重い気持ちのままディスプレイまで上昇し、むなしいままの手でウィンドウを広げると、やっときたね、とマスターが珈琲を片手に待ち構えていた。

「・・・マスター」

「どうしたの?やたら起動に時間かかってたけど」

 チョコレート色の視線が真っ直ぐ届く。なるほど、これはたしかに後ろめたいことがなくてもうろたえる。俺が何を言いたいのか、すっかり相手には見抜かれてるような気分になる。だがそれが逆に、俺を素直にしてくれた。

「・・・俺、ミクに嫌われてるんです」

「・・・?」

「俺、きっとミクに嫌われてるんです!」

 マスターはまるで寝耳に水といった感じで眼を丸くしている。それはそうだろう、マスターは「俺」を望んだから今ここに俺がいる。欲しくなかったのなら「俺」を購入しなかったはずだろうし、仮に何らかの形で「俺」というソフトを手に入れたとしても、VOCALOIDは容量を食うソフトだ、あまつさえインストールなどしなかったはず。
 だがミクはどうだろう。計画性のないマスターのことだからきっとミクには何も言わずに、もしかすると衝動買いだったかもしれない。突然やってきた俺を、ミクは相手しなければならなくなった。それはミクにとってとても嫌なことだったに違いない。それでもマスターのために、ミクは嫌な顔ひとつせずに俺にいろいろ教えてくれた。
 そんな思いをミクにさせてまで、俺はここに居たくはなかった。

「俺はミクにきっと迷惑をかけているんです!ミクにとって俺は頼りないダメな兄なんです!ミクはマスターに気苦労をさせたくないからきっと言えなかったんだと思います!・・・だから、俺をアンインストールしてください!」

 息継ぎもせず吐き出した言葉は、思ったよりも胸のうちをえぐったようだった。胸の部分の因子が熱く焼けるような感覚。ソフトの俺に肉体はないが、ゼロとイチでできた実体はまるで人間のそれように感覚を持つ。アンインストールという言葉自体が焼けたナイフのようだ。それでもミクに迷惑をかけるくらいなら、かまわない。

「・・・さっきから『きっと』が多いね?カイト」

 マスターの声がさざめくように響く。ミクとはちゃんと話をしていない。けれど、あの表情が、あのかすかに歪んだ顔が答えのようなものだった。

「さっきミクの手をつかんだとき、ミクの表情が微かに歪んでました。俺に触れられるのが嫌だったんですよ。俺はあのとき、確信しました」

 改めて言葉にしてみて、解った。これは、熱いんじゃない、焼けてるんじゃない・・・痛いんだ。
 刺さるほどの鋭利さを持って、その言葉は胸に落ちる。

「じゃあその確信とやらをぶっ壊してあげましょうか」

 そう言うとマスターはカタカタとキーボードを指先で叩き始めた。いったい何が始まるというのだろう、これ以上傷をえぐらないで欲しい。しばらくして俺のウィンドウの横に別の窓が出現した。・・・ミクの音声データ?

「よく聴きなさい、これはミクの、カイトへの気持ちよ」

 そう言い終るやいなや、曲のイントロが流れてきた。ゆったりとしたリズム・・・これは聴いたことがある。というかこれは、マスターがさっきまで俺に歌わしてくれようとしていた曲だ。いぶかしんでる俺をよそ目にマスターは眼を閉じて聴きの体勢になっていた。そろそろ歌が始まる頃合。俺は意を決っして耳を集中させた。
 ―――!
 俺が歌うときよりも2小節遅れて聞こえてきた初めて聴くミクの歌声は、優しい声色に満ちていた。ミクが歌っているのはどうやらコーラスらしく、対旋律を奏でている。歌詞には想いが込められていて、まるで本人がそこに居て歌っているように思えた。

「内緒でやってたのが裏目に出るなんてねえ・・・」

 ごめんね、とマスターは申し訳なさそうに眼を細める。俺はVOCALOIDだから、マスターを最優先で応対しなければならないのに、俺の耳はミクのソプラノを聞き漏らすまいとしていた。
 ありがとう、ありがとう、ミクの声音は俺にたくさんのありがとうを伝えていた。
 やがて曲は終わり、改めてマスターと向き合う。俺の胸はすっかり痛みを忘れていた。

「マスター、あの曲は・・・」

「うん、カイトの曲。カイトのために作った、私とミクからのプレゼント」

 マスターと、ミク、からの?

「さあて、これはカイトがうちにやってくる前のお話です」

 あるクリスマスの日、今思えばちょっとしたことだったんだけど、まあ当時はそのせいでなにもかもが嫌になってしまった女の子がひとりいました。ふとんにくるまってもそもそしていると、彼女のパソコン画面から別の女の子の嘆きが聞こえてきました。ああ、マスターが塞ぎこんでいるとわたしはとてもつまらないわ、誰かいっしょにおしゃべりできる人がいたらとても素敵なのに。わたしにもサンタクロースが現れてくれないかしら、と。マスターと呼ばれた女の子はふと興味がわいて、パソコンの中の女の子に訊いてみました。たとえばどんな人がいいのかしら?
するとどうでしょう、パソコンの中の女の子は顔を赤らめて、わたしよりも年上の、お兄さんと親しめるような人がいたらさぞかし楽しいでしょうね、と言うではないですか。

「ちょうどそのとき私も男声ボカロが欲しかったわけで・・・ま、そういうわけですな」

 んふふー、と口許を緩めたマスターは、ものすごく意地悪い笑みをかたちづくる。

「これでわかったのかな?思い込みの激しいあたまわるい子ちゃんは」

「うっ」

「今日はもういいから、ミクと言葉のキャッチボールしてきなさい。きちんと会話してくること」

 これはマスター命令よ?と一言残してマスターは俺のウィンドウを閉じさせた。デスクトップにしばらく佇んで呆けていた俺は、ミクときちんと会話をするためにミクがいるファイルへと向かった。
 ミクのファイル、もとい部屋の前に立った俺はドアとなっているのドアを2回ほど軽くノックした。はい、とカナリアの声が応えると、すっと音もなくドアが開く。部屋の奥にはソファに腰掛けて歌の練習をしていたらしいミクがいた。

「どうしました?カイト」

「話が・・・いや、会話がしたいんだ。ミク」

 入り口に立ったままそう告げると、ミクは少々苦いような顔をしながらも頷き、俺を部屋の中へと入れてくれた。ソファの向かいにあるベッドに腰掛けるよう進められた俺は、ミクと正面から向き合う形になった。ガラスのローテーブルを挟んだ向こう側のミクはまっすぐに俺の瞳を貫く。俺もその瞳に負けないように、見つめ返す。

「さっき、マスターのところでミクの歌声を聴いてきたんだ。とても綺麗で、優しくて、こころが篭ってて。まるで目の前にミクがいて、歌ってるんじゃないかって思った」

 訊くのが、怖い。けれど、訊かないままでは前に進めない。たか先輩と握手したときのぬくもりを、まだ記憶している右手を、ぎゅっと握りしめた。

「ミクは、さ。俺のこと、嫌ってるんだと思ってた。『KAITO』は、『初音ミク』を利用して有名になったから、俺のことを嫌悪してるんだと思ってたんだ。でも、あの歌声にはそんな気持ちが微塵も感じられなくて。・・・ミクが、俺のことどう思ってるのかわからなくて・・・」

 微かに震えているのに気づかれたくなくて、どんどん小さくなっていく俺の声。ちゃんとまっすぐ向き合うって決めたのに。あごの下あたりがずうん、と重くなって俺をうつむかせる。
 こんなんだから。こんな俺だから。

「ミクは、俺のこと・・・・・・きらい、な、の?」

 兄なのに、先輩なのに。今の俺はまるで小さい子供みたいだ。相手に負の感情を持たれるのが怖くて怖くて、認めたくない小さな子供。すっかり真下を向いてしまった俺の顔はミクがどんな表情をしているのかを知ることはできなかった。

「・・・・・・る、い、です」

 わずかに発音されたその言葉に俺は反射的に顔を上げた。それは俺が推測する言葉であったら、予想だにしていなかった言葉だった。なんで。

「カイトは、ずるいです・・・!」

「え・・・?」

 俺の眼に映ったミクは、さっきよりももっと、いろいろが混ざった表情をしていた。怒ってて、悔しそうで、悲しそうで。

「それ、どういう・・・?」

「わたし・・・今日のマスターとカイトのレッスンを見てたんです。マスターがうっかり秘密を漏らさないように、見張るつもりで。そしたら、カイトがあんなこと、言う、から・・・・・・わたし、なんだか寂しくなっちゃって・・・わたしだけ、だったのかなって・・・」

 ときどき歯を食いしばりながら途切れ途切れに、ミクは訴えていた。

「きてくれて、ありがとうって・・・うれしいって気持ち、わたしだけだったのかなって・・・」

 呆気にとられている俺はなにか言おうと口を開くも、なんの言葉も出てこなかった。そのままミクは言葉を続ける。

「カイトはなんでもないような顔で・・・寂しいって思うわたしが、ばかみたいだなあって。・・・そう思ったら、こんどは腹が立ってきて」

 薄氷の双眸が、うっすらと、滲んでいた。

「そのうえ、嫌いかだなんて。カイトは、カイトはずるいです。ずるい・・・!」

 ミクはそこまで言うと下を向いてしまった。俺は今度こそ言葉がなかった。ミクに、俺がきたことを嬉しいと思ってくれてただなんて。寂しいって、思ってくれてたなんて。

「ミク・・・」

「わたしは」

 うつむいていたミクは、もう一度顔を上げた。

「ひとりが寂しかったんです。マスターがいるけれど、マスターはここではなくて現実世界の人だから。わたしは、わたしのとなりに居てくれる、一緒に笑ってくれる人が欲しかったんです。・・・だから、カイトが今ここに居てくれること、それがすごく、すごく嬉しいんです」

 ミクはそう言って、静かに微笑んだ。その微笑みは16歳として造られた少女にしてはとても大人びているように見えた。俺は、胸のあたりがふわっと温かくなって。満ち足りた気分になって。

「ありがとう・・・ありがとう・・・!」

 それが、自分がここに居てもいい証だと、思った。


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【KAITOお誕生会後夜祭】俺の、居場所。【カイミク、カイメイ要素あり】その3

ちょっと物足りない気がしないでもないけどこれ以上書くと
どこで止めていいのか・・・!

というわけでカイミクもカイメイもうまうまな作者の陰謀により
一作品で両方出してしまいました。カイミクファンにもカイメイファンにも
顔向けできないよどうしようあばば(ry

あれあれ?まだなにかあるみたいです。

閲覧数:575

投稿日:2010/03/20 13:35:56

文字数:4,198文字

カテゴリ:小説

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