63.輝きを留める者

 おだやかな波が、朝の浜辺を寄せては返していく。同じ動きをくりかえしてはいるが、同じ波は二度とは来ない。

「……前は、蹴られたのに」
「今は、そんなことしないよ」
 男が、手に握った短剣の柄を向けて、ハクにそれを返す。光の中で見ると刃は少し欠けていた。ハクの命を、暴徒から救ったときに出来た傷だ。
「はい。返すよ」
「……今度こそ、成功させるつもりだったのに」
 ハクの言葉に、男は苦笑した。
「……」
 いいよとも、駄目だとも、男は言わなかった。
 その無言で向けられた表情に、ハクは救われた。
 ハクの手が、そっと、朝日に輝く刃の背に触れた。一か所の欠け以外、丁寧に手入れされた刃がハクの手の上で光った。
 その刃を、ハクは、そっと腰の鞘に戻した。

「……ねぇ。本当に、レンなの」
 リンが立ち上がり、男のもとへと歩み寄った。
 男は、少しだけ笑い、決まり悪そうにまなじりを和ませた。
 そして、うなずいた。

「うん。今は、別の名前だけどね」

 男は、黄の女王に向かって、左の腹に触れて見せた。リンが、思わず口元を押さえて涙ぐむ。左腹のその位置は、青の国でレンが負った傷の位置だ。リンが懸命になって彼を救おうとした傷の痕だ。
「……どうして」
 どうして、生きているの。
 その言葉に、現在『巡り音』となった男は、その身に起こったことを語った。

 あの日。
 レンがリンの代わりに刑場に引き出されたとき。その時には、もうメイコはそれがリンではなくレンであることを知っていた。
 巨大な鉈の下に据えられるその時まで、レンは自分が死ぬことを信じて疑わなかったのである。

『あら、おやつの時間だわ』

 そう言い放ったレンを、あっという間に白い服を着た者たちが取り囲み、レンの顔に白い布をかぶせ、鉈の下に押さえつけた。
 そして、合図とともに、鉈を支えていた綱は切られ、刃が落とされた。

 ……レンの、頭のすぐ上にだ。

 大きな音とともに、頭の上で、ばしゃりと赤い液体がはじけた。轟音と予想外の出来事にあっけにとられていたレンは、そのまま大きな布にくるまれて運び出された。
 自分の頭の上で弾けたのは、豚の血を詰めた革の袋だということを、後で知った。
 メイコは、偽の女王の首のかわりに、大きなソーセージを切り落としたという訳だ。

「あんまり大人をなめんじゃないわよ」
 頭にまみれた豚の血を拭き落とされ、茫然としているレンに、メイコは言い放った。その足元には、昨夜散髪したレンの髪の毛を縫いつけた豚の膀胱がころがっている。
「偽物と分かっている人間を、医者としてむざむざ死なせるわけにはいかない」
 濃い色の髪を束ね、白い衣を揺らし、医者のガクが渋い顔をしてレンに告げた。
「あのね、レン。私は教育係としてあなたとリンを育てたけど、ひとつ、言い忘れたことがあるの」
 メイコが、手で、自身の茶色の髪をかきあげた。
 そして、赤の鎧をがちゃりと脱ぎ捨てた。メイコが鎧の下に来ていたのは、夏用の服だった。左胸に色あせた手形のついた衣だった。
「良く聞いて。これは私の経験だけれども、おそらく、あなたたちの好きな『命賭け』って言う言葉の、本当の意味は」
 メイコがレンに詰め寄り、その胸をとん、と軽く拳で叩いた。

「命を捨てて何かをすることではなく、何かを為すために、何が何でも生き抜ける人のことを言うのよ!」

 レンの目がみひらかれた。メイコが合図をすると、処刑台の下にレンを押さえつけた白い衣の人たちが、その衣装を脱ぎ捨てた。
 レンは、あっと声を上げた。
「あ……あなたたちは……」
 白の衣の下に居たのは、なんと、城で働いていた召使たちだった。レンをよく知る、召使部屋で寝起きをともにした同僚たちであった。

「おい、レン坊。……極秘で豚を調達したのは俺だ」
 声もなく震えるレンに向かって一歩踏み出したのは、なんと王宮の料理人だった。
 革命の声が高くなる中、王宮に残り、ブリオッシュを作り続けたその人だ。
「俺たちが命を賭けたってこと、解るよな?」
 レンの口が、おどろきに開かれたまま、そのままわななく。

 今、革命を成し遂げた黄の民は、女王を倒したことに沸き立っている。女王を倒す先頭に立ったメイコが、まさか女王を逃がしたと知れたら。
 そして、今、目の前で不敵に笑っている同僚たちや、料理人が、リンを逃がし、レンを救ったことを、外の群衆にばれでもしたら。

 確実に、彼らの命は無い。リンでもなく女王でもなく、彼らは、レンのために命を賭けたのだ。

「なんで……どうしてッ……」

「おいおい、女王と同じことをお前が言うか?」
 召使の一人が、ガツンとレンの頭を小突いた。そして、その肩をそのまま捕らえた。
「お前のことを、『よく知っている』からだよ! 人の縁ってやつを、なめんじゃねぇや!」
 その言葉に、レンは声をだせないままに泣いた。

「……リンに殺されたホルスト様が、間際にね、」
 レンは、ずっとリンの傍に居たため、ホルストの最期を知らない。
 メイコは、その服の左胸の浸みに、ぐっと自分の手を重ねた。
「生きたい。生きて、この国の行く末を見たいと、言ったのよ」
 メイコが、ふっと中庭の方角を振り返った。
「生きるため。黄の国や領地を生き残らせるため。そう言って、ホルストは王夫妻の暗殺計画の黙認や、勝手な課税など、だいぶ汚いことをしてきたわ。そんなあの人が、ユドルのネズミと最も馬鹿にしてきた、平民の作る国を見てやりたいといったのよ」
 レンは、今、怒涛のように明かされる人々の思いに、ただ呑まれるままになっていた。
「そんな間際にまで、臣下が、黄の国を思い、願ったことをね」

 すっと、メイコの視線が、レンの正面を切って射抜いた。

「仮にも王であったあんたが、むざむざ捨てるんじゃない!」

 メイコのまっすぐな言葉が、剣となってレンを貫いた。
 ガクがうなずいていた。同僚たちも、料理人も、みな、はっきりとうなずいた。

「さすが、メイコどのは紅き言霊の剣士であるな」
「……恥ずかしいことを言わないで頂戴」

 レンの頬に、いつの間にか再び涙が伝っていた。
 急いで袖で拭ったが、止めることは出来なかった。
 ありがとう。そして、巻き込んでごめんなさい。
 言いたいことはたくさんあったが、声に出すことは出来なかった。

「……どうやら、『来た』ようね」
 突然加わった女の声に、レンは驚いて振り仰いだ。
「『巡り音』の……ルカ、さん」
 そうよ、とメイコがルカに向かって頷いた。
「というわけで、女王そっくりのあなたにこのあたりをうろつかれても困るから」
 メイコがルカにむかって片目をつぶった。
「レン、あなたは、しばらく彼女について世界を巡ってもらうわ」
 よろしくね、と巡り音のルカが、にっこりとレンに向かって微笑んだ。
「世間知らずの双子さん。お互いのことはよくわかるけれど、ほかの人の気持ちはさっぱりのようだから、私がいろいろ引っ張り回してあげるわ」
 ひどい言われようだったが、育ちの良いレンの頭の辞書には、目上の人間に対する文句は載っていない。救ってくれるということもあって、礼を言おうとしたが、
「……?」
 声が、かすれて出てこない。その様子を、ルカが笑って眺めながら言った。

「『来た』って言ったでしょう。歌うのが仕事の商売柄、声で分かるのよ。
レンくん、変声期よね」
 レンは、思わず喉を押さえた。リンの身代わりをするときにはいつも気にしていたのに、今はすっかり頭から抜けていた。
 ルカは、にこりと微笑んで続けた。
「そうね、声が安定するまで、楽器と詩の腕を、私の弟子にふさわしいようにみっちりとしごいてあげるわ」
 もちろん、旅の中でね、とルカは付け加えた。

 そして、革命からしばらくたったのち、ルカとレンは旅立ったのだ。リンは、信頼できる場所に預けてきたから、とルカはレンに伝えた。
「大事な人を、後先考えずに放りだしちゃ、駄目だよ」
 その言葉に、レンは思い切り恥じ入り、ルカに深く感謝したのだった。
 そして、大人の底力を知った。

「……それから僕は、ルカさんとともに修行して世界を巡った。そしてこの春から、一人前の『巡り音』として、一人で旅をしている」
 かつてのレンは、朝焼けの海を見て微笑んだ。
「変声期が終わりに近づいたころ、ルカさんが言ったんだ。『巡り音』として生きるか、どこか気に入った町に定住するか」
 もちろん、黄の王都以外だけどね、とレンは笑った。
「そして、俺は、選んだんだ。『僕は、僕の生きる世界をもっと見てみたい』と」
 あ、とリンは気づいた。レンが「俺」というときは、自分の意思を力強く通そうとする時だ。
「それで……ルカさんは、あたしの居る街のことを、教えたの?」
 それは、ルカの紹介でリンが働いていた、緑の中心港の酒場のことだった。
 レンは首を振った。
「ううん。『あなたはもう、レンではないのよ』と言って、教えてくれなかった。『巡り音』は、人の想いを乗せて世界を巡る風。だから、特定の人にとらわれてはいけないと。……もしも巡り合ったなら、その『巡り合わせ』を素直に喜びなさい、と」
 レンの、桃色に染められた髪が、朝の風に靡いた。ああ、朝焼けの色だな、とリンは思った。ハクはただ黙って海を眺め、レンの語る彼の過去を聞いていた。

「ねえ、」
 リンが、レンを振り返って言った。
「お願いしてもいい?」
 レンが、首を傾げてリンの方を向く。
「一度だけ……一度だけ、もとの名前で呼ばせて」

 波の音が。鳥の声が。風の音が。
 すべての音が、一瞬消えた。
 少しの静寂ののち、彼は「いいよ」と答えた。

 リンが砂を蹴って立ちあがり、レンの胸に飛び込んだ。


……つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 63.輝きを留める者

命がけとは、生き抜くこと!……紅き言霊の剣士(笑)メイコの言葉を、必死になり過ぎたリンとレンに覚えていて欲しい。


個人的には、若かりし頃、商売に失敗したメイコの味わった「足元がらがら感」がリアルな感情です。ごめんね王様(スポンサー)!↓
悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ娘・悪ノ召使二次・小説】 1.リン王女
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閲覧数:401

投稿日:2011/03/19 22:27:07

文字数:4,068文字

カテゴリ:小説

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