朝から研究室は大賑わいだった。
僕と共にミクの目覚めを待ち焦がれていた開発者の皆は、言葉賭けたり触れてみたりで、とにかくもうミクに夢中だ。
ミクもまた、あっという間に言葉を覚え、片言ではあるが僕達と会話することができるようになっていた。
物覚えが早い。これなら、1ヶ月程度で常人と同じように会話ができるようになるだろう。
「先輩。社長をお呼びしました!」
鈴木君の後ろに続き現れたのは、僕の勤務する会社、クリプトン・フューチャー・ホームズ社長の小林大介さん。
大学時代、僕を好意的にクリプトンに招き入れてくれた人で、その他にも身の回りのことで色々お世話になり、家族のいない僕にとっては上司と部下以上の関係にある人だ。
ミク開発にも、社長は精力的に関わってくれた。
「おはようございます。社長。」
「おはよう。それとおめでとう。よくやってくれた!」
社長は両手で僕の右手を固く握った。
「社長、こちらです。」
「おおっ!」
社長はミクの姿を見るなり、まるで子供のように驚きの声を上げた。
ミクの前に顔を突き出して、まじまじと見つめると、ミクもまた、社長の顔を不思議そうに見つめる。
「だれ。」
「あ、あー私か。私は、ここの社長だ!」
「しゃちょー?」
言葉を交わすと社長はさらに嬉しそうになり、今度は僕の肩を痛いほど握った。
「素晴らしい・・・・・・この声色といい、肌の色から感じる温度といい、どこから見ても人間そのものだ!」
「ええ。彼女は、次世代人間型アンドロイドの基本形となります。未来に続く技術にちなみ、ミクと名づけました。」
「うむ。これなら、本社の方も納得して、今後の開発を支援してくれるだろうな。」
本社というのは、僕のいる、家庭用アンドロイド開発中心のホームズをはじめ、医療関係のメディカルズ、情報通信関係のメディアの子会社三社を束ねる、本社の事だ。
今回の開発はメディカルズとの協力と莫大な資金を消費するため、本社はミクの開発に許可を出しておらず、ここまでは僕達の独断で行われてきたことなのだ。
だが、ここまで大きな成果を見せれば、本社のお偉方も納得してくれるはずだ。
莫大な資金が必要となった最大の理由は、ミクを人に近づける為に、いっそのこと人間の体を使ってしまおうという狂った発想だった。
この案を発表したとき会議室の皆に唖然とされたのは、今となってはいい思い出だ。
そしてメディカルズの再生医療技術を使い、人間の細胞を元に皮膚と筋肉などの生体部品を生成した。だがかなりの時間と金を使ってしまい、結局彼女は四肢の無い状態でここまで来てしまったが・・・・・・。
「皆、よく聞いてくれ。今日はこのミクの誕生を祝い、今夜はアンドロイド開発研究部の皆で打上をしないか? 今日は機嫌がいい。私のオゴリだ!」
社長が皆の前に立ってそう告げると、僕も鈴木君も皆と共に歓喜の声を上げたのだった。
「そうだ。まずは証拠としてミクの姿をカメラに納めよう。」
社長は手にしていた小型のビデオカメラをミクに向け、夢中の様子で撮り続けた。
その姿は孫が生まれたばかりの祖父そのもので、僕と鈴木君は顔を見合わせて吹き出してしまった。
◆◇◆◇◆◇
皆が仕事に戻り、僕と鈴木君が研究室に取り残された。
騒がしかった場所が一気に静まり返った、微かに寂しい空気が漂うこの部屋で、僕はミクの前に座り込んでいた。
「ひろき。」
「ん?」
「え、あ・・・・・・。」
ミクは何か言葉を発しようとしたが、その言葉が見つからないらしく、また口をパクパクさせている。
「どうしたの?」
「えと・・・・・・えと・・・・・・。」
まだ多くの語彙を持たないミクには、言いたいことがあっても言葉にすることができないことがある。
「お腹が空いたんじゃないですか?」
「あ、そうか。」
鈴木君の意見に、僕はあっさりと納得した。
限りなく人と同じ心と体を持つ以上、空腹感を感じることは確かにあるかもしれない。
僕は机の上にある自分のバックに何も考えず手を突っ込んだ。とりあえず、食料があることは確かだ。
そうして取り出したのは、小さな缶詰とプラスチックのフォークだった。
「なんですか、それ。」
「シーチキン・・・・・・。」
ミクの開発中、まともな食事を摂らなかった僕は、手頃な補助食をバックに常備するのが癖になっていた。
でもシーチキンの缶詰は意外だった。一体いつの間に買ったんだろうか。
とにかく僕は缶詰のフタを開け、プラスチックのフォークで中のシーチキンをすくい上げ、ミクの口元に差し出した。
「食べてみる?」
「うん。」
ミクの口にシーチキンを入れてあげると、ミクはそれを口にした途端、驚いたように目を見開いた。
「どうしたの? 美味しくなかった?!」
「ううん・・・・・・。」
何度も口の中で噛み締めているところを見ると、どうやら気に入ってくれたようだ。とても美味しそうに見える。
「もっと。」
「うん!」
僕はミクの欲しがるままに、シーチキンを食べさせた。
美味しそうに食べるミクの姿は、見ている僕まで、幸せな気分にしてくれる。
「先輩、僕にもやらせてくださいよ!」
「あ、ああ。いいよ。」
交代すると、鈴木君は丁寧にミクの口にシーチキンを運び、ミクがそれを食べて飲み込む姿を眺めていた。
「そうそう。よく噛んで・・・・・・。」
鈴木くんも僕に劣らず、幸せそうな表情だ。
僕とミクが造られて行く過程を見てきた彼も、ミクに対する愛着は相当なものだろう。
「ふぅ・・・・・・。」
「ごちそう様。」
すぐに缶をカラにしてしまったミクは、今度は眠たそうに目を細めた。
お腹がいっぱいになったから、眠くなったのだろうか。
「眠いの?」
「うん・・・・・・。」
ミクの頭をそっと撫でてあげると、ミクは僕の手の上に自分の頭を委ねて静かに瞼を閉じた。
「おやすみ・・・・・・ミク・・・・・・。」
彼女の頭をもう一度撫で、ミクの体を支える金属製の台座を斜めに動かし、その頭の後ろにバックを敷いて、枕の替りにした。
僕達は研究室の机に戻ると遠目でミクの姿を見守りながら、たわいも無い事を話しあっていた。
「順調ですね。先輩。」
「ああ・・・・・・ねぇ、鈴木君。これで本社が開発の続行を許可してくれたら、僕は資金の一部をミクの手足に回そうと思う。」
「いいですね。早くあの台から降ろしてあげたいですし。」
「そしたら外に連れ出して、もっとミクにいろんなものや、広い世界を見せてあげたいんだ。」
「そのときは僕も、お付き合いさせていただきますよ。」
「ああ、もちろん。」
「最も、社長も付いてきそうですけど。」
苦笑交じりの鈴木君の言葉で、僕は思わず夢中でビデオカメラを回し続ける社長の姿を思い出した。
鈴木君も同様だったのか、僕らはまた、顔を見合わせて吹き出した。
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