第十章 悪ノ娘ト召使 パート9
寒いな。
吐き出す息が白くなっていることに気がついたレンは、思わずその様に考え、あてがわれた古い毛布を身体に巻きつける様に抱きしめた。ここは牢獄。黄の国の王宮の前面にそびえ立つ囚人用の牢獄塔であった。リン女王として捕えられてから、どれくらいの日数が経過したのか。景色を眺めるには鉄格子付きの窓は狭すぎたし、時計と言う便利な道具もないから、せいぜい昼なのか、夜なのか程度の判断しか出来ない。おそらく、一週間近い日数が経過しているはずだ、とレンは推測して、これからどうなるのだろうか、と考えた。殺風景な石造りの床が寒さを増している様な気がしてならないな、と考えながらレンはそれまで腰かけていた古びた、お世辞にも寝心地が良いとは言えないベッドにもう一度座りなおした。あれから、何の音沙汰もない。外の世界の状況を把握する術が今のレンには無い以上、必死の想いで逃がしたリンが無事に黄の国の城下町から逃げだせたのかも分からなかったし、カルロビッツで必死の戦闘を行っているであろう、ロックバード伯爵とガクポがどうなったのかも分からない。無事に生きていると良いけれど、と考えながらレンはもう一つ、白い息を吐いた。
レンの耳にしっかりとした足音が届いたのはその時である。石造りの床を弾く硬質な音が妙に心地よく響く。一体誰だろう、と考えたレンが廊下側の鉄格子を何となく眺めていると、その足音がより大きく響くようになった。どうも、この場所に近付いているみたいだ、と考えたレンはその直後に現れた、燃え盛る様な赤髪をもつ女性の姿を見て少しだけ不思議そうな表情を見せた。その女性は反乱の首謀者であるメイコであった。思わず、右腕を身体の後ろに隠す。
「ご機嫌は如何ですか、リン女王陛下。」
冷静にそう言ったメイコの表情に、まだばれていないみたいだ、という僅かな安堵を覚えながら、レンはこう答えた。右腕を腰の後ろに回したままで。
「最悪ね。貴女にも経験して欲しいわ。」
「僭越ながら、ご遠慮させて頂きます。それよりも、本日はご報告があって参りました。」
一体何の報告だろうか、と考え、リンは少し構えた姿勢のままでメイコの言葉を待った。やがて暫くの沈黙の後で、メイコが再び口を開く。
「カルロビッツの戦いは青の国が勝利致しました。ロックバード伯爵並びにガクポ殿は青の国の囚われたとのことです。」
その言葉を耳にして、レンは僅かに吐息を漏らした。二人とも、生きている。その事実に安堵したのである。そして、メイコは更に言葉を続けた。
「尚、明日青の国のカイト王が入城されます。」
カイト王が。その言葉を耳にした時、レンは身体が怒りに震える様な気分に陥った。そもそもの事の発端はカイト王の態度にあったはずだった。あの男のせいで、リンは心を失い、自分は愛する人を失った。あの男が、黄の国に。そして、レンは声を荒くしてこう言った。
「貴女は、カイト王と手を組んでいたの?」
「そうです。」
少し寂しそうな表情で、メイコはそう言った。結局、全て仕組まれていたのか。カイト王の進軍も、メイコの反乱も。黄の国を滅ぼす為に、仕組まれた罠だったのか。レンはそう考えて、絶望に身を焼かれるような気分に陥った。そのレンに向かって、メイコが言葉を放つ。
「カイト王は今後の統治の安定を願っております。それに当たって、レン殿の行方を捜しておられます。一体、どちらに行かれたのでしょうか。」
レンの行方を捜している。その事実は少なくない衝撃をレンに与えた。リンの追跡を断念させるために、自身が身代わりとなったのだ。レンの行方を求められれば、いずれリンがレンとして捕えられることになる。その後の結末は、火を見るよりも明らかだった。その最悪の結末を想像して、レンは背中に冷や汗を覚えながら、メイコに向かってこう答える。
「知らないわ。きっともう遠くへ逃げたのでしょう。」
そこまでレンが伝えた時、メイコは僅かに表情を歪めた。悲しそうに。憐れむように。そして、こう言った。
「お芝居はもういいわ、レン。」
その言葉を耳にした瞬間、レンは空気が凍りついた様な感覚を味わった。ばれている。どうして気がついたのか。メイコは右手の痣に気がついていたのか。あれは、国家機密のはずだ。だが、赤騎士団隊長であるメイコがどこかでその機密に触れた可能性がある。そう考えながらも、レンは必死で言葉を続けた。僕とリンが入れ替わったことを、気付かれる訳にはいかない。そう決意しながら。
「何の、ことかしら。」
冷静を装うつもりだったが、不完全だった。僅かに声が震えていることを自覚しながら、レンは恐怖にも似た感覚を持ったままメイコの言葉を待つ。そのレンに向かって、メイコは不審な程に優しい声で、こう言った。
「私、知っているから。レンの秘密。右手の痣のことを。」
その言葉を耳にした瞬間、レンは思わず身体を震わせた。全て、ばれている。メイコのその言葉はその事実を認識させるに十分な威力を持ってレンの精神を打ちつけることになった。そして、メイコが言葉を続ける。
「逃亡したのはレンではなくてリン女王。それを手引きしたのはルカ殿。あなたはリン女王の身代わりとして、私達にわざと捕えられた。そうではないの?」
全部、無駄だった。
レンはそう考え、そして堪え切れなくなった涙が両目からぼろぼろと流れ始めた。全て、無駄。リンはこの後、反乱軍と青の国により執拗な追跡を受けることになる。僕はリンを助けたくても、もう力になれない。このまま、牢獄に囚われたまま朽ちることになる。そして、いつかリンが捕えられ、そして僕の知らない所で殺される。
「・・めて。」
気付けば、そう呟いていた。声が届かなかったのか、寂しそうな表情のままで沈黙を続けるメイコに向かって、レンはもう一度呟く。
「やめて。リンを、殺さないで。」
その言葉を受けて、メイコが僅かに溜息をつく音が俯いたレンの耳に響く。そして、メイコはこう言った。
「カイト王と黄の国の国民はリン女王の処刑を望んでいるわ。そうしなければ、彼らは納得しない。誰かが、見せしめのために処刑されなければならないの。」
そこで一旦言葉を区切ったメイコは、続けてこう言った。
「レン、あなたを捜しているというのは嘘よ。でも、このままではあなたが殺されることになる。私は、あなたを殺したくはないわ。」
「・・リンを、殺さないでください。」
呆然としたままで、レンはメイコに向かってそう言った。他に、伝えるべき言葉は無かった。そのレンに向かって、メイコが諦めたようにこう言った。
「なら、あなたの意志を尊重するわ。」
その言葉を耳にして、レンは思わず顔を上げた。そして、寂しげな表情を浮かべたままのメイコに向かってこう告げる。
「どうして・・。」
その言葉に、静かに微笑んだメイコは、優しい言葉でこう言った。
「私も、反逆者だから。お父様の意志であるような気がするの。リン女王を生かせ、という。」
寒さを解かすような優しい声だった。同じような声をかつて聴いたことがある気がする、とレンは考え、そしてその声の持ち主であった緑髪のツインテールを持つ女性の姿を目の前の赤髪の女性に重ね合わせたレンは、心の底からこう言った。
「ありがとう、ございます。」
その言葉に、一つ頷いたメイコは、姿勢を正すとこう言った。
「レン、いえ、リン女王。明日、カイト王が到着され次第、陛下の処刑を執行致します。最後の一日を、どうかお楽しみ頂きますよう。」
その言葉が僅かに震えていることにレンは気付いていたが、それに対してレンは何も言わなかった。ただ、メイコの心遣いだけを感謝して。
馬鹿。
レンとの会話を終えたメイコは、思わずそう呟いて、そして無造作に右腕で両目を拭った。先程から、目頭が熱くて仕方がない。この結果を招いたのは自分だ。リン女王を処刑しなければならないことは反乱を起こした直後から十分に分かっていたはずだった。そして、その行為にレンが猛烈な抵抗を行うことも。なのに、今の自分ときたら。かつての剣の教え子を処刑しなければならないと理解した瞬間に、想いが溢れて止まらなくなった。もっと、生きていて欲しかった。まだ未来がある人間なのに、どうして、こんなことになったのだろう。悩んでも答えが出ないということは十分に理解していたが、それでも考えずにはいられなかった。だが、カイト王は確実にリン女王の処刑を望んでいる。おそらく、ミルドガルド大陸の統一の後に政情の不安定となる要素は全て排除しておきたいのだろう。その為に、自身の目の前でリン女王を処刑させようと目論んでいる節がある。こちらで処刑したと伝えてもカイト王は納得しないだろう。その意味でカイト王は確かに優秀で、確かに策略家だった。反乱を以てカイト王に協力した形になる私達を未だに信用していないのだろう。私達が別の、顔の良く似た囚人を処刑してリン女王を逃すという事態を恐れているに違いない。だが、カイト王は気付かないはずであり、そして知らないはずだった。
リンとレンが双子だと言うことを。
私としても、せめてもの意地だ、とメイコは考え、もう一度両目を拭った。レンは自らの生命をなげうってリン女王を守ると決意している。ならば私は。
命の続く限り、この秘密を守り通すことが私の決意だろう。
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紗央
ご意見・ご感想
めーちゃんに激しく同意!!
めーちゃんも辛いだろうな・・
レンに死んでほしくないけど
でも曲を捻じ曲げちゃいけないもんね・・><
ここで既に「目頭が熱く」なってます・・
うわぁぁ嘘だよ
もう泣いてるよっっ!!
次回心待ちにしております
2010/05/09 10:22:47
レイジ
コメントありがとうございます。
次回分、投稿終わりました。
自分で書いていてなんですが、精神的に疲れました・・。
2010/05/09 11:39:10