第三章 決起 パート19
よかった、間に合った。
先頭を走るウェッジに遅れまいと騎馬を操作するリンは、既に本隊との乱戦が開始されている前方の様子を見て安堵するようにそう呟いた。まだ、本隊は突破されていない。
「覚悟は、ついているか?」
振り返りながら、ウェッジがリンに向かってそう言った。速い速度で移動しているせいか、いつも以上に風を強く感じる。ツンとする、無機質に感じる風であった。
「ええ。・・大丈夫。」
後ろに括りつけた、短めの髪がはたはたと激しく揺れる。目を開けていると瞬時に乾きで痛くなるほどに、風が強い。怖いかと訊ねられれば、正直に言って怖い。これから自身が突入する現場がどのようなものであるのか、それは十分過ぎるほどに理解しているつもりだった。戦だ、革命だと奇麗事を言ったところで、戦闘の中で求められることは二つしかない。一つは、相手を殺すこと。もう一つは、自身が生き残ること。その戦を決断した人間は他でもない、あたし自身。
「そうか。」
リンの言葉に何事も無かったかのようにそう言ったウェッジは、再び土ぼこりと千切れた草木が舞い起こっている乱戦の現場へとその視線を移した。普段見るようなのんびりとした空気は今のウェッジには感じ取ることが出来ない。あの時、迷いの森でアクと刃を交わした時のような強烈な殺気だけを撒き散らして、ウェッジはただ一目散に馬を進めさせている。手にした刃で、これから何人の人間を殺すのだろうか。そして、あたしは一体何人を犠牲にする戦いを目的としたのだろうか。
それでも、戦わなければならない。
リンはそう考えた。かつての自分のように、人を殺す命令だけ出して、自らの手を汚さない過去の自分とは違う。あたしはレン。ボクは、ミルドガルドの将来を信じて、戦う。そう考えながら、リンは腰に佩いたバスタードソードを抜き放った。少し重たく感じる剣を握り締めて、きっ、と前を向く。敵兵の姿が見えた。後方から訪れた敵に対応しようとする動きが見える。だが、その動きは散漫で、寧ろ戸惑いを強く感じる。
気付けば口を大にして上げていた自らの雄叫びだけを心の支えにしながら、リンは戦場へとその身体を赴かせた。ウェッジが剣を振り下ろす。強烈な刃が帝国兵の頭上から叩き付けられた。銃剣を突き上げる兵士。切先の刃が陽光に照らされ、リンの視界にきらりと光る。それを目印に、リンは両手に掴んだバスタードソードを力任せに振り下ろした。鋭い剣先がその男の肩に突き刺さる。絶叫と血飛沫。なまめかしい、嫌な感覚がリンの両手に加わった。途中で剣が止められたのは骨にまで刃が届いたからだろうか。錯乱したような充血した瞳でリンを見上げる帝国兵と目が合い、自分のなしたことに対する恐怖を瞬間に覚えてその動きを止めたリンに向かって、別の帝国兵が銃剣を突き上げる。
「馬鹿野郎!」
鋭い叫びと同じくして、ウェッジの刃がその帝国兵の首から上を一撃で吹き飛ばした。その声にリンははっとしながら、一度とめた剣を引き抜き、肩から宝石のように鮮やかに赤い血を撒き散らす兵士に向かって、止めを刺すようにもう一度剣を振り下ろす。頭蓋に命中した剣は骨を砕く鈍い響きと共に兵士の身体に吸い込まれた。
「油断するな、死ぬぞ!」
ウェッジはそれだけを告げると、刃の方向を変えて別の敵兵を逆袈裟に切り飛ばした。これが、戦場。言葉を放つことなく、自らの剣によって息絶えた兵士の亡骸を一瞥したリンは、気持ちを切り替えるように馬の腹を力任せに蹴りつけた。人を殺した。その事実がリンの心に重くのしかかる。それでも、戦わなければならない。
鍛え上げたリンの剣術は的確だった。同じように初陣となるセリスもまた、次々と帝国兵を屠り続けている。何の迷いも無く、剣を振るうセリスの姿にリンは羨望にも似た感情を受け止めながら、ただ戦い続けた。この場所にいる限り、その人間が持つ身分や門地の境目など微塵も存在していない。生きるか死ぬか。単純な、そして究極の二択しか用意されていない。それが戦場。
リンはもう一度、剣を振り下ろした。銃剣を構えて避けようとする兵士の動作を先読みして袈裟懸けに切り裂かれた刃は、兵士の息の根を瞬時に奪い去った。血の雨が降り注ぐ。頚動脈を切り裂いたのだろう。まるでくみ上げられるポンプのように、噴水のように湧き上がった人間の血をその身体全体で受け止めながら、リンは別の兵士に向かって剣を突き下ろした。鉄臭い、と思った。口の中に感じるぬるりとした感覚は誰かの血の味なのだろうか。銃剣がリンに向けて突き出される。さらりと交わしながらリンは、いつの間にか戦闘という状況に慣れ始めている自分自身を自覚することになった。
人殺しをしているのに。
そう思った。
何も、感じなくなってきた。
何人殺しただろうか。多分、五人とか、その程度。本来ならば許されぬ行為が、この場所においては正当化される。そしてそれは自分自身の良心すらも霧散させてしまう程度に。
帝国兵の動きが攻撃から防御へと、そして逃げ腰にへと変化し始めていた。別働隊の突撃により帝国軍は元より防御の薄かった後方からの無差別攻撃に晒される結果となったのである。その動きを、初陣のリンとセリスはともかく、戦経験が豊富であるウェッジとメイコは的確に読み取った。もう少し押せば、完全に崩れる。
「メイコ殿、そろそろ頃合かと。」
会話を呼びかけながら、ウェッジはもう一人の利き腕の肘から下を切り飛ばした。
「ハンザは?」
短くそう答えて、メイコもまた及び腰になった帝国兵に容赦の無い一撃を加える。
「恐らく、軍の中央に。」
「では。」
その言葉だけで十分とばかりに、メイコは馬の方向を変えた。その動きにメイコ以下の五百騎が続く。それまでよりも強く押し始めたメイコの剣撃に、帝国兵が恐れをなす様子が手に取るように見て取れた。
「行くぞ、敵将を撃つ!」
メイコの叫びに赤騎士団が怒号で答える。一体の生き物のように密集した赤騎士団はその勢いを持って一気に帝国軍にかける圧力を増大させた。一進一退の攻防バランスが崩れる。血に飢えた獣のように赤騎士団は帝国軍に殺戮を要請したのである。大地に撒き散らす血の殆どは帝国兵の所有物であった。陽光に照らされた赤が妙な角度で輝く。人体を突き破る鉛弾のように帝国軍を切り裂く集団の一つに身を任せながらリンは、既に人を切る罪悪感も失いながら、それでも冷静なまでに的確に敵兵を切り裂いていった。残された時間はそれほど多くはない。乱戦の時間が長引けば長引くほど、数に劣る革命軍は、現在はともかく将来的には不利に立たされる結果となる。事前にロックバードからも指示を受けている通り、短時間で敵に大打撃を与える。それが作戦の成功条件だった。以前人だった有機物質を馬上から踏みしめながらリンが強い視線を前方に送る。見えた。
ただ一人、馬上に跨り、混乱した帝国軍を纏めようと必死の指示を飛ばす人物がいる。敵軍司令官ハンザであった。その姿を視界に納めて、リンは懐から、大切に仕舞い込んでいた回転式銃を取り出す。太陽に向けてきらりと光る銀色の銃身をちらりと眺めてリンはその黒色のグリップを握り締めた。
「行くわ。」
決意を示すように呟いて、リンは銃を構える。その援護とばかりにセリスがリンを襲おうと迫った帝国兵を一撃に切り裂いた。ハンザがそのサーベルを構える。騎士の一人と刃を交わし、甲高い金属音が響き渡った次の瞬間。
乱戦の現場には似つかわしくない、激しい銃撃音が周囲に響き渡った。近距離戦の為にマスケット銃の銃撃音も鳴り止んでいた戦場に、その音は一種特別なもののように響く。次の瞬間、ハンザの左目から鮮血が飛び散った。リンが眉間に定めた狙いは僅かにそれ、代わりにハンザの左目を吹き飛ばしたのである。苦痛に悶えながらハンザは左目を押さえると、無造作にサーベルと何度か振り続け、そして全軍に向かってこう叫んだ。
「全軍撤退!」
その合図を受け、帝国兵がまるで引き潮のように、猛烈な勢いで撤退を開始した。その間にももみ合いのように戦闘が継続される。逃げる帝国兵に対して猛烈な追撃を加える赤騎士団に対し、帝国兵の抵抗は歴史に名を残すほどに猛烈なものであった。更なる流血を求める赤騎士団に向かって、散発的ながら各個が猛烈に抵抗し、その被害を最小限に止めることにだけは成功したのである。だが、後にルワール戦争と呼ばれたこの戦いで、帝国軍の損害は半分を超えるという、壊滅的な打撃を被ったのである。
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