それは遠い昔の物語。
妖は人を食らうために存在する。
人は妖を退治するために存在する。
それが、自然の摂理だった。
だが、妖に食われるのを恐れた術師は妖を封じる術を編み出した。
その術は見事、妖を異空間へと封じ込め、人の世は平和になった。
だが、人の愚はここから始まる。
人は、今度は術を編み出した術師を「妖」と呼び始めた。
同じ人の身である術師を、人として見なくなったのだ。
時には村の老人とすれ違う度に罵られ。
時には村の男たちに囲まれ殴られ蹴られ。
時には村の幼き子供に石を投げられ。
それだけならまだよかった。
十分滑稽だが、よかったのだ。
しかし、歴史はここから急変する。
とうとう、術師の中から死人が出る。
病で倒れたというのなら何の問題もなかった。
だが、その死体にはあらゆる箇所に傷や痣があり、明らかに殺されたそれであった。
「妖」と呼ばれた術師たちは村を出て行くことを決心した。
しかし、その人間たちは今までの仕打ちに我慢ができなかった。
戦ったはずなのに。
救ったはずなのに。
守ったはずなのに。
術師たちは村を出る前にある計画を立て、実行した。
村の人間たちを1人残さず、あの妖たちを封じ込めた場所へ送り込んだ。
術師たちは術によって生み出された異空間の様子を見ることができた。
中では長い間封じ込められていた妖たちが、村人たちを殺していた。
まるで、術師たちの怒りを表現しているかのように。
あるいは引き裂いて。
あるいは潰して。
あるいは燃やして。
あるいは…喰らって。
それよりも恐ろしいのは、その様子を見て術師たちは悲しむどころか、笑みさえ浮かべていた。人の身である体からは想像できないような、異常な、狂った復讐の笑みを。
やがて最後の1人が殺されるのを確認すると、あろうことか術師たちは妖たちを異空間から解放していた。
妖たちは解放されて一瞬驚きはしたものの、術師を目の前にして何をすることもなく、むしろ最初から仲間であったかのように、次の瞬間には酒を飲み交わしていた。
その時点で、術師たちはすでに「人」ではなくなっていたのかもしれない。
いや、人を人として見なくなった、その人間がすでに「人」ではなかったという見方もできる。
疑心暗鬼、という言葉がある。
人を人として認識できないのは、「人であることを疑う」ということと取れないだろうか。もし取れるとするならば、鬼は「妖」の部類に入るのだから、その人は「妖」であるとして判別できなくもない。
あるいは、「妖は人を食らい、人は妖を退治する」という自然の摂理に、結局は逆らえなかったのだろうか。
妖がいなくなったことで、人は無意識のうちに同じ人の中に妖を探していたのかもしれない。そして今回のように、自分たちとは異なる能力を持った人を「妖」と見なして、自然の摂理に無意識のうちに飲み込まれてしまったのだろうか。
ならば村の人間たちは「人の身であるから」、「妖」に食われたのだろうか。
ならば村の人間たちは「妖の身であるから」、「人」に退治されたのだろうか。
それは、各々の主観によって異なるのであろう。ただ、一つ言えるのは、人は人にも妖にもなれるのかもしれない、ということである。
人が人を妖と判別したとき、その判別された人は妖として見られるのだ。
人が人であることを疑ったとき、気づかぬうちに人は妖になるのだ。
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