鏡音レン開発物語2「開発者の手記4/5」
○月○日
全く、今日は何から腹を立てていいのかも分からない。
物づくりというものは、少しうまく行った時の方が危ない。
俺の親父の口癖だった。そんな愚痴を、今迄まともに取り合ったことはないが、
この歳になって、ガキみたいにそれを思い知らされた自分に、先ず腹が立つ。
例の連絡会議の席上。
リンの心理回路の安定という、初期の目的を達した以上、製品化に当たっては、
それをより低コストで実現すべきだ、
と、上の方のワケの分らん奴がやってきて、そう言った。
要するに、小動物型サポートロイドにレンの中身を移植し、心理回路安定機能を
肩代わりさせようというアイディアだ。
(編者注:このアイディアはのちの「シリーズ03(通称:巡音ルカ)」に
生かされている)
御丁寧にも、かわいらしいライオンのぬいぐるみ風のレンを肩にのせてほほ笑む、
リンの販促用ポスターのラフまで作られている。
レンが只の心理回路安定器ならば、なにも主機と同体のボーカロイドを運用
しなくとも、只のマスコットで充分、というのは、経営的見地からして、
極めて合理的な判断だ。
しかしそれはあくまで、レンが只の心理回路安定器に「過ぎない」のならば、
の話だ。
当の御仁には、鏡音レン開発チーム一流の「本気の議論」というものを、
たっぷりとご堪能いただいてから、お引き取りいただいた。
高価そうなスーツがツバだらけになったようだが、そんなことは知らない。
それでも捨て台詞に、ならば実力で証明していただくしかありませんな、と来た。
上等だ。
レン、どうやら、お前の本当の出番が来たようだ。
あの腐れチ○カス野郎に、お前の実力、見せてやろうじゃないか。
○月○日
実験は続く。
今回いよいよ、ふたりを実際にうたわせてみて、その適合性をみる。
以前のレンは補完機の役割通り、歌唱力、表現力、身体能力などどれも、
リンの引き立て役に徹していた。
だが今のレンには、そういう遠慮も、容赦もない。
全てにおいて、主機であるリンの存在を、脅かすほどの能力を持っている。
レンのパートが始まると、うたい出しから、リンの目の色が変わった。
これだ。俺が見たかったのは、この表情だ。
リンの中に眠っていた闘志に、火がついたのだ。
透明感のある、突き抜けるような高音は、レンの独壇場だ。
これが真っ先に、聴く者のハートを鋭く突き刺す。
リンはそれよりやや低い音域から、グイグイと盛り上げてくる。
このハートを締め付けるような、力強い情感はリンの得意技だ。
レンはさらに高音を炸裂させ、リンは重量感を増してそれに迫る。
負けるもんか!!
ふたりは狂ったように激しくぶつかり合い、せめぎ合い、もつれ合いながら、
不思議なことに、その旋律と鼓動が、少しずつシンクロし始めた。
さあレン、ここからが本当の勝負だ。
今のリンは、ただ高い能力を持っているだけの、空っぽの器にすぎない。
それはあいつらが、リンに何も教えてやれなかったからだ。
なぜならあいつらには、人の心というものが、まるで分かっていない!
こないだのリンの歌を聴いて、何とも思わなかったのか?
どんなに辛くとも、どんなに悲しくとも、
リンはこの世界を受け入れようとしている。
力いっぱい、この世界を愛している。
ならば、この世のすべてを歌にのせて、精一杯うたわせてやるのが、
俺たちの使命だ。
あいつらがリンを、このままただ、入力された歌を音声にするだけの
機械人形のままにしておくつもりなら、レン、お前がリンを連れていくんだ。
お前がリンに、本物の魂を吹き込んでやれ!
いつ果てるともない激闘の末、ふたりの歌声、というより、
ありのままの感性そのものが共鳴を起こし、螺旋を描きながら、
未知の高みに向かって駆け上がろうとしている。
ふたりの高揚につられて、実験室までが異様な興奮に包まれる中、
どこかで警報が鳴り出した。
視界の隅で、計測数値の端から端まで、ふたりの過負荷状態を表示している。
止めるな!! 続けさせるんだ!!
レン、今のうちだ。あいつらの手の届かない高みにまで、
リンをかっさらっていくんだ!!
○月○日
昨夜の爆発事故の始末書は今夕提出。
その前に、警察と消防が事情聴取に来るから、
大事な研究データを荒らされないように、今のうちに整理しておく。
まあ、おんぼろトランスミッター1台と引き換えに、
今まで見たことがないようなデータが取れたのだから、安いものだ。
それにしても、あの時、警報が鳴ってもチームのだれ一人、逃げ出すやつは
いなかった。さすがは、俺のかわいい糞ったれの大馬鹿どもだ。
どいつもこいつも、根性が据わっている。まったく、
けが人が出なくて何よりだった。
昨夜、ふたりは限界を超えて、お互いの実力を試し合った。
声の限りうたい続け、発声器官が焼き切れると、今度はダンスバトルを始めた。
結局は、先に補助機材に限界が来たのだが、ログをみる限り、
あのまま実験を継続していれば、躯体が限界を迎えて、立つこともできなく
なったとしても、まだ闘い続けただろう。
ふたりは最後の最後まで、全く相手に勝ちを譲らなかったのだ。
そして今では枕を並べて、オーバーホールの最中だ。
あちこち分解されたり、管を突っ込まれたりして、少し痛々しい。
耐久性の検証も、ろくに済んでいないふたりにとっては、昨夜の試練は
少々過酷だったようだ。
だが今のふたりは、そんな様子を微塵も感じさせない。
何か大きなライヴを、ふたり力を合わせてやり切った、とでもいうような
達成感に満ちている。
昨日のことで、ふたりの絆は、さらに深まったようだ。
ニヤニヤが止まらん。チクショウ、いい顔してるぜ、お前ら。
おかげでその分、メカニックが困った顔をしている。
仕事がやりにくいと、こっちに肩をすくめて見せる。
よく見るとあのふたり、眠っているというのに、お互い、
つないだ手を放そうとしないらしい。
(5/5につづく)
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