儚き戦国の世
乱世の理
幾会の契り
数奇な運命を辿りし娘、此処に在り
双子に生まれし故、兄の影武者となりて、戦場を駆ける
紅の鎧を身に纏い、駿馬に乗って先陣を切る

その姿、まさに“紅き獅子”
兄の異名に負けず劣らずの才覚を持ちし姫は
数多の武将にとって不足なし

しかし、一度(ひとたび)鎧を脱げば、武家の姫に相応しき、見目麗しい女性へと成る。




これは史上に名を残さぬ姫と、それを愛した武将たちの、甘く切なき恋物語である。
***

「朧、今日もよき働きであった」
「お誉めに預かり光栄にございます」
「苦しゅうない。いつもの砕けた話し方でよいのだぞ。今は部下ではなく、儂の可愛い孫同然の朧なのだからな」
「信玄様…」
「して、傷の方はどうじゃ」
「全く持って異常はございません。矢が掠めた程度ですわ」
「政宗公のもとに嫁入りが決まった今、傷は1つもつけてほしくはないんじゃがのう…」
「政宗様のように懐の広いお方なら大丈夫だと思いますわ」
「そうかそうか」
「…政宗殿がそのような理由で嫁入りを破断したら俺は……!」
「兄さま…」
「…幸村はまだ渋っておるのか」
「お、お館様や父上を責めるつもりはありません!しかし!まだ朧は十七ですぞ!…嫁入りは早いと存じまする」
「…幸村よ。お前には苦労ばかりかけるな」
「…俺より朧の方が……」
「兄さま…私は苦労なんて思っていませんわ。それに、こんな傷ばかりの男勝りな私をもらってくださるのですよ?有り難いことこの上ないお話じゃありませんか」
「だがな!」
「はいはーい。旦那も落ち着いて。ほら、お茶」
「おお、すまんな佐助」
「朧様も戦場と今じゃすごく差があるからね。政宗公もそこに惹かれたんだと思いますよ」
「そうじゃな。朧、久々に舞ってくれぬか。急にそなたの舞いが見とうなってな」
「はい、畏まりました。では、お一つ舞わせていただきます」

甲斐(かいの)国(くに)、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)。
武田信玄、以下三名は小さな戦を終えて、ようやく戻って来た。
茶の間に集まって、話をしているのは信玄、幸村、佐助、朧の四人である。
実は朧は幸村の妹なのだが、武家のしきたり‥というか武田家の意向により、幸村の影武者として戦場へと出ている。
信玄はそれを快く思っておらず、早く朧を嫁がせて楽にしてやりたいと思うのが本音であった。
これに関しては朧の父、真田昌幸や兄の信之、幸村も同じように思っていたが、どうも幸村だけは妹が可愛くて仕方がないらしく嫁がせることを渋っていた。
小さな戦とは、伊達家との戦であり、上杉との連合軍と戦ってきた。
条件としては戦で負けたら同盟を組む、ということ。
もともと伊達家当主、伊達政宗は同盟を結ぶ予定であったのだが、戦力が如何程のものかを見るために戦に応じた。それ故、血は流さないといったことが双方で約束されていた。そのため、若干の負傷者は出たものの、死者はなし、という結果に終わった。
負傷者もかすり傷や切り傷ばかりで致命傷には至らなかった。それが功をなし、無事同盟も結ばれた、と言うわけだ。
これが機となり、朧の人生も大きく変わることとなる。


「さて、政宗公との同盟のことだが…」
「お、お館様…!――やはり朧は伊達殿の妻に…?」
舞いを見終え、信玄が口を開くといち早く幸村が反応した。
戦場に居る時は勇猛なくせに妹のこととなると何とも情けなくなる兄である。
朧、佐助は溜め息をついたが信玄は慣れているのでにこやかに対応している。
「まあまあ、幸村。朧は望まれて嫁に行く。幸い政宗公も朧に好意を持っておるようだしな。幸せな人生が送れるという保証付きじゃ。――案ずるな。月にいっぺんは必ず合えるようも話はつけてやるからの」
「お館様…!」
目を輝かせ、子どもの様に喜ぶ幸村を朧は苦笑しながら眺めていた。


「して、式の日じゃが…」
「もう挙式ですか!」
「幸村…」
「兄さま…」
「旦那…」
「幸村様…」
上から信玄、朧、佐助、そして茶の追加を持ってきた才蔵が「またか…」といった様子で幸村を見た。
双子でいつ何時も一緒だった所為かどうにも妹離れができていないようだ。
それが幼少の頃から何かにつけて如実に目の当たりにしている光景故、武田の者にとっては珍しくも何ともないのだが、悩みの種であることは確かなようだ。
戦場との懸隔に驚いているのは政宗の使いで文を届けに来ている片倉小十郎くらいであろう。最も、傍に居る由利鎌之助はいつも通りの無表情で感情を読み取ることはできないのだが。
小十郎は目を点にして、信玄へ文を渡そうと伸ばした手が中途半端に宙に浮いて行き場をなくしていた。
「おお、片倉殿。すまぬな」
それに気づいた信玄が腰を浮かせて文を受け取った。
「も、申し訳ない…信玄公が直々に文を…」
「構わぬ。同盟を結んだ今、もはや家族同然。朧が嫁に行けばもう家族になってしまうしの」
「信玄公…やはり貴方は素晴らしい御仁だ」
「何を言うか、片倉殿。この年になっても儂はまだまだ未熟者じゃ」
信玄は小さく笑うと、政宗からの同盟了承と、朧との式の日取りについて、そして同盟を結ぶ気になった本当の理由が書いてある文を開いて、読み始めた。


「――式の日取りは朧と直々に会って話をつけたいのだ。いいだろう、小十郎」
「はっ。信玄公もその様におっしゃっていました」
「そうか。…で、朧とはいつ会えるのだ?」
「政宗様に合わせる、そうおっしゃっていました」
「よし、じゃあすぐに出立の準備だ。共の者は要らぬ。小十郎、お前だけで充分だ。準備ができ次第甲斐へ向かうぞ」
「か、畏まりました。すぐに馬を手配させます。政宗様は夕餉と湯浴みをなさってください」
「最短でどのくらいで行けるか?」
「はぁ…、明日の日の出頃かと」
「わかった。遅くとも、昼までには出れるように頼むぞ」
「御意」
「よし、湯浴みにでも行くか」

米沢城、戌の刻の頃。
武田へ使いに行っていた小十郎がようやく帰って来た。
政宗は書状の返事を聞くと、満足そうに微笑み、出立の準備をするようにと告げ、浴場へと向かった。
出立の時刻を指定するあたり、余程朧に会いたくて仕方がないのだろう。
小十郎は、政宗の幸せそうな表情を見て、自分のことのように喜ばしく思った。

同刻、小牧山(こまきやま)城(じょう)。
「お館様」
「…猿、か。斯様な時刻に何用じゃ」
寝室に影が差したかと思うと、そこには信長の家来の羽柴秀吉がいた。
まだ年若いようで、小柄な体に小袖を着ており、百姓のような身形だ。
「は。伊達の若君が明日、朧殿のもとへ向かわれると」
「その情報は確かか?」
「忍衆に探らせました故、確かにございます」
「そうじゃの…儂は文でも寄越すか。猿、筆と紙を持って参れ」
「――、お館様、こちらにございます」
「ただでさえ同盟を組んで面倒なことになっておるのだ。婚姻は阻止せねばのう…。朧は気立ても良く、戦国一の美女と言っても過言ではない。それに戦場では腕が立つ。これ程までに条件の揃った女子はなかなかおらぬよ」
「そうでございますな」
「――…よし、これを政宗が武田のもとへ着くまでに渡して参れ」
「御意」
「若造共には少し戦国の世の習いというものを教えねばならんのう」
文をしたため、秀吉に渡すと、信長は口角に笑みを湛え、にやり、と嫌な笑いをした。


「お、お館様ああああああ!た、大変にござりまする!」
「どうした幸村。落ち着かんか。もう政宗公が御出でになったか?」
「ち、違います!の、信長公‥第六天魔王から文がああああああ!!」
「…何?信長から、じゃと?」

まだ鳥たちのさえずりしか聞こえぬ、寅の刻。
庭先で早朝鍛錬をしていた幸村は、見張りをしていた才蔵から一通の文を受け取った。
宛名は主君の信玄、差出人は、第六天魔王の異名を持つ尾張の大うつけこと、織田信長であった。

「…幸村。早朝だが、朧と佐助を起こして参れ。儂の命と伝えての」
「承知致しました!」
文を読んだ信玄は険しい表情で、幸村に朧と佐助を呼んでくるように言った。


「信玄様…」
「信玄様、如何しましたか?」
「おお、こんな時分にすまんな。ちょっとお主らに気をつけて欲しいことがあっての。――まずは、この文を見てくれ」
「――っ!これは‥織田の家紋…!」
「そうだ‥織田家の家紋、“織田木瓜”だ!」
差出人の名前を見るより早く、織田家の家紋に気がついた朧。
佐助もそれを見て、嫌な予感がした。
もともと政宗との同盟は織田の動きが不穏なことを案じ、結んだものだ。
朧は望まれて嫁ぐとは言え、同盟の道具に変わりはない。
信長は近年格段に力をつけてきている政宗を目の上のたんこぶの様に煩わしがっている。それは前に同盟を結んだ武田と上杉のこともその様に思っており、天下統一を目論む信長にとっては邪魔以外の何ものでのないのだ。
上杉・武田・伊達もそれを重々承知の上で同盟の話を持ち出し、わざと戦までして牽制をかけたというのに、逆に信長を煽る結果になってしまったらしい。
しかし、信玄は薄々感づいていたようで、渋面ながらも来たるべき時が来た、と静かに告げた。

「よいか、朧。信長は天下統一ばかりかお前をも狙ろうておる。“朧殿にこの世の夜明けを捧げんと誓う”とな」
「くそっ…魔王のヤツめ…!」
幸村は今にも手紙を引き裂かんばかりに強く握りしめた。
佐助は拳を握り締めると、才蔵と鎌之助を呼びに部屋へと急いだ。
恐らく、そろそろ出立するであろう政宗を援護するように二人を派遣するのだろう。信玄は口には出していないが、目で佐助に合図し、それを実行しているのだ。
共の者を連れているならばともかく、此度は政宗と小十郎の二人旅である。政宗はそう伝えてはいなかったが、信玄は挙式の話をするならば共の者はつけず、側近の小十郎と二人で来るだろうと踏んだのだ。
実際そうであったし、いくら二人が腕の立つ名高い武将とは言え、敵に囲まれたら命の保証は格段に低くなる。それを見越し、信玄は真田忍隊から才蔵と鎌之助、そして武田の小部隊を1つつけ、出迎えに寄越したのだ。
小部隊は馬だが才蔵と鎌之助は忍術が使えるので、小部隊より相当早く政宗と小十郎のもとへと合流できるだろう。

「幸村、佐助」
「はっ」
「何にござりましょうか」
才蔵たちに事情を手早く説明して送りだした佐助が戻ってくると呼びつけ、命を下した。
「朧は腕が立つとはいえ、女子の身に変わりはない。いつ何時織田の手の者が攻めて来るか解らぬ。忍を使こうてくるのか正攻法で来るのか全く見当もつかぬ。それ故、お主たちには政宗殿が来るまで朧を護り通すことを命じる」
「御意」
「承知」
幸村と佐助は跪き、朧を見遣った。
「朧、そなたは俺が必ずや護り通す。そなたの兄として、そして武田の紅き獅子、真田幸村の名にかけて、必ずや…!」
「兄さま…」
「朧様、俺も必ず貴女を護りますよ。真田忍隊の長の名にかけて、ね」
「佐助…。ありがとう、本当にありがとうございます…」
「朧を伊達殿の嫁にやるのは嫌だが、天下を狙ううつけの魔王に渡すのはもっと気に食わん。よいな、佐助も心して朧を護るのだぞ」
「はいはい。全く妹思いなのかなんなのかよくわかんないね、旦那は」
「佐助、よいな!」
「はいはい、わかってるって」
「では、二人ともくれぐれも朧を頼んだぞ。儂は昌幸たちと緊急の会議をするからの」
「任せてくださいませ!」
「うむ。よろしゅうな」
「「御意」」

信玄がその場を去ると、幸村は朧を抱き締めた。
「朧…そなたが出向くことがなくて本当によかった。ここに居れば身の安全も保証できる。護ることが確実なのだ。伊達殿のことも、朧が好いた相手ならば文句は言うまい。…俺が嫌なのは女子を政治の道具に使うことだ。仮に相思相愛の婚姻だとしても“道具”という肩書は消えぬ。ましてや何らかのことで同盟が破断されるようなことがあれば、朧は間者として命を奪われることも否定はできぬのだ。俺はそれが嫌で朧が嫁ぐことを渋っていたのだ」
「兄さま…」
幸村の意外な本心に朧はただただ驚くばかり。佐助は前々から幸村の本心を見抜いていたようで、静かに事の成り行きを見守っている。
「こんなことを言うとお館様や父上に叱られてしまうかもしれぬ。だがな、朧。そなたは俺の血を分けたたった一人の妹なのだ。同じ時にこの世に生を受け、ずっと一緒に生きてきた。そなたが愛おしい。それ故に失うのがものすごく怖いのだ。――朧、戦国の女とは何とも悲しき生き物だなぁ……」
優しく朧の髪を梳きながら語りかけるように言う幸村。
朧はそんな幸村を、涙をたくさん溜めた目で見上げた。
「兄さま…確かに私は最初の頃は嫌々嫁ぐものだと思っておりました。しかし、同盟の話が来、政宗様と文のやり取りをするようになりましてから、この方は本当に私を好いてくれているのだということがわかりました。私は政宗様の優しさに触れ、私自身、政宗様を愛するようになったのです」
「朧…」
「ですから兄さま、ご自分を責めないで下さいませ。確かに始まり、きっかけはあまり私はよろしくないと思っておりました。しかし今は政宗様のもとへ嫁げるようになり、とても嬉しく思っております」
朧はそういうと柔らかく微笑んだ。
「朧…そなたは幸せな生涯を送っておくれよ」
「もちろんですわ。生涯私を愛してくださると約束した方のもとへ嫁ぐのですから」


儚き戦国の世。
女は政治の道具であった。
それ故望まぬ婚姻や苦しく切ない思いをした女子の方が格段に多かったと言えよう。
朧の様に想い想われ嫁ぐことは非常に珍しいのだ。

歴史の名を残さぬ姫、朧。
兄とともに戦場を駆け、愛する人と結ばれた。

これはその姫の、淡くも美しい、恋物語である。




第一部、 完。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

闇夜に浮かぶ朧月~儚き戦国に生きる姫~ 第1部

続きモノのオリジナル歴史小説。
時代背景、登場人物の人物描写、関係、等はオリジナルです。
このページは第一部を書いてます。

閲覧数:98

投稿日:2011/04/16 01:09:45

文字数:5,702文字

カテゴリ:小説

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