15、心の準備は万端です


 だんだん、蝉の鳴き声がツクツクホウシの声へと変わっていく時間帯に、俺は坂倉記念公園の時計台で加治屋を待っていた。ここが一番目立つので、集合場所はここにした。
 ふと、周りを見てみると、提灯がほんのりと灯りを灯していて風情がある。それだけに目を奪われていたわけでもなく。周りはカップルと思われる人々がたくさん集まっていた。やはり、ここは有名な集合スポットのようだ。
「おまたせ」
 カランッと音がした後、肩をポンっと叩かれる。
 反射で後ろを振り向くと、いつもとは違う加治屋が居た。
「えへへっ。綺麗でしょ?」
 そう言って加治屋は身に着けている浴衣の袖を持ってふわっと一回転した。珍しくお団子で丸めている髪の毛がポムッと揺れる。水色の花びらの浴衣がこの世で一番似合うのはたぶん加治屋だ。
「う、うん。かわいいよ……」
 あまりのかわいさに返事が遅れてしまう。
「ほんとぉ! えへへっ」
 加治屋が無邪気に笑うと、よく誘えたなぁっと思い、泣きそうになる。その泣きそうな気持ちを堪えて、「じゃあ、行こうか」と声をかけた。
「うん!」
 加治屋は満面の笑みを浮かべてそう言った。


                   *
 鹿野君が迎えに来る時刻が刻々と迫ってくる。
 あたしは、部屋にある全身が映る鏡の前に立って色々な確認をしている。
 髪型……。よしっ。
 浴衣……。まぁ、あたしには似合わないかも。
 そう思いながら、白がベースで桃色の花びらが鮮やかに飛び交っている浴衣を見て、ため息を漏らす。これはもともと従姉妹のお姉ちゃんからもらったもので、お姉ちゃんはかわいくて似合っていたから少し憧れていた。でも、そんな浴衣を渡せされてもあたしにはこの浴衣の良さを最大限に発揮できない。
 こんな綺麗な浴衣は、渚とか友ちゃんが似合うのになぁ。と思いながら鏡をもう一度見る。襟にかからない程度に切られた髪は、首と後ろ髪の間に風を通して心地がいい。だからこの髪型にしているといっても過言ではない。でも、昔はロングヘアーが好きだったと思う。いつから。ショートカットにしたのかが、わからない。物心ついたときからこの髪型だったから。そんなことを思っていると、インターフォンが鳴った。
 鹿野君、もう来たのかな?
 そう思って窓の外を見ると、甚平姿の鹿野君が立っていた。あたしに気付いたようで、手を振ってくれた。あたしは鹿野君に微笑んで階段を駆け下りる。
 玄関に、小さな鏡がある。あたしはもう一度鏡を見て、髪を整える。よしっと一人でもらして「いってくるね」といい、玄関の戸を開ける。目の前にはすぐ鹿野君がスラッと立っていた。
「あ、浴衣だ」
 鹿野君はそう言ってニコニコと笑顔を浮かべる。

「鹿野君も、甚平じゃん」
「うん。おじいちゃんからのおさがり。この場合っておさがりって言えるのかな?」
 鹿野君はそう言って、甚平の裾を広げて笑う。おじいさんからのおさがりと言っても、そんなに古びてはいない。縦に入っている灰色のラインが美しく見える。
「大杉さんの、浴衣姿新鮮だね」
 鹿野君はそう言って、「花柄がまたいいね。日本って感じで」と付け加えた。
「そう? でも、あたしには似合ってないよ。これも従姉妹からのおさがりだし」
 不満げにそう言って、浴衣の裾を引っ張ってみる。
「そう? 似合ってると思うけどな。良さを最大限に使ってる感じだよ」
 鹿野君はそう言ってニコッと笑う。
 そんな鹿野君の言葉に、少したじろいで驚いた。
 あたしが、この浴衣に似合ってる?
 思ったこと無かった。
 思わず、複雑な表情になる。
「あれ? 気に召さなかった? ごめん」
 鹿野君はあたしの表情を読み取ってか、すぐに頭を下げる。
「ううん。全然。逆に嬉しいよ。そんなこと言われたのも初めてだし」
 本当に複雑だ。
 好きな人でもないのに、褒められてドキッとする感情は。胸の辺りがキュンとする感じは。
「鹿野君は、すぐ人の顔色をみるね」
「え? そうなの?」
 鹿野君はそう言うと、足を進める。鹿野君の履いている下駄がカランコロンと心地の良い音をたてる。
「うん。できれば、あたしの前では普通の鹿野君で居てほしいな」
 あたしがそう言うと、鹿野君は少し俯いて「そうかなぁ」ともらす。そのときの鹿野君は、どこかが不安そうだ。
「あ、ごめんね。いけないこと言っちゃった?」
 あたしがそう言って、鹿野君の顔を覗きこむと、鹿野君は首を振る。
「それなら、大杉さんも同じだね」
 鹿野君はそう言って笑う。「今も、僕の顔色見たでしょ?」
「あ……」
 そうだ。あたしも人の顔色みてるんだなぁ。
「人の顔色を見ないで行動できる人がうらやましいよ」
 鹿野君は、微妙な空気を打破するように言葉を発する。
「あ、それ私も思う。なんでこの人は人に気を遣わなくても気にしないで生きていけるんだろう。気が座ってるなぁって思うもん」
 あたしがそう言って笑うと、権弘の家から声がする。

「マド姉どこ行くのぉ!」
 マド姉……。あたしのことをそう呼ぶのは権弘の弟、榎本光秀のだけだ。今年で中学一年で、背も高い。もう少しで百六十センチのあたしを上から見下ろすことになる。見下ろすのは、身長だけではなく、性格もあたしを少し見下している感じはにおっている。とは言っても、今現在上から見下ろされている。
 光秀は、二階の自室の窓から頭を出して手を振っている。
「あの人って、エノヒロの弟?」
 鹿野君が、光秀を見上げながら言う。あたしが相槌を打つと、光秀が大きな声で避けんな。
「横の外人さんだれぇ? 彼氏ぃ?」
 光秀は鹿野君を指差し、ニヤッと笑うと鹿野君に手を振った。それに比例して鹿野君も笑顔で手を振り返す。
「ち、違うよ! 早く勉強したら!?」
「はいはーい。デート楽しんでね」
 光秀はまたニヤッと笑い、窓を閉めた。
 窓を閉めたのを確認すると、顔が赤くなる。
 やっぱり、あたしたちはそういう風に見えちゃうのかなぁ?
「彼氏だって。そんなわけ無いのにね」
 鹿野君は、大笑いしながら答える。しばらく泣き笑っていたので、目には涙が溜まっていた。
 目に溜まっている涙を長い人差し指で拭って呼吸を整え、鹿野君は口を開いた。
「まぁでも、大杉さんとだったら悪くないかな」


 いつもの鹿野君はそう言ってニコッと笑うのだが……。今日は違った。笑うどころか真剣な顔で真っ直ぐあたしを見ていた。頬が少し赤くなっている。見られている私まで恥ずかしくなってきた。
「僕も、マドって呼びたいなあ」
 鹿野君はそう言うと、恥ずかしそうに「なんちゃって」といい、頭をポリポリと掻く。
 なんだろうなぁ。この気持ちは。
 鹿野君の笑顔を見ると、胸の動悸が激しくなる。言葉の一つ一つがあたしの心に届いていく。浸透していく。
 もっと鹿野君を知りたくなる。
「いいよ」
 あたしがそう言うと、鹿野君は驚いた表情であたしを見下ろす。
 正直。なんで口を開いたのかはわからない。でも、鹿野君にはもっと親しくしてほしいという気持ちがありふれていた。もっと鹿野君を知りたいと思った。もっと、一緒にいたいと思った。マドっていうあだ名は少し不自然だから遣われたくない。でも、鹿野君なら根拠の無い自信で許せる。
「マドって呼んで……ください」
 見下ろされたから、上目遣いで鹿野君を見る。
 鹿野君は少し驚いた表情をしたあと、顔を赤くする。
「え……。い、いいの?」
 拍子抜けした顔をして、鹿野君は言う。
「うん」
「ダメもとだったんだけどなぁ……」
 鹿野君はそう言って、また頭をポリポリと掻く。その表情と行動は幼く見えた。
「じゃあ言わない?」
 あたしが首を傾げてみると、鹿野君は右手を横にブンブン振った。
「いやいや。とんでもない!」
 そう言った鹿野君は、カランと下駄を鳴らしてみせて
「マ……、マド」
 と、頬を赤らめて言った。
「鹿野君は、シャイなんだね」
 あたしはそう言ってフフッと笑う。
「誰だって、そうだよぉ。だって……」
 そこで鹿野君は少しだけ間を空けて、
「友達って感じじゃん」
 と、赤くした頬を右手で撫でた。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

14.5 心の準備は万端です

閲覧数:48

投稿日:2014/06/22 20:00:38

文字数:3,392文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました