27.黄の国の王、死す

 レンは王女の部屋に忍び込み、明るい黄の色のドレスに着替えた。黄色のドレスは夜に咲く花のように闇の中でよく目立つ。市におしのびで出かけるリンに代わって何度も王女に扮したレンにとって、豪奢なドレスさばきはお手の物だった。
 髪をいつものリンのようにしっかり分けて整え、燭台を準備し、ひとつ深呼吸すると、召使の控え場所に向った。

 今頃はみな、寝静まっているはずである。そこに到着予定よりも早く王女が現れるのだ。驚くに違いない。レンはひとつ息を吸い、控え室の扉を引き開ける。

「ごめんあそばせ!」

 甲高い声が夜の静寂を切り裂いた。
 ……みんな、ごめん。
 レンは、夜中にたたき起こされる羽目になった同僚たちに心の中で謝る。
「おっ……?!」
「王女様?!」
 馬車や徒歩が主流の旅において、要人の到着予定は前後一週間ほどの余裕を持って準備される。召使たちにも王女の到着日は知らされていた。しかし、最新の情報では後三日ほどかかるとのことではなかったのか。
「しかも夜中に到着などと、聞いていないぞ!」
 さらに加えて召使部屋への直々のお越しである。普段なら絶対に有り得ない状況に、彼らはパニックに陥った。
「お、お帰りなさいませ、王女様」
「挨拶はいいわ。急なことが起こったので、わたくしが先に戻ってまいりました。諸侯らを集めなさい」

 これには、この部屋に居た十人ほどの召使全てが驚いた。
「いくら急務といえど夜中ですよ! 伝える手段がありません、王女様!」
 夜の間は、王女の留守をあずかる諸侯たちは、城下町にしつらえたそれぞれの屋敷に戻っている。
「問題ないわ。馬はすでに準備してあるわ」
 すぐさま一人が伝令として王宮の門まで走った。
「その間に明りを準備して。夜間の会議になるから、ありったけ会議室に灯しなさい! 予備も控えておくのよ! 」
 全員がすぐさまはじかれたように明りや飲み物の準備へと走り出し、他の部屋の召使も起こしにかかる。主要な通路と会議室にろうそくが立てられたそのとき、伝令が戻ってきた。
「王女様! 王女様宛ての荷物が馬と配達員とともに、表に届いております! 」

 王女に扮したレンはにっこりと笑った。

「本日夜中に届くように手配したのよ。さすが、荒野の郵便配達は日時に正確ね」
 王女はキッと背筋を伸ばし、伝令の召使に手を差し向けた。

「あなた! 伝令ご苦労。郵便馬はそのまま諸侯の屋敷に行って貰える様伝えなさい。
 私の荷物をそのまま届けてくれればいいわ。……極秘の召集状だから」
 そして呆然としている召使に王女は叫んだ。
「郵便馬の料金は十分に払ってあるわ! この国の存続がかかっています! 死にたくないなら急ぎなさい! 」

 後に、レンの発したこの何気ない言葉を思い出すたびに震え上がる羽目になろうとは、この伝令の召使はまだ、知らない。

     *           *

 旅装はすべて脱いでレンに預けてきた。「王女到着」を怪しまれないようにするためだ。
 険しい道を歩くための分厚い皮の靴も脱ぎ捨てた。今、リンは素足に古風な下着姿で、城の廊下を走っている。

 素足なので、靴と違い、音が廊下に響かない。下着といっても薄い素材の白のワンピースのような、しっかり肌を覆うものだ。長めの裾がリンの体にふわりとまとわりつきながら、夜の廊下を走ってゆく。
 真っ白な人影が闇夜を滑りぬけていく様は、怪談話の幽霊のようだとリンは思う。しかもこれから向うところは、病室だ。

 万が一誰かに見られていたら困るな、と、リンは苦笑しながらも走る勢いを緩めない。
「……大丈夫。私がちゃんとするのが、役目」
 それでも。気がつくと、手が震えていた。

 何度も通路の角から様子を伺いつつ、リンはついに病室の前に来た。
 王女の部屋に面した中庭から見上げた、王と王妃の病室だ。
 橙色の薄明かりと、甘くすえたような匂いが部屋の中から漂ってくる。今は夜中だ。きっと、王と王妃の主治医は不在だろうと予想した考えが当たったようだ。

 リンは扉に耳を押し当ててじっと聞き耳を立てる。部屋の中からは、物音ひとつしない。ごくり、とリンの喉につばが飲み込まれる。そっと手のひらに力を込め、扉を押し開けた。
 ふわり、と異様な匂いがリンの鼻を突いた。香料の匂いと、汚物の匂い。そして、それらの強い匂いにまぎれて、薄いけれども間違いようの無い薬のにおいをリンは嗅ぎ取った。

 それは、レンの命を救った薬。青の薬師のボルカの言葉がよみがえる。
「三回までしか使えませんよ。薬が人を飲み込みますからね」
 そう釘をさした、痛み止めの匂いだった。

 部屋は橙色の明りに照らされ、薄く明るい。王と王妃は、並んだ寝台に寝かされている。枕元に、剣があった。この二人が王と王妃である証、黄の国の王が持つ剣である。

「八年間、この寝台が玉座だったのね……父上。母上」

 リンが一歩一歩寝台に歩み寄る。寝台に、視線をうつろに天井に向けながら横たわる二人の口に、管が差し込まれていた。リンは、強張った目を見ひらいて、そっと管の先を辿る。寝台の下に水タバコのような壷があった。静かに蓋をあけ、中身を確認した。

「……嘘だと、思いたかった」

 リンのつぶやきに、橙色の明りが一瞬だけ振れた。
 壷の中身は、間違いなく、痛み止めにつかわれたあの薬だった。リンが布にしみこませてレンに噛ませた薬。人を眠らせる薬。そして、人の意識を飲み込む薬。ごく薄めたその薬が、ゆっくりと王と王妃の体を蝕んでいたのだ。おそらく、彼らが病床に臥せっていると発表され、リンたちが遠ざけられた八年間、ずっと。
「ただの病気だと思いたかった。本当にこんなことになっているなんて、思いたくなかった」
 王と王妃は、誰かに仕掛けられたのだ。何年にもわたる、命ありながら殺されるという陰謀に。

「父上は、よき王として慕われていたと思っていたのに、……これでは、まるで相当深く恨まれていたみたいだわ」
 殺さずに王位を保ったまま、その権利を奪われる。人間としての意識と行動を奪われる。それはどんなにつらいことだろう。

 でも、よかった。本当にただの病気でないならば、心置きなく……!

 ふと、そう思った自分に、リンはぞっとした。
「……つらかったでしょう。父上。母上。……今、楽にして差し上げます」
 一瞬全身を飲み込んだ凍るような罪悪感を、リンはそうつぶやき吹き飛ばした。
「王の幸せは、黄の国と共にある。そう教えてくださいましたよね、父上、母上。……ならば、わたくしが、」
 懐から、リンは小さな薬瓶を取り出した。
「ならばわたくしが、あなたを良き王に戻して差し上げましょう……」

 それは、レンの手術に使った痛み止めだった。レンの回復が早かったため、予定していた三回のうち、一回分だけガクは使わなかったのだ。
 それを、リンはガクとボルカに返さずにいたのだ。

 王と王妃には、これで十分。腹を切った痛みすら忘れさせる濃い痛み止めは、人を深い眠りに落とす。衰弱した人間に与えれば二度と目を覚まさせない。そう、ガクの医学書に書いてあった。
 リンは小瓶の蓋を抜き、一気にその薬を口に含んだ。激しい香りと味に、リンの頭がくらりとゆれた。
「おとうさま。おかあさま……」
 ゆれる視界の中で王の顔を探り出す。手を伸ばして頬を両手で掴んだ。温かくて、涙が出た。

 王として、黄の国の、ために。
 王位をわたくしにお譲りくださいませ。

 リンの唇が父王の唇をこじ開け、その薬を舌で一気に押し込んだ。ぐらりと揺れて息をつくと、隣の寝台から、母がリンをじっと見ていた。
 ぞくり、と肌があわ立つのを無視し、リンは小瓶の残りの薬を口に含み隣の寝台へ乗り移った。
「おかあさま……!」
 ぶつかるように、リンの顔が王妃に重なった。口から口へ薬が押し込まれ、そしてリンの顔が離された。
 王妃のやせ細った喉がこくりと薬を飲み込むのを、リンは目を見開いて見届けた。視界がぶれた。とろんと濁った王妃の瞳を見た瞬間、涙が、溢れた。
「うっ……」
 リンは側にあった水差しを引っつかみ、口に含んで寝台の下に吐いた。なんども何度も吐いた。薬のにおいが鼻を刺す。いまさらながらに酷い味と目を刺す痛みが止まらない。水差しは空になり、口の中の薬はすっかり洗い出したはずなのに、気持ちが悪くてたまらない。
「ううッ……」
 溢れる涙を拭って、狂ったようにリンはそれを口に押し込んだ。自分の体から出た水が少しでも口の中を洗うように。たった今行った消せない罪を、少しでも拭い去るように……!

 がたり、と気配がした。しゃがんで吐いていたリンのその背後に、すっと影が落ちた。
「え……」
 王、そして王妃が、なんと立ち上がっていた。そして次の瞬間、リンに手を伸ばしてまっすぐに倒れこんできた。

 リンは声も出なかった。
 殺される。
 とっさにそう思ったが、感じた恐怖が悲鳴に変わることは無かった。
 リンに伸ばされた王と王妃の手は、肩越しに折り重なるようにして、リンを抱きしめていた。

「お、とうさま」
 リンの左肩を、父王の大きな手が包んでいた。
「お、かあさま……!」
 リンの右肩を、母の腕が抱いていた。
 うつろな目をしていた父と母が、ゆっくりと動き、リンを両側から包んだ。温かい抱擁だった。
「うそ……! 嘘……!」
 もう目をあける力もないのだろう、父王が唇を動かした。息の音がゆっくり吐き出された。
「リン……」
 かすかな、風の音だが、確かに王はそう言った。
「とうさま……!」
 父王の手がするりとリンの頬を拭うように滑り落ちた。ぬれた感触が頬をすべり、リンは自分が泣いていることを自覚した。
「そんな、そんな、あたしには、泣く権利など無い。とうさまが、いまさらあたしを呼ぶなんて、有り得ない……」

 と、言葉の風がリンの耳に滑り込んだ。

「リン。どうか、幸せに……」

 それは、まぎれもない、昔リンを導いた、父王の声だった。
 リンが大きく喘いだ。声は出なかった。引きつるようにしゃくりあげた。

「はい、王さま……! あなたさまの命、けして、けっして、無駄にはいたしません。わたくしは、必ず、黄の国を幸せにすると誓います……! 」

 リンが、目を閉じて倒れこんだ父王にしがみつく。その肩を、王妃がゆっくりと抱いた。

「違うわ。リン」

 え、とリンが振り返る。薬に侵されていたはずの、リンの与えた薬が効いてきているはずの母の瞳が、きらめきを持ってリンを見た。やさしいまなざしが、リンを見つめていた。

「あなたが」

 どうか、幸せに。

「……母上!」

 王妃が父のとなりに寄り添うように崩れ落ちた。
 リンの涙が、ふたりの上に降り注いだ。
「あたしが、幸せになるなんて。 あたしの、幸せは……あたしの、幸せは……! 」

 遠くに馬の足音が響いた。城の門で騒ぎの音が聞こえる。中庭から見える会議室に明りが燈った。王女に扮したレンは会議室で、召使たちに諸侯らを招集するよう伝えたのだろう。じきに医者も王と王妃の様子を見にくるに違いない。
 リンは手のひらで涙を押し込むように拭った。そして、王と王妃の側から立ち上がった。部屋の橙色の明りを吹き消した。夜の闇が静かな二つの死をつつんだ。それはこの上なく安らかな弔いのように見えた。

「……父上。母上。……あたしの幸せは、黄の国の幸せです。今のところ、それが最上の幸せです。だから……」

 リンは会議室を確認した。レンの影が、窓からこちらを見上げていた。明りを消したのは、すべてが終わった合図だ。
 八年間、灯り続けた陰謀の燈が消えた。

 レンの確認を確信したリンは、王と王妃を一度だけ振り返り、部屋を後にした。
 やがてレンは一旦王女の部屋に戻るだろう。そこで再び自分とレンは入れ替わる。
 リンは王女に。レンは召使に。

「見ていてください。あたしの幸せを、きっと、掴んで見せます。……罰は成し遂げた後、地獄で受けましょう」

 必ず、近いうちに。

「ここであなた方の命を奪ったことが、わたくしの流す最初の血。
 そして、ここで流す涙が、わたくしの最後の涙です」

 リンは、王と王妃の枕元、王家の剣を手に取った。闇の中で抜いてみる。ひやり、と刃が光った。そっと手をふれると、ちいさな血の球が指に出来た。
 刃を確認して、そっと構える。重さを確かめた後、リンは剣を鞘に戻す。

 真っ白な衣をはためかせてリンは部屋を走り抜けた。闇の中を、剣を掴んだ少女が走る。重い罪と剣を抱えて、齢十四の王女が走る。
 やがて諸侯らが会議室に集まってきた。
 闇に響くざわめきが大きくなってきた。黄の国の長い夏の嵐が、この夜、幕を開けた。


続く!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 27.黄の国の王、死す

あの名曲を地獄に落ちるレベルで曲解

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ娘・悪ノ召使二次・小説】  1.リン王女
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閲覧数:493

投稿日:2010/08/15 20:16:40

文字数:5,308文字

カテゴリ:小説

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