12、理解の仕方
臨海学校が終わり、俺たちはまたいつも通りの現実に戻る。
臨海学校では色々あった。
鹿野が加治屋さんとケンカしたとか。
エノヒロが加治屋さんと何かあっただとか。(エノヒロが詳しいことを教えてくれないんだよなぁ)
周りはそんなことがあったのに、相変わらず俺の周りは平凡だ。
いつもと変わらず、大杉さんに好意を向けている俺は、土曜日の部活に励んでいた。
季節は夏に突入し、夏の中体連が目前に迫ってきた。俺の部活、サッカー部も中体連に向けて練習をがんばっている。夏の刺しつける日差しが痛いくらいに思えるほど、外で練習している。サッカー部のキャプテンは熱い。夏も暑いが、キャプテンの帯広康永も熱い。康永は、人情にも篤く、サッカーに対する情熱も篤い。はっきり言うと、康永は下手だった。でも、下手なのはサッカーだけだったわけで。努力は上手だ。誰よりも早くグラウンドに来て練習し、誰よりも遅く帰り練習していた。そのおかげで、今となっては部をまとめる存在となっている。俺は康永を尊敬しつつ、嫉妬している。
俺には、あんなことできない。忍耐力も無ければ我慢もできない。要するに、精神が弱いのだ。根が腐っているから、どうしようもない。けれど、康永はこんなのにも接してくれる。失敗しても、誰よりも痛みがわかる奴だから、責めたりしない。そんな部分を嫉妬し、尊敬していた。
「うっしっ 疲れたから休憩入れるか!」
「うぇーい」
康永がそう言うと、みんな一斉に冷水機へと走る。相当へばっているはずだが、このときの部員の気迫はすごい。けれど、康永はいつものように、ボールをゴールに蹴り込んでいた。康永は滅多に休憩しない。休憩すると、自分が怠けてしまうから休憩しないそうだ。
「休憩しないと、ぶっ倒れるぞ」
俺はそう言って康永の横に置いてあったモノクロボールを蹴った。
「それなら、亮もじゃないか。休憩しなよ」
「俺は、まだ疲れてないし、喉も渇いてないからいい」
「あれだぞ。最近は知らん間に脱水症状になる人が多いらしいぞ」
「それなら、お互い様だろ。ほら、冷水機いくぞ」
俺は強引に康永を冷水機に連れて行く。
「亮はそういうところに気が利いてくれるね」
「は? 何が」
俺がそう言うと、康永は嬉しそうな顔をして続ける。
「俺が一人で練習してると、何かと心配してくれるからな。誰も俺に声をかけてくれないけど、亮だけ心配してくれるんだよな。ありがとう」
俺は、康永のこんなところにも尊敬している。人に面と向かってお礼を言えることはすごいと思う。俺にはとてもできない。
俺と亮が冷水機に着くと、そこはサッカー部員が溜まっていた。ほとんどの部員は、へばって横になっていた。冷水機のある所はトタンの屋根で日陰になっているので、休憩には最適の場所だ。部室で休憩するのには並みの勇気では無理だ。立ち込める砂埃のなか、男臭い赤黄青と色とりどりのビブスの臭いが疲れた部員たちを余計疲れさせる。十人十色と言うが、三色多臭のビブスは「早く洗ってくれよ」と言わんばかりに悪臭を放つ。結果、部室では休めたものじゃない。なので、冷水機の近いここがサッカー部内で一番の人気を誇る休憩所となっている。
「なんだぁ。みっともないなぁ」
康永はそう言って、口を拭う。
「こんなところじゃなくても、もっと涼しいとこがあるんじゃないのか?」
そう言いつつも、康永は冷水機近くに座り込む。
「座ってんじゃないすか。帯広さん」
二年の田木が茶化すように言うと、康永はへらっと笑う。
「まぁ。疲れてるからいいだろ。少しここで休憩させてもらおう」
康永はそう言って、壁に寄りかかり、手で顔を仰ぐ。
「よぉし。今日は先生もいないしぃ。ここでリフレッシュタイム十五ふーん」
「「「やったー!」」」
部員たちの声が重なり合ってとても大きくなる。冷水機前を通った人は、珍しい目つきで俺たちを眺めている。
「珍しいなぁ。康永がこんなことするなんて」
俺が康永の頭をポンと叩いて言う。康永は完全に脱力していて、全体重を壁に寄せていた。
「たまにはいいだろ? 毎日気ぃ張ってるよりも、たまに気ぃ抜いてだらーんとするのも」
そう言って笑う康永に俺は「お前がいつも気張ってるじゃないか」と言って肩を叩く。そして、サッカー部員のたまり場を離れて、グラウンドへと道を戻る。
「どこいくんだ?」
康永が俺の後ろ髪を引っ張るように質問する。
「あぁ。タオル取ってくるよ」
そう言って右手を上げ、グラウンドに向かう。
グラウンドに行くには、階段を降りなければならない。俺が階段を降りていると、ちょうど、陸上部のピストルの音がグラウンドに鳴り響く。
走っていたのは大杉さんだった。大杉さんはどうやら、五十メートルの速さを測っているようだった。風のように走る大杉さんはたぶん俺より早い。赤茶色のショートカットがが暴れるように揺れるのを大杉さんは気にせず走っている。走り終わって、一年生の子にタイムを言ってもらうと、少し悲しげな顔をする。あぁ。いいタイムじゃなかったんだな。自分も少し悲しんでいると、大杉さんがこっちにきた。横から見ると、余計顔が悲しそうに見える。な、慰めないと……。
「どうしたの? 大杉さん?」
俺はそう言って、声をかけた。大杉さんは、振り向いて俺を向くと、苦しそうな笑顔を浮かべる。
「なんか、体が重いの。最近色々あってね」
そう言ってため息を零す。そういえば、臨海学校が終わってから大杉さんはどこか元気が無い。助けてあげたいな。でも、俺にはそんな勇気無い……。でも、聴くなら今しかないか。少しの勇気を膨張させるように、言葉に出した。
「話して楽になるなら聴くよ!」
*
俺と大杉さんは、階段に座り込んで話をすることになった。
丁度、陸上部も休憩に入ったらしいのでキリがいい。でも、大杉さんの悲しげな横顔を見るだけで俺も心が痛む。
「どうしたの? 元気ないけど……」
俺がそう言うと、大杉さんは、情けない声で言う。
「松江君だから話すけどね……」
この言葉にドキッと来てしまう自分がどこかに居た。俺だから話す……。悪い響きではない。どちらかと言うと、もっと聴きたいほうだ。
「臨海学校のとき、権弘と渚が引っ付いちゃったのよね」
大杉さんから、その言葉が出た瞬間驚いた。それは初耳だ。たぶん、エノヒロが隠していて話さなかったのだろう。大杉さんは、話を続ける。
「権弘に勇気付けたのはあたしなんだけどさ。どっか変なの。なんていうか、こう、胸の辺りが重いの」
そう言って胸を撫でると、赤い部活着の中心に書いてある某スポーツメーカーのマークにシワが寄る。
「どうしてかなぁ? 少しは吹っ切れたはずなんだけど……。あたし、まだ権弘のこと好きなのかな? って思い始めて。そうしたら、渚がかわいそうだなぁって思って。もう、どうしていいかわからなくなったの」
大杉さんは、そう言って苦笑を浮かべる。その苦笑を見て、俺は確信した。
あぁ。そうか。
今わかった。
エノヒロが誰かの彼氏になろうが、大杉さんはエノヒロをずっと想い続けるのだろうな。大杉さんの心にはずっとずっとエノヒロが居座っているのだな……。そう思うと、俺は切ない気持ちになる。そこで、また新しい気持ちが生まれた。
「でもさ、自分の想いを放置しておくのはだめじゃない? 放っておくと、また思いは大きくなってしまうよ。そしたらまた、エノヒロを思わなくちゃいけない。それは辛いと思う。だから、想いを伝えてみたら?」
俺は心の中を荒らし、大杉さんを元気付ける言葉を捜し取り付け、文章にした。
大杉さんは、俺の言葉を聴いて、にへらと笑う。
「うん。松江君の言うことにも一理あるね。ありがとう。軽くなったよ」
その笑顔は、最初みたいに情けない笑顔ではなく、明るい笑顔だった。
*
もう、前みたいな薄っぺらい独占欲など無くなった。
俺は知らず知らずに、大杉さんに対しての独占欲が湧いていたのだと思う。「大杉さんは俺のだ!」という独占欲。今更思うと、なんでそんな気持ちが湧いたのかが判らない。独占欲とか、気持ちが悪すぎる。気色悪い。過去の自分を後悔しながら、考え出した新しい気持ちがある。
もう、大杉さんを諦めよう。
あの人の心にはいつもエノヒロが居座っている。それを剥がすには、俺の力では無理だ。彼女を、大杉さんをこっちに振り向かせるには、エノヒロよりいい男を演じなければいけない。けれど、彼女の中には、エノヒロよりいい男が存在しない。それは確かなことだ。
少し鬱な気持ちで、自転車のスタンドをけり、サドルに跨る。自転車小屋を抜けて、校門に向かう。校門では、徒歩通学の康永と田木が話しながら仲良く帰っていくのを横目で見て、家への道をキーキーと藍色の自転車が進む。ペダルを踏むと同時に体全体に当たる風が心地よい。途中で大杉さんとあった。大杉さんは俺に気付くと、手を振ってくれた。天使のようだ。でも、帰る前のことを思い出して、少し気持ちが沈む。
「どうしたの?」
大杉さんは俺の気持ちを察したのか、俺の顔を見上げる。いつもは、身長が一緒くらいなのですぐ目線が合うはずなのに、今日は自転車のせいか目線が合わない。
「いや。なんでもないっす」
そう言って苦笑を浮かべ目をそらす。
大杉さんは、こんな俺を笑って受け流し、話しはじめた。
「今日は、ありがとう。あたし、嬉しかった」
大杉さんは、そう言って満面の笑みを浮かべる。不覚にも油断していた俺は、ドキッとする。危ない危ない。また好きになるところだった。
「少しずつでいいからさ。松江君と仲良くしたいなぁって思えたよ」
大杉さんは恥じらいのせいか、頭をぽりぽりと掻く。その動作にでさえ、かわいいと思える。
「だからさ、今度からは、あたしのこと、円香って呼んでよ。あたしは亮って呼ぶから」
大杉さんはさっきの動作を続けながら、さり気なく言った。
「そうしたら、今よりも仲良くなれるでしょ?」
…………。
「うん。そうだね。ありがとう」
俺は、懇親の笑顔を浮かべて大杉さんに手を振る。
どうしてか。大杉さんには、「松江君と仲良くしたい!」という純粋な気持ちしかない。たぶん、それしかない。付き合いたいとか微塵も想っていなくて。俺のことなんか恋愛対象ではない。ただの友達。
今までの俺が恥ずかしい。大杉さんとどうすれば付き合えるかなんてことばかりかんがえていた。
全部叶わないことなのに……。
*
大杉さんに友達宣言をされた次の週。いつものように学校にいて、一人で受験勉強をしていた。あの日から、俺の弱い信念などどこかへ消えていった。まだ、大杉さん……円香のことが好きと言うことが少し憎い。参考書の一ページを見つめながらため息をついた。こんな状況じゃ勉強などできやしない。
「あ、あの……」
横から、か細い女子の声が聴こえた。広げていた参考書から目を離し、声のしたほうを見ると、二人組みの女子が居た。その一人は爽やかな笑顔を振りまいていて見ているこっちも清清しい。もう一人の方、話しかけてきたほうだ。、冷たい目で俺を見てきて怖い。
あぁ。この人。冷たい目の人は、鹿野の話していた「鷲見五十鈴」だろう。そうだ。絶対そうだ。後ろの人は、案外背が高い。たしか、バレー部の大友愛理だ。
なんか、罵られるのかな? と、思っていた矢先、鷲見五十鈴の口が開く。
「鹿野君ってどういう人ですか……?」
鷲見五十鈴は、そう言って頬を赤く染める。訳がわからなかった。すると、大友愛理が口を開いて話し出す。
「ごめんね。この子、シャイでねぇ。初対面の人と話すのは苦手なんだけど、挑戦してるの。少しでも、自分のことをわかってくれる人の気持ちを理解したいだとさ」
大友愛理はそう言ってニカッと笑う。
俺はそこでピンと来た。あの時の大杉さんの気持ちもそうだったのだろうな。俺が大杉さんの気持ちをわかったから大杉さんもあんなことを言ってくれたんだ……。
人の気持ちをわかりたいか……。そんな相談に乗るのも悪くないね。
「どんなことが知りたい? できるだけ教えてあげるよ」
誰かを想い続ける生き方じゃなくても、誰かを理解する生き方もあるのか。
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