訳無いよ」
「やけに断定的だね、お姉さん」
薄ら笑いが大きく歪んだ様に見えた。
「まあいいか。じゃあ最後にかっこいいこと言って帰るよ」
軽口で、彼は言った。
「間違いだらけの選択も、悪くない」
「かっこ悪い」
「かっこいいよりも似合うだろ。じゃ、また明日」
最後の最後まで軽薄なピエロのままだった。
翌日も天気は変わることなく雨だった。梅雨なので別に不思議でもないけど、生活のしにくさは否めない。梅雨が明けたら今度は蒸し暑い夏だと思うと早めに死んだ方がいいのかもしれない。遺書が完成するまではそういう訳にもいかないけれど。
次の授業は社会学。早めに教室に入りいつもの場所に向かい、そのまま通り過ぎた。どうせ書いても思いつかないのだ。たまには違うことをしてみるのも悪くない。普段座ることのない後ろの座席の一つを陣取った。
3分前になるとぞろぞろと学生が入ってくる。高校までと違って自分の席なんて決められていないのに、彼ら彼女らは迷うことなく自分の席へと向かう。普段前にいる人間が突然後ろに来て自分の席に座っていたなんて彼ら彼女らからしたらどれほど不快なことだろうと顔色を恐る恐る伺いながらケータイをいじっていたが、誰も気にすることなく、各々の席に着いた。私の座るテーブルには、誰も座らなかった。
始業のベルが鳴り教授がやってきて授業が始まった。周囲の雑音で教授の声は大して聞こえないけれどなるほど、後ろから見る授業も悪くない。こうして周りが見えるのは中々目新しい。
そういえば昨日の彼の姿が見当たらない。休みだろうか。まあ、あんなずぶ濡れになれば風邪も引くだろうけれど。かっこ悪いにも程がある。かっこいいと思ったことは一瞬も無かったけど。間違いだらけの選択なんて、テストなら0点赤点満点だ。
10分もすれば目新しさも無くなり、気づけばいつもどおりメモ帳を広げペンを握っていた。
さて、心残りの夢の話でも書こうか。
なんて軽薄に心にも無いことを思った。
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