36.そして終わる戦、始まる日々
戦争は、終わった。
銃弾が飛び交った島の中央広場では、はがれた石畳や崩れた建物の撤去が始まっている。レンカもヴァシリスも無事であった。
博物館の建物も、半分崩れてしまっていたが、幸いなことに火災は起こらなかったおかげで、資料のほとんどが無事に残された。
「これも女神の加護かな」
ヴァシリスはそう言って笑顔をみせた。今一番の研究の山場である、レンカの集めた石片と女神像の考察のための資料ももちろん無事だ。
明日にでも研究に入れそうな状態ではあったが、今、ヴァシリスは街の広場でがれきを運ぶ力仕事に精を出している。
「今生きている人たちに頑張って生きてもらって、歴史を継いでもらうことが先だな」
また飛ぶようになった郵便飛行機から、時折、大陸の博物館の学芸員から手紙が届く。あちらで発見された『王の像』の解析結果などである。それに加えて、島とヴァシリスを応援する言葉が熱心に綴られていた。
「『王の像』を発見した彼が、学問に垣根を作る人間でなくてよかったぜ」
ヴァシリスはそう言って笑う。国の壁、個人の壁、文化の壁など、島に住む大陸人としてさまざまな壁を見てきたヴァシリスのその笑顔を見て、レンカはいつも泣きそうな顔で笑うのだ。「生きていて、よかったね」と。
レンカは、当分の間、別の仕事を選んだ。それは、ヴァシリスとは違う形の、市街戦の後片付けである。
それは、亡くなった人々の始末であった。
島の人のからだも、奥の国の兵士も、島でたった一つの教会に運び、埋葬していく。夏のさかりのきつい仕事だったが、レンカは男たちに交じって黙々と働いた。
けが人の手当てなど、もとの看護士の仕事も尽きぬほどあったが、レンカは、あえて死に向き合うことを選んだ。
「今は、死んだ人をきちんと運ばないと、あたし自身が、これから生きられない」
レンカは、終戦後も忙殺される医師パウロにそう言って謝った。
パウロは時間をかけてレンカの話を聞き、そしてレンカを送り出した。
空が少しでも白み始めたら、レンカの一日は開始だ。青い闇の中をくぐり抜け、乾いた風の中、町の中央広場へ向かう。
長そでに長ズボン、ブーツ、そして口は布で覆っている。
同じようないでたちで集まってきた男たちとともに、がれきを掘り起こしては見つけた者を運んでいくのだ。
島の者は、知りあいに知らせる。そして、奥の国の兵士は、個人の特徴になりそうな持ち物をすべて一つの袋にまとめて臨時で設置された島の役場へ届け、体は教会で埋葬する。
袋を包みながら、レンカは、終戦後、ヴァシリスに崩れた事務所の一角から引っ張り出して見せてもらった両親の遺品を思い出す。
彼女の両親、ラウーロとサーラのものも、こうしてだれかが集めてくれたのかな、と。
どうして、男がやるような仕事を。
夜、博物館に帰ってきたレンカに、ヴァシリスは尋ねた。崩れた博物館の事務所の敷地の一角を整理して、簡易の天幕を張ってあり、ヴァシリスとレンカはそこで寝起きをしている。
「……そうね、」
わずかに崩れ残った建物の屋根の先から、透かして見えるのは星空だ。月の出が遅くなり、満天の星が覗いている。レンカはふっと息を切り、口を開く。
「ヴァシリスさん。聞いても、あたしに幻滅しない?」
「いまさら何を」
ふっと笑みを向けてきたヴァシリスに、ちらとだけ視線を合わせたレンカは、星空に向き合い話し始める。
「あたしね。銃を撃った時、じつは、何も怖くなかった」
それだけ告げると、レンカは、しばらく黙りこんでしまった。
ヴァシリスは、何も言わずに先を待った。
やがて、レンカが息を吸う音がする。何かを決意した雰囲気が、ヴァシリスにも伝わった。レンカは再び話し始めた。
「ねえ、ヴァシリスさん。人は、生きるために、だれかの命を奪うように出来ているみたいね。
あたしは、ヴァシリスさんと、この島の人たちと、この島で生きたかった。
だからね、あの時……ヴァシリスさんを助けるために手榴弾を投げたことも、人に銃を向けた時も、何も怖くなかった。ためらいも感じなかった。
あたしにとって、あの人たちは、野菜や肉と同じだったのよ。
あたしが生きるために、殺す。ただ、それだけ」
ヴァシリスは何も言わなかった。レンカがヴァシリスへ愛を告げ、三人の兵士を屠ったときの光景を、彼は鮮明に覚えている。
レンカは、防壁となっていた壁の上に飛び乗り、迷いなく人を撃った。一度だけ死んだかれらを振り返り、ヴァシリスと並んで歩きたいと告げた。
「だからね、あたしが今していることは、食後の後片付けなの。食器を洗うようなものよ」
「レンカ」
ヴァシリスが手を伸ばし、彼女の肩に触れた。
「そうだな。ヒトはそういうものかもしれない」
「そうよね、おかしいとおもった。だってあたし、死体を見ても、怖くないのよ。吐く人もいるのに」
「レンカは悪くない」
ヴァシリスが静かに言葉を継いだ。
「レンカは、医院で働きながら、今を生きる人達の生と死を見てきている。さらに歴史を調べながら、大きな生と死の流れを見てきた。そのせいだろう」
「そうよね、あたしたちの命なんて、他の命をたくさん奪っておきながらすごくあっさり消えるんだもの、今更何人死んでも生きても、あたしはもう、何も思わない。
死んだ人も、埋められてしまえば、いろんな生き物に分解されるのよ。そう、パウロ先生が言っていた。
……そう教えてもらった時、なぁんだ、って安心したわ。たくさん殺して生きたんだもの、たくさん食われるならいいじゃない? だからね、全然、平気。悲しくも辛くもない」
「レンカ、……そういう考えは不謹慎だ」
レンカがぴたりと口をつぐむ。その表情には、なにも浮かばない。
「……などと俺が叱ると思ったか」
ヴァシリスが、彼女の肩を掴んだ手をそのままに、レンカの体を引き寄せた。ぐっと身を寄せ、そしてその広い胸に抱き込む。
星空の下、ひんやりとした夜風がふたりの背を撫でて行く。
「俺を助けてくれて、ありがとう。
……君の言葉は、真実だが、共感は得にくいだろう。
だけど、俺は、理解する。レンカと同じ道を歩いて、同じ重荷を背負ったから、誰が理解できなくても、俺が君を解ってやれる」
レンカの頭が、抱きこまれた胸の中でかすかに動く。
「俺が、これから、最後までレンカとともに歩く」
ヴァシリスが、レンカの両肩をそっと抱き、体を離して視線を合わせた。
黒の瞳が、レンカの目を優しく覗きこむ。
「だから……自分の辿ってきた人生も、そこで得てきた心も、否定するな」
これが、ヴァシリスの答えだった。レンカが戦場で『並んで歩きたい』と告げたことに対する、返答であった。
太古に発せられた光が届く星空の下、やがて静かに二つの影が重なった。
そして、月が昇ってきた。
* *
戦争は終わった。そして、リントとルカは、生還した。
黄色の郵便飛行機が女神の岬で燃え落ちたまさにその時、島の空の向こうから大陸の国の飛行機部隊の一団が現れたのである。
奥の国は、島攻めの拠点となるはずだったドレスズ島に寝返られ、この島に孤立し、ついに投降した。
島の戦況が不利になったことで、奥の国は停戦を申し入れ、この日から数えて一瞬間後に戦争の終結が宣言された。
あの日、奥の国の兵士たちが引くとすぐに、レンカは先頭切って女神の岬へと向かった。正確にいえば、そのふもとの入り江へと。ヴァシリスも島の者も、歩ける島の者はすべてレンカを追いかけた。
岬から落ちた飛行機の残骸が、海面で燃えていた。陽が傾き、だんだんと陰りはじめる中で、打ち寄せられる光が入り江を夕日よりも赤く照らした。
舟を持つ者は港へと走り、岸から見つめるレンカの視界はあっという間にリントとルカ捜索の舟で埋め尽くされた。
「リント……ルカちゃん……!」
沖へ向かって叫ぶレンカの声に、岸にあつまった人の声も唱和する。
声の限りに叫びきり、そこに泣き声も混ざりはじめたその時、ふっとレンカは入り江の岩影に目をやった。いつも自分が岸に上がってきた場所をふりむいた。と、
そこに、ひとつの影があった。いや、影は一つだが、ふたりだ。誰かが誰かを抱えている。
立っている。生きている。金の髪の男と、飛行服に身をつつんだ桃色の髪の娘……
「リント! 」
とっさに声を発したレンカに、彼ははっと顔を向けた。
「……よう」
そして、照れくさそうに片手をあげた。様子に気づいたのか、娘の方もレンカの方を振り向いた。
「……レンカ……」
「ルカちゃん……」
くる、とルカが振り向いた。と、背負ったライフパックを外し落とした。ばしゃりと水音が響き、身軽になった彼女はそのまま波を蹴立ててレンカの方へ走ってくる。
夕暮れの闇が迫る中で、彼女の顔がはっきりと見えた。ルカが必死にレンカの方へと走り、その体に抱きついた。
ルカの方が、レンカより頭半分ほど長身になっていた。
「レンカ。レンカ……!」
ルカが、レンカを抱きしめて涙を流す。石像のルカと呼ばれ、岬で再会したときも感情を殺しきったルカが今、頬を濡らして泣きながらレンカを抱きしめている。
「ごめんなさい。あなたには、たくさん嘘をついた……」
泣きじゃくるルカの肩が震え、体が熱くなっていく。
レンカは、そっとルカの濡れた体を抱き返した。
「『ごめんなさい』も、挨拶じゃないでしょ」
つと見上げたルカの視線の先で、レンカが微笑んだ。
「おかえり、ルカちゃん。……リント」
リントが、何も言わずにレンカを見つめて苦笑した。それだけで、レンカは泣きそうになった。
海からリントが上がってくると、あっという間に島の者たちに囲まれた。
「どうしたんだよ、お前!」
「死んだんじゃなかったんだな!」
「また生きているってどういうことだ? 不死身か?」
騒ぐ島の者たちを押しのけたヴァシリスが、まずは着替えろと叫び、服を探してくる!と誰かが走りだす。そんな島の人々を前に、リントは、あっさりと島に迎え入れられたことを知った。
そして、リントを探しに出ていた舟が、もう一つの奇跡を積んで戻ってきた。
「バルジ!」
黒の飛行機を引き付けて撃墜されたバルジであった。
「バルジ、生きていたんだな!」
リントが駆け寄ると、バルジが思い切り吠えた。
「それはこっちのセリフだ! 海に浮きながら、お前の飛行機が何度も急降下して、最後に落ちるのを見た。心臓に悪いどころじゃないぞ!」
捜索のたいまつが赤く燃える光のなかで、女神の岬のふもとの浜は、まるで祭りのように沸いた。
終戦から三日遅れて、リントにある通知が届いた。
「戸籍復活などと初めてですよ」
島の市長が笑う。
「リント・カトプトロスの戸籍は復活しました。そして、徴兵拒否の罪は、今回の働きによって帳消しにすることになったそうですよ。もちろん、ルカ・コルトバ嬢が、貴方を撃ったことも、貴方が生きていたことで、無罪です」
そして市長は、リントに正面から向き合った。
「あなたが、奥の国に、一瞬隙を作ってくれた。あの一瞬は、何よりも貴重な一瞬でした。
そして、この島は、虐殺を免れた。
……市長として、お礼を言います。本当に、ありがとう」
島が焼かれ、リントが飛んだ日から十日。リントが名実ともに生還した瞬間であった。
つづく!
滄海のPygmalion 36.そして終わる戦、始まる日々
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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