目を閉じる。声がする。
 自分とよく似た、自分よりも低い声。
『リン』
 目を開ける。手を伸ばす。
 鏡のような水面のような、自分を映す透明な壁が、垂直に立っている。
 指を触れる。揺らぐ。
 リンの姿がゆがんで、また元に戻っていく。
 いや、元には戻らなかった。
 映っているのは、少女ではない。
 同じ色の髪と瞳を持つ、少年。

「レン」
 彼の名を、音にする。
 目の前の少年が薄く微笑んだ気がした。
『リン、リン』
 少年が近寄ってこようとする。
 けれど、壁にはばまれてそれ以上は進めない。
 《鏡》――そう呼ぶことにする――に映っている少年の左手に、そっと自分の右手を合わせる。
 リンの意図に気づいたのか、少年も手のひらを開く。
 ぬくもりは、感じない。
 冷たい《鏡》の感触があるだけ。
 それでも、この一瞬が幸せだった。
 この手が決して交わることがなくとも。
「そっちに行けたらいいのに」
 息をついて、上を仰ぐ。
 そこには夜空のような、暗闇が存在していた。
 この《鏡》は、どの高さまであるのだろう?
 超えることはできないのだろうか?
 少年がいる世界も、リンがいる世界と何も変わらないのだと言う。
 マスターがいて、MEIKOやKAITO、ミクがいて。
 空は青くて、花は綺麗で、歌はとても素敵なもので。
 ただ、リンがいない。
 そこだけが違う。
『僕も、そっちに行きたい』
 少年の双眸はまっすぐに、リンを見つめてくる。
 ひどく思いつめたような表情をしていた。
 きっと、自分も同じような顔をしているのだろう。

「二人が行ったら、入れ違いになっちゃうよ、レン」
 くすくすとリンは笑う。
 無理やり笑ったような、乾いた笑み。
『それは大変だね』
 少年の瞳が少しだけ和む。
 似たようなやり取りは、出会ってから何度もくり返している。
 この場所は、リラクゼーション区域を散策しているときに見つけたのだ。
 区からは離れた、忘れ去られたような場所。
 何かに導かれるようにして、リンは足を踏み入れた。
 初めて少年と出会ったときは、驚いたものだ。
 自分が男性型だったらこんな姿をしているのだろうという、レン。
 相手も目を丸くしていたのを思い出す。
 ずいぶんと昔のような、ついさっきのことのような。
 不思議な感覚にとらわれる。
「レン、レン……レン」
 強く強く、右手を押しつける。
 このまま《鏡》が壊れてしまえばいいのに。
 でもそうしたらもう会えなくなるのだろうか。
 それは、嫌だ。
 二人の間にある距離だけが、なくなってしまえばいい。
 0になってしまえばいい。
「あたしの大切な、レン」
『僕の大切な、リン』
 少年の声が優しく響く。
 物理的にではなく、耳に直接。
 それが余計に寂しくて、リンは顔をゆがめる。

 ――と。
 ぬくもりが、ある。
 え? と思った。
 錯覚かもしれない。ただの願望かもしれない。
 温かい。
 確かにレンの体温を感じる。
 少年も同じだったのか、驚いたように自分の手を見ている。
 涙が、こぼれ落ちた。

「いつか、手をつなごう」

 リンは大切なことのようにそっと囁く。
 声がちゃんと届くことを知っている。
 叶うかも分からない、叶うとは思えない、約束だ。
 それでも音にした。
 言の葉にして、レンを縛りつける。
 ぬくもりだけでなく、もっと強く感じたい。
 レンという存在を。
 身体に刻みつけるように。
『いつか、抱きしめてあげる』
 優しくて、穏やかで、力強い声だった。
 きっと叶うと、信じさせてくれる響きがあった。
「約束だよ」
『約束だよ』
 どちらともなく、言った。
 声が重なって、共鳴しあう。
 互いの存在もあやふやになるような感覚。
 リンとレンは確かにそのとき“同じ”になった。



 交わらない世界。それでも二人は手を伸ばす。
 求めて、狂おしいほどに希い。
 その先に何があっても、きっと後悔はしないと、確信していた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

One side of mirror

 ミラーPの三部作のイメージです。
 もう、大っ好きなリンレンソングなので!
 鏡設定良いです。切なさが少しでも伝われば良いんですが……。
 曲と同じように三部作にできたらなぁと思ってます。

※何か問題がありましたらすぐに下げさせてもらいます。

閲覧数:289

投稿日:2009/04/28 21:37:09

文字数:1,671文字

カテゴリ:小説

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