第十章 悪ノ娘ト召使 パート7

 戦の音が止んだわ。
 私室の窓から戦闘の様子を眺めていたリンは、唐突に静まった周囲の空気を確かめるように耳をそばだてた。先程、メイコらしい赤髪の剣士が王宮玄関へと侵入して行く姿が見えたが、もうすぐここにも反乱軍がやってくるのだろうか、と考える。どうしてこんなことになったのか、どうしても理解できない。あたしを殺すつもりなのだろうか、とも考えたが、どこか現実感が薄く、まるで夢の中の出来事であるようにリンは感じたのである。この様な時に的確な言葉をくれるレンの姿も見えない。多分、あたしを守るために今も戦っているのだろう、とリンが考えた時に、駆けあがる足音がリンの耳に入った。誰だろう、と考えたリンの耳に、続いてノックの音が響く。普段の様に落ち着いた音ではなく、危急を伝える様な勢い任せのノックの音に僅かに恐怖しながらも、リンは扉に向けてこう言った。
 「入って。」
 直後に入室してきた人物は、リンが唯一信頼する人間の姿であった。しかし、その姿はリンの想像している姿とは大幅に異なっていたけれど。レンは全身に浴びた返り血で真っ赤に染まっており、右手に抜き身のバスタードソードを持っていたのである。
 「レン、一体何があったの?」
 リンはレンに向かってそう訊ねた。その左手に持つ袋には何が入っているのだろう、と考えながら。
 「国民が反乱を起こしました。既に、我々は、敗北致しました。」
 そう言った瞬間、レンは自らの声が震えたことを自覚した。守れなかった。僕は何もかもを守ることが出来なかった。その後悔だけがレンの全身を揺さぶったのである。愛する人も、僕が生まれた国も。そのレンに向かって、リンが静かにこう告げる。何もかもが理解できない。そう訴えるように。
 「どうして、反乱なんて・・。」
 「彼らは、パンを所望しております。余りに飢えた為に、王家に楯突くと言う不敬な行為に働いたのでしょう。」
 レンがそう告げた瞬間、リンはやや呆然としながらこう呟いた。
 「パンが無ければ、ブリオッシュを食べればいいのに。」
 その言葉が耳に入った瞬間、レンは押さえていた想いが溢れだしたことを自覚した。余りに純粋過ぎて、そして素直すぎた自らの妹を憐れんで。もっと早く、僕がリンの兄だと気付いていれば。また、別の運命が合ったはずなのに。もっと沢山の事を、リンに教えることができたはずなのに。大切なことを、もっと、沢山。
 「どうして泣いているの、レン。」
 リンがそう訊ねた。
 「時間がありません、リン女王。僕の服を着て、お逃げ下さい。」
 レンはそう言って、左手に掴んでいた袋をリンに向けて差し出した。血に汚れた自らの軍服をリンに着せる訳にはいかない。時間が無いとは自覚していたが、一度私室に戻り、わざわざ適当な服を用意してきたのである。
 「どうして?」
 リンが不思議そうな表情でそう言った時、廊下を駆ける物音が聞こえて来た。間に合わなかったか、と焦るレンの背後から、扉が勢いよく開かれる。思わず構えたバスタードソードの剣先に現れた人物はルカであった。
 「ルカ様。」
 剣の構えを解いたレンは、少し安堵したようにそう言った。そのレンに向かって、ルカはこう告げた。
 「メイコ達は足止めしてきたわ。後十分程度は時間があるはずよ。」
 そこでルカはリンに向き直ると、続けてこう言った。
 「リン女王、我々の力及ばず、黄の国の王宮は反乱軍に占拠されました。悔しゅうございますが、ここは落ち延び下さい。無論、私も、レンもお供致します。」
 ルカがそう言った時、リンは安堵した様な笑顔を見せ、そしてこう言った。
 「レンが一緒なら、どこへでも行くわ。」
 でも。それは危険な旅になる。レンにはそのことが十分に分かっていた。そして、ルカ様もきっと。それを理解していながら、僕も一緒に逃がそうとしてくれている。もし、ここでリンを確保できなければ、反乱軍はずっと長い間、リンの身柄を確保しようと捜索を続けるはずだった。そして、僕達にはもう亡命する国はない。もう数日以内の間にミルドガルド大陸は青の国により統一されることになる。そうなれば、僕達は当てもなくミルドガルド大陸を彷徨い続け、そしていつかは見つかる。たとえルカ様と僕が抵抗しても、所詮数には叶わない。その後、リンがどうなるのか。分かり切っている。見せしめのために、処刑される。それが早いか、遅いかの違いだけだ。ならば、とレンは考えた。その作戦を最後の最後で思いついたからこそ、僕はわざわざ自分の服を、それも汚れていない服を用意したのではなかったか。守るべきはリン。決して、僕じゃない。
 「ルカ様、僕を置いて、リンと二人でお逃げ下さい。」
 そう言った瞬間、ルカの表情が途端に厳しくなった。そして、強くこう告げる。
 「駄目よ。レンも一緒に連れて行くわ。」
 「でも、ルカ様はご理解されていると思います。いずれ、見つかると。」
 冷静にレンがそう告げた時、ルカは珍しく焦る様な口調でこう言い返した。
 「なんとでもして見せるわ。たとえミルドガルド大陸の全てを敵に回しても、貴方達二人を守って見せる。」
 「ありがとうございます。でも、僕も王族だから。だから、責任を取らなければ。」
 「レン、どうしてそれを・・。」
 「昔、ミク女王が教えてくれました。金髪蒼眼は黄の国の王族の特徴だって。」
 レンはルカに優しく笑いかけると、そう言った。その表情に言葉を失ったルカを横目に、レンはリンに向かってこう言った。
 「リン、僕の服を着て、逃げて。僕はリンの服を着て、敵を欺くから。」
 その優しげな表情に戸惑った様にリンは身をよじった。そして、戸惑うようにこう呟いた。
 「何を言っているの、レン。」
 「ずっと隠していてごめん。でも、本当は僕達、双子なんだ。だから、顔が似ているのは当然なんだよ。」
 レンはそう言いながら、リンの手に押しつけるように自らの服を押し付けた。その服を戸惑った様に受け取ったリンに向かって、レンは短くこう告げる。
 「すぐに着替えて。」
 その言葉の勢いに押されたかのようにリンは素直に頷くと、それでも恥じらったのか物陰へと移動し、衣擦れの音を発生させた。その時間に、ルカが恨めしそうな声でレンに向かってこう言った。
 「どうして、双子だと気付いたの?」
 「先日、勝手ながら父上の部屋にあった日記を拝見しました。その中に。」
 レンがそう告げると、ルカは嘆息を漏らしながら、こう言った。
 「知って欲しくなかったわ。」
 「でも、僕が死ねば、呪いは解けるのでしょう?」
 レンはそう言って、右手の甲をルカに向けて翳した。その甲に刻まれた星形の痣。その痣を見せながら、レンは言葉を続けた。
 「父上の日記を見た後、僕は痣について調べました。この痣の呪いを解くには、痣を持つ者が死ぬ以外の方法がないのでしょう?」
 「・・そうよ。でも、私はあなたを殺す以外の方法を求めていた。」
 呟くように、ルカはそう言った。酷く疲れた様な、掠れた声だった。
 「そのお気持ちだけで十分です。そのおかげで、僕は今まで生きてこられた。」
 「レン・・。」
 想いが詰まったようにルカが言葉を詰まらせた時、リンが物陰から再びその姿を見せた。レンの普段着用している、男性用の私服である。その姿を確認して僅かな笑みを漏らしてから、レンはリンに向かってこう言った。
 「リン、君の服を貸して。」
 これで、僕の作戦は完成する。僕はリン女王として処刑され、リンは逃亡した召使として静かな生活を送れるはずだった。せめて、君が幸せになれば。そう考えながら、レンは血に汚れた軍服を脱ぎ捨てると、リンの衣装を身につけた。初めて着用するコルセットが嫌に苦しかったが、サイズも殆ど同じだったらしい。難なく着替えを済ませたレンは、それまで頭髪を縛っていたゴムを外して髪を流す。鏡に映した姿の様に同じ姿をした二人だったが、その内の一人は悲痛に表情を歪め、そしてもう一人は優しい笑顔でもう一人を見つめていた。そして、レンは何かを思い出したように頷くと、今脱ぎ捨てた軍服のポケットから二つの布切れを取り出して、リンに向かって差し出した。
 「リン、このリボンをあげる。僕の、大切な人が身に着けていたものなんだ。きっと君の身を守ってくれるはずだよ。」
 そのリボンは、ミク女王の形見だった。そのことをリンに伝えるべきかを悩んだレンは、結局そのことを口にしないままでリンにそのリボンを手渡す。そのリボンを震える手で受け取ったリンは、小さく、こう言った。
 「レンは、一緒に来てくれないの?」
 すがる様な声に対して、レンは優しくこう言った。
 「君とは一緒に行けない。けれど、リンのことはずっと見守っているから。」
 レンはそう言いながら、普段リン女王が使用している長机に置いてある花に気がついた。レンがかつて作成した、ハルジオンの花の栞。その栞を手にしたレンは、リンに栞を差し出しながらこう言った。
 「何か辛いことがあれば、この花を見て。僕はずっと君を守り続けるから。」
 「嫌だよ。」
 ハルジオンの栞を受け取りながら、リンはそう言った。続けて、助けを求めるようにこう続ける。
 「レンと一緒じゃなきゃ、嫌だよ。」
 困ったな、とレンは考えた。いい加減、反乱軍がやって来る時間になっている。その困惑した表情のままで、レンはルカに向かって一つ、頷いた。それに対して、ルカはレンが脱ぎ捨てた軍服と、レンが着替える時に鞘に収められたバスタードソードを手に掴むと、何かを諦めたかのようにこう言った。
 「本当にいいのね?レン。」
 「構いません。」
 強い意志を込めて述べられたその言葉に嘆息一つ漏らしたルカは、リンの右手を掴むと、最後にこう言った。
 「ワープ。」
 その言霊と共に、ルカとリンの姿が忽然と消えた。最後に残った、リンの泣き顔だけをレンに残して。そしてまるでタイミングを見計らったかのように、複数の人間の足音が第五層の廊下を響いてレンの耳に入る。扉を蹴破る様にして乱入してきた反乱軍に向かって、レンは鋭くこう叫んだ。
 「この、無礼者!」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン59 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第五十九弾です・・。」
満「ここまできてしまったか、という感じだな。」
みのり「そうだね。」
満「それから、気付いた人もいると思うけど、リンが言った『パンが無ければブリオッシュを・・』のセリフ。以前も紹介した、マリーアントワネットがフランス革命時に叫んだと言われているセリフだ。今回敢えてこの言葉を挿入した。」
みのり「『悪ノ娘』がフランス革命を指しているのではないか、という推測を補足した形になるね。」
満「まあ、でもこれはレイジ的には市民革命じゃないけど。」
みのり「そうなんだ?」
満「まあ、その解説はおいおいしよう。」
みのり「そうだね。では、次回投稿もお待ちください!」

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投稿日:2010/05/05 20:40:07

文字数:4,203文字

カテゴリ:小説

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