第六章 悲劇 パート3
ウェッジ率いる二千の決死隊が無謀なる尾根越えを開始したのは十月も下旬に到達した頃合いである。平地では実りを迎える季節だが、高地では一足先に、まるで駆け去る様に秋が過ぎ、時折木枯らしのような冷たな風が吹き始める。尾根は果てしなく広がり、その果ては何時までも見通せない。大きく伸びる頂にしがみついたかと思えば、その直後に奈落までも続くような谷底への道を歩む。常識では考えられぬ行軍であった。現在でこそ、ミルドガルド山脈は各地からの登山道が整備され、ある程度の経験と装備さえ整えていれば誰であっても踏破できる山となっているが、それは先人たちが道なき道を切り開いた結果であり、革命戦争当時、ウェッジらが目指そうとする道のりを歩んだ経験のあるものは一部の狂人と魔道を求める魔術師が僅かに存在する程度、獣すら姿を現わさぬ超高地にはけもの道程度のガイドすら存在しない、まさしく未踏の地であった。
そのミルドガルド山脈は地質学により、その発生のいきさつが現代から起算して五十年ほど前に発覚している。古代人類がその姿を現すより遥かに以前に、旧黄の国の領域は大陸から分離された孤島であったという。それがミルドガルド大陸に衝突し、大陸を押しのけ、やがては最高標高四千メートルを越える大山脈に発達したのである。山頂付近での発掘調査によれば、少し掘るだけで貝類や魚類の化石が発見される。これがかつてこの山脈が海底の底に眠っていたことの確たる証拠であるという。また、高度二千メートル以下は深い森林に覆われ、複雑で豊かな生態系を構成しているが、それ以上の高度より獣らは徐々に姿を消し、三千メートルを越える頃には木々も姿を消し、残るのは岩場にへばりつくように生息するハイマツの群生と小型の昆虫類、それに僅かな鳥類ばかりとなる。彼らの姿も山頂付近では姿を消す。残されたものは太古より変わらぬ姿を抱く、まるで異界に訪れたかのような殺風景な岩石ばかりであった。
「ホント、」
ウェッジが言った。声を出しながら、息を深く吸う。
「今日が晴天でよかったぜ」
見上げた空には雲ひとつない。否、雲はある。ただし、遥か眼下に、ぽつぽつと。
「この調子で二週間、持ってくれるといいのだけれど」
「可能性は限りなくゼロ、だろ」
ふん、とウェッジが言った。
「山の天気が変わりやすい、ってのは本当だな。ちょっとしたことですぐに崩れやがる」
岩場に手をかける。鍛え上げた筋肉が震える。登る。足場は僅か。落ちれば、命はない。着地点は数百メートル下になるだろうから。足場は少なく、つま先にひっかけるようにしがみつく。三点確保、ウェッジはルカに言われたことを思い出した。脚と手、合わせて四点。動かしていいのはその内の一点だけ。右足。持ちあげる。一つ先の岩に載せる。体制を確保。次は、右手。
蟹になった気分だ。
そう思わずにいられない。ルータオの岸壁で波に洗われながら岩場をちょこまかと動く蟹。脚が十本あればもう少し楽だったろうか。栓もないことを考える。
夕方、日が傾き始める。少し下り、尾根を避けた小広い場所を確保する。尾根での野営はよほどの空間が無い限り禁止としている。尾根は特に風が強い。夜間に営幕が吹き飛ばされた、なんてことも想定しておかなければならなかった。できれば、水場も探す。ルカの記憶が頼りだった。ウェッジも、自らの目で確認はしている。野営地、水場。この二カ月で叩きこんだつもりだ。
火があるうちに飯を炊く。日が暮れると闇の深淵につつまれるこの山で、ほんの僅かな火を帝国軍に気取られないとも限らない。事実、現代日本でも真夏の夜に富士五湖のあたりへ向かうとよく分かる。頂上まで連なる煌々とした明かりが目に着くことだろう。すべて、登山客のヘッドライトが作り出すものだ。
食事を終えれば僅かの休息と身体を伸ばす時間だ。休息時間は日が暮れるまで。秋も深まっている。一時間あるかどうか。暮れればすぐに就寝。酸素が薄い。訓練中に脱落した者の中には睡眠中に過度の酸素不足に陥った者もいた。今いる精鋭部隊は、雑魚寝程度で熟睡に入ることができる。
起床は夜明け前。薄明の中営幕を片付け、日の出とともに飯を炊く。行軍予定は限られているから、昼間は行動食のみとなる。一日行動できるだけの飯を腹の中に詰め込む。食料だけは、大目に用意していた。万が一遭難した場合でも、数日は凌ぐことができる程度に。おそらく、戦の頃には身軽になっていることだろう。
「行くわよ」
点呼を終える。ルカの言葉で行動が始まる。
四日目に、大雨が降った。風も強い。暴風が吹き荒れる。尾根に直撃した雨風がそのまま斜面をかけ登り、天空の切れ目である尾根で一気に突き抜けるのだ。伝令が届かない。耳元で叫ばなければ、会話もままならない状態である。それに、濡れた岩場は容赦なく滑る。滑落を恐れ、中腹に下がる。風の反対側。暴風と雨が不意に治まる。地図上は、帝国の領土である。無論、敵兵の姿どころか、獣の姿すら見られない。ひょい、と顔をのぞかせたのは雷鳥か。くりくりとした瞳に心を休ませたのは一瞬、ずぶぬれの身体で行軍もままならない。予定より、半日遅れた。
五日目、六日目も似たような天候。合計で丸一日ロストする。予備日は計算している。まだ間に合う。
七日目は久方の晴天。行軍がはかどる。八日目も予定通り。
十日目に、雪が降った。まだ、ちらつく程度。胸を撫で下ろす。だが、山の猶予は刻一刻と迫っている。残り二日。神に祈る。
十一日目。初の積雪。数ミリ程度、岩場が雪に包まれた。滑落を厳重注意。まだ、脱落者はいない。
十二日目。午後、吹雪。中腹に下り、そのまま野営。予定下山道まであと一日程度、予定範囲内に収まっている。翌朝、山はすっかり銀色に包まれていた。斥候を出す。積雪十センチ以上。行軍困難と報告。傾斜の厳しい斜面を下る。
十四日目。
「どうにか、間にあったか」
ウェッジが安堵のため息を漏らす。風呂もない、水にも苦労する、何より強烈な雨風に加えて吹雪まで。
死者が出なかったことが不思議なほどであった。
「ここから下れば一日程度でイザール河の源流に到達するわ」
「そこからは新兵器、だな」
日付を確認。十一月二日。山頂に革命軍の旗でも置いておけばよかった。ふと思う。現代においても一部の登山家しか挑戦しないミルドガルド山脈縦走コースである。公式の踏破記録としては勿論、史上初の快挙であった。
ともかく、合流予定は十一月の五日。あと三日。戦場までは二日の予定だ。一日、余裕がある。
「それじゃ、さっさと作業に移るか」
託された試作品を眺めながら、ウェッジは兵らに指示を出した。
その頃、ザルツブルグでも。
「そろそろ、出発ね」
リンが言った。軍議の場で。
「無事だと良いのですが」
ロックバードが窓を見つめる。既にザルツブルグ周辺の山頂も、銀色に包まれていた。つい昨日、行軍訓練を兼ねてリンが視察に赴いたばかりであった。雪深く、ラッセルの用具もないため、山頂へは赴かず撤退している。
「多分、大丈夫よ、山岳につよい精鋭部隊だし、ルカもいるし」
リンが立ち上がる。ここから先は、戦争の次元が異なる。
帝国を、打倒する。
それは侵略とも取れる戦争。だが、新しい時代を吹き込む戦いとも、言える。
民主主義を手に入れるために、多くの血が流れた。
かつて異世界たる日本と言う国で聞いた言葉を思い起こす。できれば、血は流したくない。
だけれども、必要であるならば。
これが、人類の流す最期の血であるならば。
目を見開いた。
「全軍、進撃!」
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You were such part of my life.
Occupied my love.
I hope I can forget you after this fal...Occupied Love
センリ
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