優雅な三拍子、弦楽楽器の奏でるワルツは
空を漂う木の葉のように前に後に、右に左に
来賓客を規則正しく揺らせていた。
しかし、カイトとルカのダンスはどうも
他とは様子が違うようであった。
「うっ!」
カイトはまだ痛みが残るリンに踏まれた足の甲に
更に重なる痛みを感じる。
「あ、ご、ごめんなさいっ!」
ルカは申し訳無さそうな顔をする。
ルカのヒールがカイトの足の甲を踏んづけてしまったからだ。
「いえいえ……、だ、大丈夫です」
脂汗を額に浮かべ、カイトは紳士らしく、優しく応えた。
どうも、二人ともダンスが苦手なようで
傍で見ていても危なかしい。リンは何気なしに
二人を見ているのだが、いつか転ぶのではと、不安だ。
「すみません。私が上手くリードできなくて……」
カイトが耳元で呟く。
「いえ、私も……練習はしているのですが……」
おぼつかない足元。ハイヒールがグラグラとゆれる。
それならとルカは思い立ち、靴を脱ぎだした。
夜露でうっすらと濡れた芝生は素足を冷たく包む。
一段低くなったルカ。
投げ出されたヒールを見て理由がわかったが
名家のお嬢様である彼女の思い切りの良さに
カイトは驚いた。
下町の娘でもダンスの時には靴は脱がないだろう。
「ひんやりしていて、気持ちよいのです」
無邪気に微笑むルカの瞳は
イタズラな少女の目のようだった。
リンの方を見るとコチラの様子に気づいてるのだろう
やはり苦笑いしてる。
「リン様に後で叱られそうですね……」
カイトは何となくリンから目を逸らす。
そもそも彼は、このような派手な場所を好ましく
思っていない。剣士や騎士達の華々しい活躍を
描く本は幼い頃より読んできたが、実際、自分が
そうなれるとは到底思っていない。
豪放な祖父を見て育ったおかげで
カイトは現実主義者となってしまい
小さい頃から貯蓄をし、老後の生活を心配して
勉強に励み、書類の管理など堅実な『司書騎士』という
仕事を選んだのだ。
今、手を取とり姫君と踊れているのは、とても男冥利に尽きる
と思う反面、他の来賓客達のやっかみ、妬みをとても恐れている。
早々に失礼の無いように手を離して次のパートナーに
この場を譲る事を真っ先に考えているのだが
その前に、ひとつだけ気になる事があった。
カイトはルカに質問した。
「あの……、御聞きしてよろしいでしょうか?」
「なにかしら?」
「先程、リン様が言っていた”時の井戸”とは……」
「……それを説明すると、私、とんでもない”不思議ちゃん”
だとカイト様に思われてしまいます……」
「いえ、そんことは決してありません。リン様の側にいて
もう既に……私も非現実なモノを見てきましたので―――」
リンの屋敷に滞在して早一年。
王立図書館の命を受けて、ミラー家の所有している
『魔導図書館』にある魔法の本の鑑定をしている
のだが、その最中に屋敷に訪れる面々たるや
ひと癖もふた癖もある来賓客。
人ならまだしも、エルフの民やドワーフ
果ては悪魔までやってくる始末。
カイトは既にルカの言葉を受け入れる
体勢は、望んだ訳でもないのに
ミラー家に関わったせいで出来てしまっていた。
それにもうひとつ、カイトには分かっている事があった。
ルカのループ家は良く当たる”占い”で、有名な事。
この占いは、街にいる自称魔法使いの”占い師”とは
ケタが違うレベルで、王国の政治を先導する程のものであり
現当主が王国の”主席魔導士”として着任している。
そして、その中でも、ルカは飛びぬけて魔力が強いと
貴族達の中で噂されているのである。
「そうですね……、あそこに居たら、大概の不思議な事は
信じる事ができちゃいますもんね。わかりました。
説明します……”時の井戸”とは、
魔界の畔にある小さな井戸。
その井戸の水面を覗くと、未来が見えるのです」
受け入れる体勢は出来ていたハズだったが
リンより弩級な不思議ちゃん話に一瞬、硬直する。
「幼い頃、そこに迷い込んだ私を助けてくれたのが
リンおばあちゃま。そして最後に見た井戸の中の水面に
映っていたのが……
あなたと私。……ウエディングドレスを着た私を
あなたが手を引いて、一緒に走ってる姿でした……」
王族と婚約しているお姫さま。
しかもウエディングドレスを着ている彼女を
自分が手を引き、走っている……。
そんな状況、どう考えても只事ではない。
カイトはふるふると引きつる口元を懸命に堪えて
額に脂汗を浮かべながら微笑んでみるのであった。
背丈はちょうど同じ。
リンと、小太りで人のよさそうな紳士の子供と
ホールの中央辺りで踊っていた。
紳士の子供はダンスが上手で、バルコニー外で
あたふたと踊ってる二人組みとは違っていた。
「―――市街の方は既に、ガス管が整備されていて
運河に沿って、ガス灯が並んで火が灯ると
とても幻想的で綺麗なのです」
紳士の統治する”スモールキャスク”という街は
貿易と漁業、そして観光で有名だ。
ここ数年、産業の発達により、下水、ガスのインフラ工事が
街単位で進んでいる。そしてその工業規格の利権を巡って
貴族院と教会が水面下で争っているのを知っていれば
その灯りがとても綺麗だとは言えまい……。
リンはそこまで知っているが、もちろん言わない。
「まあ!さぞかし素敵でしょうね」
年齢のわりには小洒落た事を言うガキだ、と
リンはそう思ったが、表情には出さない。
そして、次に言う台詞も、容易に想像できた。
「……あなたに、ガス灯の灯る運河を案内して差し上げたい」
もっと気障な台詞もあろうが、歳を考えて控えめに言葉を
えらんだのであろう、なかなかの合格点だなと
正直、リンは思った。レンもこのくらい気の利いた事を
どこぞの貴族の娘にでも溢せば、我ミラー家も
跡取りをこさえて安泰なのにと考える。
さて、この小さな紳士のへ返事は、どうしたものか?
右にも左にも流さず、静かに頭を垂れるべきか。
女の残酷さを知らせるべく、一笑の後、はっきり断ろうか。
そんな事を考えていた時
ホールの女性客が悲鳴を上げた。
すかさずホールに駆け込んできたのは剣を携えたアルと
その部下達。速やかに円陣を組み、来賓客を囲う。
ルカを見つけてアルは駆け寄り、カイトとルカも
円陣の中に誘導した。
バルコニーの外、その向こうは整えられた木々があり
自然で出来た壁のようになっている。
そしての暗がりからコツン、コツンと甲冑の擦れる音がした。
その音からして、集団、恐らく20体。
そして、それは月明かりと供にに姿を現した。
古ぼけた骨格、使い古された剣と甲冑。
骸骨の兵士達がゆっくり歩調を合わせて
ホールに向かっていた。
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