「あの、マスター…」
「ん?」
「花って、どういうことなんです?」
マスターの自室。
レンが家の中に戻るのを見届けたマスターに、見つめていても返答がないことに気付いたカイトが問いかけた。
「お庭の夏の花は、もうだいぶ咲いてますよね?」
「情緒がないね、お前は」
「この場合、マスターが分かりにくいのが悪いと思います」
そうだね、とあっさり肯定されて、カイトが思わずため息を落とす。その時、かすかにノック音が響いた。
「マスター、いる…?」
か細い呼び声に、訪ねて来た相手に気付き、追及も忘れて声を上げようとするカイト。それを手で制して黙らせ、マスターが穏やかに誘う。
「居るよ、どうぞ」
かちゃりと開いたドアの向こうには、しょぼくれた表情のリンが居た。ゆっくりと目線を上げ、室内にカイトの姿を認めて、一歩退く。それに驚いたのはカイトの方。
「リンちゃんっ?」
「来るなあっ!!」
叩きつけられた叫び声。カイトは伸ばそうとしていた手を凍りつかせる。叫んだ方は涙目でその相手を睨みつけていた。
「り、リン、ちゃん…?」
「ふしゃーっ!!」
「わあっ?!」
それでも恐る恐る話しかけると鋭い目線と猫のような声で威嚇される。
しばらくの膠着。睨むリンとおろおろするカイト。
その様子に最初に耐え切れなくなったのはマスターで、くすくすと笑い声を上げ始める。
「ま、ますたぁぁ…」
「だから、情けない声を出すものじゃないよ」
「ですけど、だって、リンちゃんがぁ…」
「リン、気にせず中においで」
マスターに呼ばれて、カイトからぷいっと視線をそらしたリンが部屋へと入って来た。
カイトに近付かないようにぐるりと大回りをして歩くその様子を、避けられた方は見捨てられた犬のように見守る。
「カイト。そんなに気になるのなら、可愛い妹の可愛い八つ当たりくらい受け止めてあげなさい」
マスターは、自分の言葉に膨れた顔になるリンを、苦笑しながら手招く。きょとんとしたカイトがマスターに尋ねた。
「八つ当たり…、ですか?」
「受け止められないのなら、今お前が話しかける方が逆効果だってことくらいは察すること」
「う、でも…」
未練がましくリンに目をやるカイト。
リンがそんな兄の目線にちらっとだけ目線を返してから、マスターの傍に立ち、…口を開いた。
「…マスター」
「何かな?」
緩やかな笑顔を向けて聞き返すマスター。
「レン、青い影がちらついて、歌えないって…」
「そうか。全く同じ曲となれば、やはりカイトの影響が大きいようだね」
「…へ?」
思わぬタイミングで名前を出されたカイトが間の抜けた声を上げる。
それを無視して、リンは自分の訊きたかったことを、そのまま口にした。
「マスターには、分かってたんじゃないの…?」
「まあ、レンがカイトを尊敬しているのは知っているからね。こういう風になるかもしれないな、とは思っていたよ」
「だったらなんでっ?! なんで同じ曲歌わせようとしてるのっ?!」
「り、リンちゃん…?」
「あっ、あたしには関係ないとかっ、そんなこと言わなきゃいけないくらいにレンが苦しんでるのに…っ!!」
近いからこそ突き放されたのだとリンにも分かっている。
自分が分かってしまったからこそその言葉をぶつけられたのだということも。
…それでも、優しい片割れの真意を思うと、たまらない。
「レンが苦しかったらあたしも苦しいのに…っ。あたしじゃ、レンに何にもしてあげられない…っ!」
マスターは、訴えてくるリンをまぶしげに目を細めて見て、ゆっくりと言葉にした。
「たったひとつの手で支え切れるものなんてありはしないよ」
「え…?」
「ああ、さっきのカイトの質問の答えにもなるけれども。同じ曲を歌ってもらおうとしたのはね、風雨にさらされても、ありのままに花開いて欲しいからだよ」
「な、何それ…っ」
「カイトに憧れて自分の才能をつぼみのままにさせておくのではなく、カイトを尊敬するからこそ、才能を花開かせるレンを見たいんだ」
「え? ぼ、僕、ですか?」
「お前はもう少し自分の才能に自信を持ちなさい」
「…あ、え、でも…」
マスターが戸惑うカイトに呆れたような顔をしてみせた。
「本当に悪いところばかり似てくれるね」
「…そんなこと言われましても…」
「まあ、仕方がないか」
自嘲気味に笑ってから、納得していない表情のリンに優しいまなざしを向ける。
「憧れるものに精一杯手を伸ばして欲しいんだ。素晴らしい、手が届かない、だから無理だ、ではなくて。尊敬しているものに手を伸ばしながら、自分の才を花開かせて欲しいんだよ」
同じ才でも、違う才でも。決して萎縮して腐らせて欲しくないのだから。
マスターの言葉にカイトが目を瞬かせ、リンが目を見開く。
「荒療治であることは認めるけれどもね。直面しなくては壁は乗り越えられない。…それに何より、レンはリンを含め、独りではないから。きっと吹っ切れる、と、わたしは信じているよ」
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