23.不穏な帰還
再び20日に及ぶ海の旅をして、リンら一行は出発した黄の国の港に戻ってきた。
緊張と、自分の国に戻ったという安堵をないまぜにしながらリンは船を下りた。出発した時からひと月近い時間が流れている。黄の国の気候はすっかり乾燥した夏の様相を呈していた。
迎えた者は、ひと月前と同じ、この港町を抱く地区の統治者、ホルスト卿だった。
「おかえりなさいませ、リン王女様」
深く頭をたれ、数人の役人とともに挨拶を述べる。桟橋をわたり広場へ降り立ったリンを迎えたのは、ホルスト卿と数人の役人だった。
「何か、あったのですか」
リンが返礼もそこそこにホルストに尋ねる。
「夏の夕方に、この町がこんなに静かなんて、どうかしたのですか」
灼熱の昼間が過ぎ、陽のかたむきはじめたころ、人々は改めて仕事を仕切りなおす。黄の国の夏は、夕方が一番にぎわう時間のはずなのに、人々は固く扉を閉ざしている。時折窓を開け閉めする音が風にまぎれるのは、遠くから様子を伺っているのだろう。出発のとき、リンは王女を一目見ようとする興味津々の群衆にかこまれ送り出された。お飾りの王女とはいえ、皆、笑って送り出してくれたのだ。それが、このすさみようはどうしたものなのだろう。
「ここで話している暇はありません。早くこちらへ」
険しい顔をしたホルストに、強引に馬車の中へ押し込まれる。何の紋章もついていない、質素な馬車だ。
「まるでお忍びのようね?」
メイコもガクも、身分の低いレンすらも同じ馬車へと押し込まれ、慌ただしく出発した。
「ホルスト様! 一体どういうことなのですか!」
メイコの問いを無視し、ホルストは御者に指示を出す。まるで逃げるように馬車は速度を上げ、室内が乱暴に揺れた。
「ぐっ!」
ホルストだけでなく、一行は皆、舌を噛まずに口をつぐんでおくことが精一杯だった。
馬車の車輪が唸りをあげて、潮避けの木々に囲まれた屋敷の庭に突入した。急停止したおかげで乗っている皆が体重に押され呻いた。
「レン、大丈夫?」
「ええ。長い船旅で適度に休んだおかげで、傷は十分くっついていたみたいです」
王女とレンのやりとりを遮るように、「降りてください!」と鋭いホルストの指示が飛んだ。
「……まったく、どっちが王様なのかしらね」
メイコが毒づき、ガクが険しい表情になる。
「ただごとじゃないな」
到着したのは、ホルストの屋敷だった。
「皆さん、お早く建物の中へ! 」
迎えた役人が、リンを囲むようにせかす。ホルストが自ら屋敷の玄関に走り、扉を開けた。
「ご説明は後です! どこに何者が潜んでいるか、解ったものではない!」
そのとき、リンの頭上を黒い影がよぎった。
「……危ない!」
早業だった。ガクが飛び出した次の瞬間、ガシャン、と鈍い音がした。
「……いったい、なに?」
思わず目をつぶってしまったリンとレン、そしてメイコがゆっくりと顔を上げると、ガクが役人とリンらをかばうように剣を抜いて立っていた。
「……壺のようだ」
見ると、薄い素焼きの破片があたりにちらばっている。ガクが抜いた剣で叩き落したようだ。
「これが、入り口の潅木のあたりから投げられたのだな」
ガクが、少し深く茂ったしげみを指差す。すでに投げた者は逃げ去ったのだろう、かさりとも動かなかった。ホルストがあたりを警戒しつつ、一行に近づいてきた。
「やれやれ。またか。いっそ周りの樹など切ってしまいたいが、強い海風は建物の毒だからな。そうも行かぬ」
ガクが注意深く周囲に目を走らせる中、ホルストは破片の中から何かを拾い上げた。
「それは、」
「嘆願書ですよ。王女様」
「なぜですの! たった一月、わたくしが黄の国を離れた間に、どうしてこれほどまでに民が不満をためているの!」
ホルストが、横目でリンをにらんだ。
「貴女様は、まだお知りになる必要はありませんでしょう。王女殿下」
とっさにガクがリンの肩を押さえなければ、リンはホルストに掴みかかっていただろう。
「わたくしは! 黄の国の王女です! 今は政治に参加する権利は確かにありませんが、将来この国を担うのです! 民に不満があるのなら、それを知っておく必要があるでしょう!」
リンの言葉だけがホルストに勢いよく飛び掛った。
「今回わたくしが青の国へ行ったのも、将来の黄の国のためではなくて? ホルスト!」
浴びせられるリンの言葉をしばらく正面で受けたホルストは、やがてきびすを返した。屋敷の扉を開け、皆が入ったと同時にきつく閉め、鍵をかける。さらに何名かの衛兵を呼び、その扉を守らせた。
「さて。まずは青の国の様子を伺いましょう。この国の話は、その後で、ゆっくりと」
リンの渾身の訴えは、ホルストの溜息に吹き飛ばされ、あっさりと霧消した。
「僕が、召使部屋で様子を聞きだして参ります。今度こそ、お役に立ちますから」
レンがそっとリンに耳打ちし、ホルストに案内されていく一行と離れていった。
上等な客間に案内され、リンが報告を終え、休憩にと部屋を出るとレンが待っていた。
「リン様」
レンがリンの服の埃を払うふりをして近づき、その手にそっと紙を握らせた。隠れて開いたその走り書きを見て、リンは危うく声を上げるところだった。
「ホルスト……!」
書かれていた内容は、衝撃だった。
ひとつは、大幅な増税が行われていたこと。ふたつめは、この一月近く、雨が一切降っていないこと。そして、三つ目は……
「井戸の使用に税を課している、ですって?」
水。それは人が生きるために絶対に必要なものだ。そして黄の国のような乾燥した土地では、簡単に手に入るものではない。そして、続く日照りが、人々の不安をあおっている。
「いったい、何を考えているの! ホルスト!」
リンは走り出した。ホルストの執務室の扉を破れんばかりに叩いた。
「ホルスト! 王家のわたくしに一言も報告なく増税したということは、どういうことですの!」
重い樫の扉が開いて、どっしりとホルストがリンの前に立ちはだかった。
「政治的な理由です。どうかご理解いただきたい」
それきり、ホルストの口は岩のように閉ざされ、一言も発することはなかった。リンにはまだ、その口を開かせる力は無い。
「明日は王都に向けて出立します。ゆっくりと休養され、ご準備ください。王女様。では、私も準備がありますゆえ」
そして、執務室の扉も固く閉ざされてしまった。
崩れ落ちそうになったリンは、かろうじて壁に手をついた。
息が荒い。気持ちが荒れ狂って治まらない。
「はぁ……はぁ……はぁッ……!」
手足ががくがくと震えた。将来自分の背負う黄の国は、いったいどうなってしまうのだろう。
目隠しをされて重荷をくくりつけられた気分だった。恐怖の冷や汗が流れ、歯の根が合わない。真っ赤に燃えながら夕陽が落ちていく。その様子はさながら怒りを抑えた民の心。訪れた闇は不安に満ちたこの国の未来。
「あたしは……黄の国を……豊かで、素敵な国に……しようと、思うのに」
重たく熱を持った空気に押しつぶされ、リンは闇の中で耐え切れず崩れ落ちた。
続く!
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ご意見・ご感想
matatab1
ご意見・ご感想
wanitaさん
以前メッセージをいただきましたmatatab1です。本当にありがとうございます。
レンが助かって安心していたら、今度は役人たちとの問題が……。リンが心配な反面、どう悪ノ娘になっていくのかが楽しみです。変態か私は(笑)
メイコが商人だったり、レンが好きになった相手がハクだったりと新鮮です。
確かに原曲では『緑のあの子』と言うだけで、ミクとは断言していませんよね。盲点でした。
続きを楽しみにしています。
2010/08/09 21:19:58
wanita
メッセージありがとうございます!暴走全開の話を読んでいただいて嬉しいです☆
書き進める中でも、実はリンが一番、必死になりすぎて危ういです。これから一気に追い落とすのでこちらも楽しみ☆(←変態^^)
商人メイコとハクに関しては、大人のメイコがたまに未熟な部分を見せたり、いじめられっ子だったハクが負けん気の強さを発揮する場面は書いていてスカッとします。国は大変な運命に巻き込まれるけれども、物語に出てくる色んな立場のキャラが、読んでくれた誰かのお気に入りになれたら嬉しいなと思ってます^^。これからも、どうぞよろしく!
2010/08/11 01:07:38