海を眺めている。
 青くて、大きくて、広い海。
 見ているとちっぽけな自分がどうでもいいように思えて、壮大な青の中に入りたいな、なんて考える。
「…さて、帰ろうかな」
 その呟きは、誰にも届かず風が攫った。

***

 そうだ、海に行きたい。思いついたのは早めのバスタイムを終えてリビングでアイスを食べている時だった。
 あたしの誕生日を明日に控えているからか、数人はどこか浮き足立っている。周りからは鈍感だとか、くそミジンコ感情の持ち主とか言われているけど、周りの空気の変化には結構敏感だったりするのだ。そしてその空気の変化が、あたしはどうも苦手だった。
「あたしもう寝るわ」
 そう言うと、明らかに困惑した空気が漂った。もしかして日付が変わる時に何かを企画していたのかもしれない。というかそうだろうな、毎年そんな感じだもん。
「は、早くないか?まだ10時だぞ?」
「そうだよ、いつもこんな時間に寝ないじゃん」
「そうだLily!今から一緒に飲みませんこと?美味しいシールドが手に入ったんですの」
「りんご!?私も飲みたい!」
「美味しいおつまみも作りますよ、神威さんが」
「俺かよ!?」
 上からレン、リンちゃん、るか、すぅ、キヨテル、がくぽの順。その他にもその場にいた人達が、どうにかあたしを引き留めようとしている。たまにはいーでしょ!そう言い残してリビングを去った。

 部屋に入って、まずは明日の準備をした。最近はみんなで外出自粛をしていてお出かけすることもなかったから、どうせなら1番お気に入りのワンピースを着ていこう。花柄のマキシ丈ワンピース、上半身がオフショルデザインで、大人っぽくて可愛いんだ。特別な日に着ようと思ってたし、明日が1番似合う服。そういえばこれに合わせてつばの大きな麦わら帽子やサンダル、カバンも買っちゃったんだから、全部全部身につけて出かけよう。
 そんなことを考えているととても楽しくなってきた。アクセサリーもお気に入りを決めて、それらを全部クローゼットに閉まって布団に入る。キヨテルやらなちゃんが部屋に入ってきても明日のことがバレないように、いつも通りを装って眠りについた。


 朝4時。
 最小限に抑えた目覚ましの音で起きたら、まずは顔を洗いに行った。まだ皆寝ているだろうからひっそりこっそり。朝ごはんは道中で食べればいいから水を1杯だけリビングで飲んで、またひっそりこっそりと部屋に戻る。
 特別な日のメイクは一段と気合いが入る。天気予報では今日も猛暑になると出ているから、汗をかいても落ちないメイクをしなければ。それに合わせて、今はマスクをしても崩れないメイクにしなきゃいけないから、普段のそれより何倍も労力がいる。だけどその分やりがいはめちゃくちゃあるんだ。あとアイメイク派手にできるのが楽しすぎる!ラメをふんだんに使ってキラキラな目元を作って、まつ毛をぐいっと上げて。気分も最高潮に上がっていた。
 全ての準備を終えた朝5時すぎ、自室の机の上にメモとスマホを置いて家を出た。終電までには帰ります、ってメモはリビングに置いても良かったけど、まあ多分入ってくるでしょ。

*

 あえて普通の電車に乗って、ゆっくりと海に向かう。乗り換え駅で美味しそうなパン屋に入ったり、普段買いもしないような小説を買って電車の中で読んでみたり。連絡が届くのが面倒だったからスマホ置いてきちゃったけど、正直失敗だったな…。乗り換えアプリに普段どれだけお世話になっているか思い知らされた。まあ乗り換えに失敗したところで一人旅なんだからいいや。
 電車に揺られること5時間ほど、そこからバスに乗って着いたのは白浜大浜海岸。近くの綺麗な海って検索したらオススメで出てきたのがここだったんだけど、平日だからかあまり人が少ない。今年は夏休みも短くなったからその影響もあるんだろうな。

 時間は1時過ぎ。電車に乗っていただけとはいえお腹が空いてきたので、近くにあった小さなカフェで軽くご飯を食べることにした。店内には店員らしき男性しかいなく、入るととても元気に迎え入れてくれた。カウンター席に案内され、メニューから適当なものを注文する。
「お姉さん、どこからいらっしゃったんですか?」
 水を出したタイミングで店員が話しかけてきた。一瞬黒髪に見えたそれは、陽の光に当たると青色に輝いて見える。
「隣の県からです、綺麗な海が見たくなって」
「隣っていうと横浜から?」
「いえ、名古屋の方です」
 名古屋!?とお兄さんは大きく驚いてみせた。確かに遠かったもんな、と道中に思いを馳せていると、頼んだオムライスが届いた。運んでくれたのは茶髪の女性で、店員がもう1人いたらしい。
「海斗、お客さんにそんな絡まないの。…ごめんなさいね、店に入って早々変なのが絡んできて面倒だったでしょ?」
「大丈夫ですよ、慣れてますしこういうの」
「なんか2人とも辛辣な気がする……」
 まあ家の事やバイト先のことを思えばこんなものどうってことはない。ちなみにバイト先はメイドカフェです。ほら、お兄さん…海斗さんがどうってないと思えるでしょ?
 ホールの海斗さんとキッチンの芽衣子さん。ここのカフェは2人きりで切り盛りしているそうだ。あまり満席にすると私が大変だけど、ここまでお客さんが来ないのも困ったものよね、とは芽衣子さんの言葉。どうやらオーナーは芽衣子さんのようで、このご時世の中だから色々大変そうだ。オムライスを頬張りながら2人の雑談を聞く。美味しい。
「まあ、僕は写真撮りに行けるからこれくらいでいいんだけどね」
「全く、あんたは気楽でいいわね」
 海斗さんがにこやかに言う反面で、芽衣子さんは呆れ顔をしている。写真を撮る、ということはこの場所に店を構えたのもそれが理由だろうか。そういえばこの店には、至る所に綺麗な風景写真が貼られている。
 不意に海斗さんが、被写体やってみない?と言ってきた。あたしが被写体?
「お姉さん綺麗だし、写真映えしそう!少しでいいのでなってくれませんか?」
 言うが早いか、海斗さんはもう奥に行ってカメラの準備をしている。待ってあたしまだ良いって言ってないんですけど……。
 助けを求めるように芽衣子さんの方を見る。さっきまでの呆れ顔は変わらずだけど、なんだか愛おしそうに海斗さんの背中を見ていた。
「何だかんだ言って、私が海斗のこと甘やかしちゃうのよね」
 芽衣子さんの言葉は、きっと愛ゆえなんだろうな。ってちょっと思ったりした。キヨテルも、あたしに対してこんな感情だったりするのかな…なんて、柄にもなく考えてみたりもした。

「ネックレス、なんの石なの?」
 結局海斗さんの押しに負け、被写体になるべく2人で海岸に来ていた。一通り撮影した後に日陰で撮ってもらった写真を見ている時に、ふと海斗さんが聞いてきたのだ。あたしの胸元には、目と同じ色の石がきらきらと輝いている。
「何だったかな……あ、確かラピスラズリって言ってました」
「随分曖昧だなあ、誰から貰ったの?」
「ええっと……」
 このネックレスは2年前のクリスマスに、キヨテルという名前のサンタから貰ったものだった。特に思い入れがあるわけじゃないけど、深い青色が輝くのが好きで今日も付けてきている。
 それぞれの石には石言葉、なるものがあるらしい。ラピスラズリは幸運を引き寄せてくれるんだよ、と海斗さんが教えてくれた。
「だからそれをくれた人は、お姉さんの幸せを1番に願ってくれているんじゃないかな」
 あたしの幸せを、1番に。何にも代えがたく思ってくれている……。なんだかむず痒い感じがする。一度首から外して陽にかざすと、一段ときらきらして見えた。
 海斗さんが撮ってくれた写真は貰うつもりなかったけど、どうしても何か思い出が欲しくて、カバンからチェキを取り出した。フィルムが10枚しか入らないごく普通のチェキに、この日を閉じ込めておきたい。海斗さんにこれで撮ってほしいとお願いして、何枚か収めてもらった。胸元のネックレスが、いつもの数倍綺麗に写っているのがなんだか嬉しい。
「ありがとうございます。ワガママ言っちゃって」
「いいのいいの。そういえば、ラピスラズリって12月の誕生石でもあるんだけど、お姉さんの誕生日?」
「あー……、あたしは8月生まれです、ハハ…」
 海斗さんがスペキャ顔になっている傍らで、あたしは苦笑いをしてしまう。そういう事かあの野郎。

 海斗さんと別れて、そのまま海岸に向かった。いつも見る海とは綺麗さが段違いで、ずうっと見ていても飽きない。
 濡れるつもりは無かったので、砂浜を歩いてみたり、堤防に座って足を投げ出してみたり。とにかく海を触覚以外の五感で満喫してみる。潮混じりの海の匂い、湿っぽい風、波の音。そして、一面に広がる青色。めいっぱい空気を吸って、吐いて、全身で海を身体の中に取り込む。気持ちいい。
 こうやって見ていると、なんだか自分がちっぽけな存在だって思い知らされるようで、無性に寂しくなる。広い世界にひとりぼっちなんじゃないかって、この青の中に入ったらどうなるんだろうって。
「…さて、帰ろうかな」
 でもあたしはひとりぼっちじゃない、家に帰ればいつも賑やかだし、それこそキヨテルやらなちゃんが引っ付いて離れない。少し鬱陶しいとも思うけど、あの空間がやっぱり大好きなんだよな。そう思ったら早く家に帰りたくなってきた。最後に1枚だけチェキで海を撮って、駅に向かうことにしよう。

*

「ただいま〜」
 時刻は11時ちょっと前。玄関のドアを開けた途端、ドタドタと足音が鳴り響いた。ちょっと怖すぎるんだが?というか玄関狭いのに1人余らず押し掛けて来ないでよ家壊れちゃうよ?
 どこ行ってたの、なんでスマホ持ってかなかったの、心配したんだけど、と口々に言ってくる。あたし聖徳太子じゃないんだけど、と言うと誰のせいだと思ってるんだの大合唱。
「わぁ息ぴったり」
「他に言うことあるだろ!?」
 がくぽにキレられた。そうだよね、さすがにふざけすぎました。
「……みんなごめん、迷惑掛けて」
「本当ですよ、貴方はいつも突拍子もないことをする」
 ため息をつきながらキヨテルに言われる。あたしを見るその眼差しが、海斗さんを見る芽衣子さんの眼差しによく似ている気がした。

「さ!あと1時間しかないけどパーティしよ!」
 今日のためにケーキもクッキーも作ったんだから、とすぅがリビングにみんなを促す。何だかんだ言って家主はこのチビで、賑やかすぎる我が家のまとめ役なんだよな。
 あたしもリビングに行くためにサンダルを脱ぐと同時に、帽子を取られた感覚がした。そして玄関に上がる時に手も取られる。帽子を大事そうに抱えているのはらなちゃんで、手を取っているのはキヨテルだ。
「さぁ行きますよ、我儘なお姫様」
「今日のこといっぱい聞くからねLily先輩!」
 2人とも言葉はそれぞれ違うけど、どちらも暖かい。最近は鬱陶しく感じていたけれど、あたしの日常には2人を含めたこの家がちゃんとあったんだと、改めてそう思えた。
「うん、今日のこといっぱい話したげる!」
 ひとりで海に行った理由、その道中、そこで出会った人達、実際に見た景色のこと。そして感じたこと。話したいことが沢山沢山あるんだ。全部聞いてもらうからね!
 まあその前に、リビングに行ったら大量のクラッカーと甘いものが待っているんだけどね。とりあえずは、この幸せをめいっぱい堪能することにしよう。

『HappyBirthday Lily!!』

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

瑠璃色に入りたくて、夏。【Lily誕生祭2020】

お久しぶりです。

ラピスラズリは、幸運を招く石とも言われているそうです。
彼はそれを意図して渡したのかわかりませんが、彼女を想う気持ちから無意識にその石を選んだのかもしれませんね。12月の誕生石って色々ありますので。

キヨリリタグとカイメイタグはつけた方がいいのかしら……。また後で考えます。いやカイメイは付けておくか、添えるだけだけど。

Lilyさん10周年おめでとう!!!!!

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投稿日:2020/08/25 08:25:07

文字数:4,761文字

カテゴリ:小説

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