15.平和の絆
「レン、」
今日の行事に供をするはずのレンが倒れたと聞き、すぐさまリンは飛んできた。
今朝方はずいぶんとボーっとした印象だったのが嘘のようだ。今にもスカートをからげてガクの部屋の扉に突っ込みそうなところを、寸での所でメイコが肩を押さえて止めた。
「王女様。落ち着いて」
まるで視線で扉を突き通すようににらみ、王女はひとつ息を吸い、吐く。
「リンです」
部屋の中でなにやらもめる声が聞こえた。
「どうぞ」
ガクの声が答え、王女は扉を開く。王女の姿を認めたとたん、レンは起き上がろうとするが、ガクがすぐさま押さえつける。
「良いわ、レン。そのまま寝ていなさい」
リンの言葉にも押さえられて、レンは再び居心地悪く寝台に横たわる。
「午後は、日差しも強いわ。あなたはここにいること。いいわね?」
「……すみません、リン様……肝心なときにお役に立てず」
リンが近づき、そっとレンの額に触れ、冷たく絞った布の位置を直した。赤い頬に指が触れ、レンはくっとまぶたを閉じる。
リン王女の指が、さりげなくいたわるように、レンに触れて離れた。
「慣れない生活に疲れが出るのは仕方の無いこと。わたくしの事は気にせずに、休むことも仕事だと思いなさい」
大人びた言い回しが、少女の声でレンの耳に届いた。
レンは固く瞳を閉じる。とても、直視してはいられない。リンのふっと優しく微笑む息が、まるで頬に当たるかのように近く感じる。
「大丈夫。わたくしは、きっと上手く使命を果たして見せます。黄の国のために」
そっと響いたリンの声に、レンは頷くことしか出来なかった。
「では、行ってまいります」
「レン殿。ゆっくり休まれよ」
「宿の方には伝えてあるわ。何かあったら対応してくれると思うから、心配しないでね」
リンとガク、そしてメイコがそれぞれに言葉を残して部屋を出て行く。
「そうそう、レン」
出際にリンが、部屋を振り返った。
「レンの服を、借りるわね」
リンの、夏のドレスの裾がふわりと翻り、ぱたりと扉が閉じられた。
「え……」
レンは、思わず起き上がる。
「え……は?!」
レンの額から、ぼたりと布が落ちた。
* *
青の国の午後三時。場所は森に囲まれた小高い丘の頂上。吹き始めた風に、茂る青草がさざめく。水平線が一望に出来る海を臨む丘に、皇子の成人の儀式が行われるということで、大勢の民が集まっていた。
カイト皇子は、青の国の民に愛されている。この場所に入るだけでも大規模な抽選会が行われたという。カイト皇子が会場に現れ、近侍と打ち合わせの言葉を交わすだけでも、遠くから歓声が上がる。国民の憧れの皇子、そして隣国や黄の国のような遠くからの珍しい客人を見ようと、二重三重にも人が会場をとりまいて、首を伸ばしている。
「カイト様」
現れたのは、ミク女王だ。青の皇子の成人を祝うのにふさわしい、青のドレスに白のレースの縁取りの衣装である。
はっきりした色合いの衣装は、草の揺れる草原に実によく映えた。緑の長い髪が風になびく。集まった青の民の中からも、その美しさにため息の音が響く。
「ミク様。お祝いのお気持ち、大変嬉しく思います。……素敵ですね」
緑の国の工芸と商業の技術が、ドレスの織りにも表現されていた。青の国の気候でも暑苦しくならず、そして、けっして安っぽくならず。
「さすが緑の国の技ですね」
感心するカイトと周囲の重鎮の人々の賞賛を、ミクはつつましやかに受けとった。
「ありがとうございます」
そこへ、リンがまるで軽やかに駆けるようにやってきた。
「カイトさま! ミクさま!」
身に着けた白のワンピースがふわりと風に踊った。
「カイトさま!ここは素敵な場所ですわね!」
きらきらと青の瞳を輝かせて見回すリンに、カイトは微笑む。
黄の国の王女の登場に、青の国の民の注目もいよいよ三人に注がれる。ミクへの注目とは違う、ほほえましげなささやきが、丘全体に広がった。
リンは、カイトとミクににっこりと笑みを向ける。
「海が見えて、森があって……そしてこの場所が、カイトさまの森になる」
「そう。少し前まで、この草原は、僕のひいひいおじいさんの王様が成人したときに植えた森があった」
この丘は、青の国の王家の、安定と繁栄の象徴だ。
王家の跡継ぎは、成人すると、木を植える。やがてその者が王位を継ぎ、亡くなり、さらにその孫が大人になるころ、りっぱな二百年の森になる。
「みて。リン王女様」
カイトが、リンの肩を抱くように、周囲の景色を薦めるように腕を広げる。
「この丘の回りの森、それぞれ伸び方が違うでしょう」
「ええ」
リンが見回すと、なるほど、海の見えるこの丘は、いくつかの区画に分かれているようだ。色が濃く古い木の生い茂る箇所があると思えば、まだ若い森もある。その中間の状態も。
「ここはね、いくつかの地区に分けられ、代々の皇子が成人したときに、4代前の王の木を切り出し、そして皇子の森を作るんだよ。切った木は大きくてとても良い丸太になるから、国内でも大人気なんだ」
リンは、すでに言葉も出ない。青の国は、黄の国と同じく小麦をつくる国、同じ葡萄の育つ国。
でも、黄の国とは何もかもが違った。
「二百年かけて、森を収穫するのね」
人の寿命よりもはるかに長く生きた海を見下ろす木は、それ自体が青の国の治世の穏やかさの証明である。
リンは、風に動じない木々を見つめる。そしてその先にある海を臨む。
乾燥した黄の国には、大きな森は育たない。そのような発想は出てこない。
「わたくし、木を植えますわ。……カイトさまの治世が、穏やかであるように」
青の国の皇子の成人の祝いは、招待された各国が参加し、植えた木の苗にそれぞれの代表がそっと土をかけることになっている。それが、いつしか定番の儀式となっていた。
「ありがとう」
カイトがリンに微笑む。その深い海の青の瞳を向ける。リンは微笑んだ。
風が吹きぬけ、遠くから午後3時を告げる軽やかな鐘の音が聞こえてきた。
木を植える祭りの始まりだった。
それぞれの代表が祝いの言葉を述べる。
緑の女王のミクは、さすがに堂に入ったものだった。
「母なる海の青、空の青、そして大地から天に向かう緑。
青の国は広く、緑の国は小さな国です。しかし、今日のこの素晴らしい景色のように、私も、青の国と共に、より素晴らしい世界を目指すため、緑の女王として力を尽くすことを誓います」
ミクの深い青のドレスが翻り、緑の髪がなびき、その指が天を指した。そして彼女は青の皇子に深く礼を捧げる。
実にみごとな構成だった。
「リン様」
見守るメイコは不安顔だ。
リン王女も、度胸はある。しかし、このような大勢の前に晒される公の場は、初めてである。
「しかも、……このミク様の後では、あまりにも緊張するのではないかしら」
リンは、メイコにある提案をしてきた。
『カイトさまも、青の国民も……ミクさまの心も掴む』
リンは、ミクの次に控えて、静かな微笑みを浮かべている。いよいよだ。
ミクの演説は、メイコには聞こえていなかった。万雷の拍手が、まるで夕立のようにメイコを我に返らせた。
やがて、リンが一歩前に出た。
いよいよだ。
しん、と静まり返る丘の上で、リンが静かに口を開く。
「カイトさま。ご成人、おめでとうございます」
つぎの言葉を待つ聴衆に投げかけたリンの言葉は、驚きだった。
「カイトさま! ……わたくしは、カイトさまが好きです!」
会場全体がどよめいた。
衝撃が戸惑いに変わる前に、リンは大きく声を通した。全開の笑顔で。
「青の国は素敵です。船を下りて迎えてくれた青の国のみなさん、わたし、疲れが吹き飛ぶくらいに嬉しかったです!」
にこりと微笑んだリンは、くるりと回って海と居並ぶ代表とカイト、そして観客に向かって両腕を広げた。それは、カイトもよく行う、青の民の親愛のしぐさ。
「風はあったかいし、海は気持ち良いし、成人に木を植える祭りも、本当に面白いと思います。……そして、カイト皇子の選んでくれた宿……遠い異国から来た私達の泊まっている宿の木は、おそらく」
カイトがうなずいた。
「うん、大事な人を迎えるための宿は、代々の王の森の木が使われている」
リンは、さらに笑顔を輝かせた。
「そう、そんな、カイト皇子の心遣いが、とっても素敵で、わたし、好きになりました!」
す、とリンの手が、おもむろに、ドレスの帯に伸ばされた。
えっ、と目を見張った全ての人々の前で、リンは帯を鮮やかに抜き取った。
ふわっと、体から抜け落ちたスカートが風に踊る。それをリンのしなやかな白い腕がすばやく回収した。
「リン王女様! その格好!」
カイトが驚きに目を丸くするのを見て、リンは脱いだドレスを抱えて胸を張る。
リンがドレスの下に着ていた格好。それは、この場に集まった青の国民と同じ、シャツとズボン姿だった。演説用の衣装ではなく、動きやすい、働くための格好。
リンは、抜き取った帯で黄色の髪を大きくまとめた。真っ白な帯が、大きな白い蝶のように、リンの頭に結ばれる。
大きな白いリボン。上質のシャツに、男物のズボン。
少女であり、また王女であるリンが、平民の男物の服をまとって笑顔を見せる。そしてその姿ですっくと聴衆の前に進み出た。鮮烈な衝撃だった。
「わたしも、みなさんと共に、植えましょう! 青の国が、ずうっとずうっと栄えますように!」
青空の下、まるでスコールのようなとどろきが、丘と森、風と海すら揺るがした。
メイコに脱いだドレスをさらりと渡し、リンは円匙(スコップ)を手に取る。そして、地面に力強く突き立てた。
ミクを含め、他の国の代表は、青の民が穴を掘り、木の苗を持ってきてくれたところに土をかけるだけの儀礼的な参加だ。そこを、リンは、穴掘りの少年と共に穴を掘り、苗を運んできた少女と共に、その木を抱えて穴に下ろした。そして、ざくざくと土をかけていく。
リンの植える場所を担当した少年が、少女が、めずらしそうにリンを見上げた。
「……ね?」
にこっと笑ったリンに、二人は、頬をそめて瞳を輝かせた。
「王女さま、すごいねッ!」
リンが笑い返すと、ふたりは興奮してはしゃいだ。ミクにくらべて、子供っぽく率直な言葉しか持たなかったリンだが、それが少女らしい快活さを通して、見事好感に転化したようだ。
「リン様……」
ミクが、風の中で、じっとリンを見ていた。
「ミクさま!」
リンが、頭のリボンをなびかせながら、まるで子犬のようにミクに駆け寄った。
「ミクさま! あたし、がんばりますね! ミクさまは女王様だから、世界中に見せるためにドレスを着なくちゃいけない立場ですから、動けないかもしれませんけれど、その分、あたしががんばりますから!」
驚いて見つめるミクに、リンは、あどけなく笑って言った。
「だって、同じ大陸同士でしょう?」
そして、ミクの手をとって握った。
ミクはただ、されるがままである。一方リンは、舞い上がっていた。
「……いま、あたしはミクさまの手を握っている。憧れのミクさまに触れている!」
その興奮が、リンをそのまま叫ばせた。
「カイトさま!」
はしゃいだ明るい声に呼ばれ、カイトが笑って振り向いた。
「ふふっ!」
リンは、ミクと握った手とは反対の手で、カイトの手を取った。
カイトも驚く。ミクと顔を見合わせている。
「ね? こうして手を重ねて……」
リンの鼓動は最高潮にうなる。あたし、なんてしあわせなんだろう。憧れのミクさま。素敵なカイトさま。二人とこうして、同じ場所にいる。手を、つないでいる……!
「青の国と、黄の国と緑の国と……ずっと、仲良くいられますように!」
無邪気に笑う黄の髪の王女と、国の自慢の皇子。美しく強い緑の女王。
「青の皇子、緑の女王に黄の王女が一同に見えるとは……一生の、思い出だな……」
青の民の誰かがつぶやいた。カイトにも、ミクにも……そして、リンにも聞こえた。
次の瞬間、つぶやきは大きな祝いの言葉と歓声となった。
「カイト様! ばんざい!」
「リン様!」「リン様!」「ミク様!」「リンさま!」
本日の主役のカイトのみならず、リンにも熱い声援が投げかけられる。
「まずは、手始めに! あたし、ミク様のぶんまで、いっぱい植えてきますから!」
国民の輪の中へ駆け出したリン。歓声が彼女を迎え、そして我先にと人々が声をかける。
ふりかえってカイトに手をふる。青の民と一緒になって大きく、祝福を歌う。
「……すごいな。あの娘」
カイトの微笑みは、穴を掘り、苗木を抱えるリンに向けられていた。
「そう、ですわね」
ミクも、うなずいた。じっと、リンを見つめて。
その日は記録的な暑さだったが、祭りに参加した誰もが、太陽よりも、異国の王女の輝きをその目に焼き付けていた。
活動的で明るい、黄の国のリン王女の笑顔を。
* *
「リン王女様……やるじゃない」
苗木を運ぶ者の中に、長身の女がいた。服装はシャツと股引き姿、その髪は薄手幅広の布にまとめられている。参加者の青の民に普通に見られる格好だ。
しかし、胸に、ひとつ風変わりなブローチが留められていた。それは数字の8を横にした……『巡音』の印。
「これは……今日の出来事、いい唄が作れそうね」
女は微笑み、改めて笑顔を作ると、再び青の民とリンの騒ぎの輪の中に溶け込んでいく。頭に巻いた布の下から一すじ、桃色の髪の毛が彼女の首筋に滑り落ちた。
つづく!
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