留香ちゃんは、俺の家より三軒隣に住んでいる、五つ年上の幼馴染み。いつもにこにこ笑ってて、優しくて、綺麗で、可愛くて。憧れが恋に変わるのに、そんなに時間はかからなかった。

 でも、留香ちゃんは俺よりも年上で、彼女の同級生達の間でさえ大人っぽい美人だと評されるような人だから、俺が彼女になってほしいと言った所で相手になんてされないと思っていた。

 それでも諦めきれなくて、高校に入学する一週間前に玉砕覚悟で彼女になってほしいと告白した。そしたら、留香ちゃんは一瞬目を見張った後に少し照れたような笑顔になって、

「はい。」

 って言ってくれた。


 断言できる。あの時が、人生で一番嬉しい瞬間だった。


 ***

(留香ちゃん遅いな・・・何かあったのかな)

 付き合い始めて一年と少したったGWの初日。今日は二人で水族館に行こうと言っていたので、近くの公園で待ち合わせていた。

 しかし、約束の時間を過ぎても留香ちゃんが来ない。待ってる間に何か飲んでおこうかなんて考えていると・・・聞き慣れた声が聞こえてきた。

「学君、ごめんね!」

 息を切らせながら、留香ちゃんがパタパタとこちらに向かって走って来た。

「大丈夫、だけど・・・珍しいね。どうしたの?」
「えっとね、昨日ゼミの人の家で課題について打ち合わせてたら、いつの間にか酒盛りが始まって。これから一年間一緒にやっていくメンバーだし女の子だけだったからいいかなって思って一緒に飲んでたら、話が盛り上がって喧嘩にまでなっちゃって、それで朝帰りになっちゃって。」
「・・・うん。」
「少しは寝ておかないとと思って、仮眠して起きたら・・・待ち合わせの時間で。連絡しようとしたら、携帯の充電こんな時に限って切れてて・・・。」

 息を弾ませながら、一生懸命説明する留香ちゃん。酒盛りや喧嘩や朝帰り等、気になる個所はいくつかあるけれども、必死に話す留香ちゃんが可愛いのでまぁいいか。

「ごめんなさい。公衆電話からでも連絡すればよかった・・・。」

 涙目で見上げてくる留香ちゃん。俺は、中学の頃には既に留香ちゃんの身長を追い越していたので、留香ちゃんが俺と目線を合わせようとするとどうしても見上げる形になるのだ。潤んだ目の上目遣いとか反則だろう。

「たぶん・・・公衆電話探してたら余計時間かかってたと思うよ。最近あんまり見ないし。」
「あ・・・そっか。そうだね。」
「まぁ、ちゃんと来てくれたからいいよ。正直・・・忘れられてるのかも、なんて思ってたし。ゼミに配属されてから忙しくなったって言ってたからさ。」

 ぽつりとそんな心情を漏らすと、留香ちゃんが眉をひそめてムッとした表情になった。

「忘れる訳ないじゃない。」

 そう言って、俺の左腕にぎゅっとしがみつく。

「ずっと楽しみにしてたのよ。こんな風に遠出する事あんまり無いし。」

 強い力でしがみついてくる留香ちゃん。腕に・・・その、柔らかいものがむぎゅっと当たっている感触があるけれど、努めて考えないようにする。

「分かった、から・・・あの、少し力緩めてくれる?」
「え? あ、ごめんね。」
「いや、いいよ。それじゃあ行こうか。」
「うん!」

 俺達は、腕を組んだまま歩きだした。


 ***


「楽しかったね!」

 俺の手を握りながら、留香ちゃんがにこにこと言う。しかし、その表情がすぐに曇ってしまった。

「いつもごめんね、入場料とかドリンク代とか・・・私も出すって前から言ってるのに。」
「や、まぁ・・・大丈夫だよ。」
「デート費用、いつも学君持ちだから申し訳なくて。私の方が年上なのに、毎回学君がいつの間にか払ってて、私の分を渡しても受け取ってくれなくて。」
「好きで出してるんだから、気にしないでよ。」
「・・・分かった。ありがとう。」

 微笑みながら言ってくれる留香ちゃん。けれど、その微笑みは苦笑に近いものだった。少し沈んでしまった空気を振り払うように、俺はなるべくいつも通りの声で問いかけた。

「今日は夕飯作ってくれるって言ってたよね。何?」
「ふふ、学君の大好物!」
「・・・ナス田楽?」
「正解! 楽しみにしててね。」
「うん。」

   ***

 留香ちゃんと付き合いだして、二人で出かける時は・・・必ず、その費用は俺が全て出していた。彼女はそんなの不公平だと言って、毎回自分の分を俺に渡そうとしているが、毎回無理やり押し切っていた。


 なぜそんな事をしているのか、理由は簡単。彼女の前で格好つけたいから。そうする事で、年下でも頼りになるんだと証明したいからだ。


 留香ちゃんは、未だに・・・告白されたり知らない男に声を掛けられたり、遊びに誘われたりする事もあった。二人でいる時に姉弟に間違われる事もあった。そして、年下のガキなんかより大人の俺達と遊ぼうぜなんて言う輩もいて、その度に『私は年下好きなの』何て切りかえしてて、『あんな人の言う事なんて気にしないで』と俺を気遣ってくれていたけど、俺は・・・毎回、情けない、申し訳ないという気持ちになった。せめて、俺が留香ちゃんと同い年だったなら、年下だとしても一つ二つの差だったなら・・・あんな風に気を遣わせる事もなかったのに、と。

 だから、彼女に俺が頼りになる所を見せたかった。自分の彼氏は頼りになるんだと、自慢に思ってほしかった。

 そんな風に気にしている事こそが子供のする事で、自分が見栄を張るために押し通している我が儘のせいで彼女が苦しんでいる事に、彼女もまた・・・自分が年上である事で悩んでいる事に、この時は全く気付いていなかった。

 ***

「あれ? 留香じゃない?」
「美紅ちゃん? あ・・・海十君まで。」

 留香ちゃんは大学二年の春からは一人暮らしをしていた。なので、留香ちゃんの家に向かう最中で会ったと言う事は・・・この二人は大学の友人だろうか。

「美紅ちゃんと海十君は二人で出かけてたの? ふーん・・・デート? とうとう年貢の納め時?」

 留香ちゃんがニヤニヤとした顔で二人に問う。なかなか見る機会のないレアな表情だ。

「ち、違うよ! そんなんじゃないし!」
「そ、そうだよ! これは、その、サークルの買い出しのために、仕方なく・・・!」

 うろたえながら必死に言い訳する二人。うろたえている時点で、初対面の俺でも二人が互いを意識しているのがよく分かった。高校生の俺が言うのも何だが、随分初々しい感じがする。見ていて、たいそうに微笑ましい光景だ。

「わ、私達の事は置いといて! 留香はどうしたの?」
「私? 私は・・・今から帰って、夕飯作るとこ。」
「夕飯? 留香の手料理かぁ、食べたいなぁ・・・。」
「ごめんね、今日はもう食べてもらう相手決まってるの。美紅ちゃんには、また別の機会に作るね。」
「食べてもらう相手? あ、もしかして昨日言ってた・・・。」

 楽しそうに話している留香ちゃんとその友人である美紅さんを、何となく遠くから眺めていた。さすがに、女友達同士でおしゃべりしている所には入っていきづらい。

「やぁ。女の子同士で話されると・・・こっちは困っちゃうよね。」

 俺と同じように二人を遠巻きに見ていた海十さんが、俺に話しかけてきた。

「そうですね。」
「俺は青音海十。四年生で、留香ちゃんとはつい最近美紅を通じて知り合ったんだ。君は、留香ちゃんの弟さん?」

 何気なく言った海十さんの言葉が、俺の心臓を抉った。もうすぐ十七になるし、最近はだいぶ間違われる事も減って、少し自信を持ち始めていたと言うのに・・・また、間違われてしまった。

「え・・・どうしたの? 顔色悪いよ?」

 海十さんが心配そうに俺の顔を覗き込む。けれど、俺はショックのあまり返事が出来ずにいた。

「海十? どうしたの?」
「学君?」

 俺達の状況に気づいたのか、留香ちゃんと美紅さんが振り返った。

「ねぇ、留香ちゃん。その子、弟さん?」

 さっきよりは幾分自信なさげな声音で、相変わらず禁止ワードを口にする海十さん。その言葉を聞いた留香ちゃんが、ぴたりと動きを止めた。

「・・・違うわ。」
「あ、そうなの? じゃあ、誰なんだい?」
「学君は、私の・・・。」

 留香ちゃんは途中で言葉を切って、俺の方に向かって歩いてきた。美紅さんと海十さんが首をかしげているのに構わず、留香ちゃんは俺の前に立って顔をあげる。

「留香ちゃん、どうし・・・っ!!」

 あっという間の出来事だった。正面にいる留香ちゃんが俺の首に腕をまわして抱きついてきたかと思うと、背伸びして・・・。

「ん・・・。」

 焦点が合わないくらい、近い距離にある留香ちゃんの顔。そのまぶたは閉じられていて、綺麗な紺碧色の瞳を見る事は叶わない。

 でも、閉じられた瞳の端に・・・涙の粒が浮かんでいたのが見えたような気がした。

「・・・分かったでしょ。学君は私の恋人なの。二度と・・・弟なんて言わないで。」

 留香ちゃんは海十さんを睨みつけながら、泣き出しそうな声色で呟いた。

 ゆらゆら揺れている視界の端で、美紅さんは真っ赤な顔で口をパクパクとさせていて、海十さんは壊れた人形のようにガクガクと頷いているのが見えた。

   ***

 その日の夜。留香ちゃんが作ってくれたナス田楽を、俺が綺麗に平らげた後・・・留香ちゃんが、甘えるかのように俺の膝の上に乗って、抱きついてきた。

「どうしたの?」
「・・・何で私、学君より五つも上なんだろう。」

 留香ちゃんがぽつりと呟いた。呟いた声が震えている。

「何度考えたかな、学君と同い年だったら良かったのにって。せめて、一つ二つの違いだったなら・・・一緒のクラスで授業受けたり、一緒に同じ学校に通ったり出来たのに。学君に気を遣わせる事もなかったのにって。」

 そう言うと留香ちゃんは顔をあげた。その瞳は・・・涙で濡れていた。

「ごめんね。私なんかが隣にいるばっかりに、いつも辛い思いさせてるよね。しないで良い苦労までさせてるよね。」

 何で留香ちゃんが謝るのだろう。俺の方こそ、いつもいつも留香ちゃんに気を遣わせているではないか。

「本当はね、あの時断るべきだって分かってたの。他のもっと可愛い・・・年の近い女の子の方が学君にはふさわしいよって、言うべきだって分かってたの。こんな年増じゃなくて。」
「留香ちゃんは年増じゃないだろ。そもそも、どの年代の人にだってそんな言葉使うべきじゃないよ。」
「でも、学君が大学卒業する時、私二十七よ。立派なアラサーよ? 学君の周りには若々しくて可愛い女の子がわんさかいるのに、その時の私は三十に手が届くようなオバサンよ。」
「・・・留香ちゃん。」
「何で私は五年も早く生まれてきたの!? 学君と一緒が良かったよ!」

 そう叫ぶと、うわああんと留香ちゃんは泣き出してしまった。俺のシャツの胸元が、留香ちゃんの流した涙で濡れていく。留香ちゃんも気にしていたのか。年の事で悩んでいたのか。自分の事で精いっぱいで、全然気付いてあげられなかった。

「俺だって、五年早く生まれたかった。留香ちゃんと同い年が良かったよ。」

 腕に力を込め、泣きじゃくる彼女を抱き込んで耳元で囁いた。

「でもね、同い年なら良かったとは思うけど、だからと言って、今の留香ちゃんに不満がある訳じゃない。俺よりも五歳年上で、いつもにこにこしてて、優しくて、綺麗で、可愛い、今の留香ちゃんが俺は好きなんだよ。」

 好きだと告げた後で彼女の顔を見ると、彼女の頬はかあっと赤く染まっていた。再び、留香ちゃんの瞳から透明な涙があふれ出す。

「謝るのは俺の方だよ。ごめんね留香ちゃん。自分の事ばっかりで、留香ちゃんが悩んでるのに全然気付いてあげられなくて。こんなだから、年下じゃ頼りないだろ、とかガキだって馬鹿にされるんだろうな。」

 すると、留香ちゃんはぶんぶんと頭を振った。

「学君が謝る必要ないよ。私は、学君を頼りないと思った事は一度もないし。」
「・・・そうなの?」
「うん。学君は頼りになるし、実年齢以上にしっかりしてるし、周りをきちんと見ているし・・・むしろ学君の方が、私より大人だって思うわ。」
「そうかな。」
「そうよ。昨日だって・・・喧嘩になったの、私のせいなの。酒盛りのメンバー、私と美紅ちゃんと、あと三人いたんだけどね・・・その三人の中の一人が、自分の彼氏自慢を始めたの。自分の彼氏は年上で、かっこよくて、背も高くて頭も良いんだって。こんなハイスペックな男そうそういないわ、ごめんねぇみんな・・・なんて、嫌みたっぷりに言うもんだからカチンときて、つい私も応戦しちゃったの。」
「え、応戦?」
「私の彼だってかっこいいし、頭も良いし、背も高いし、年下だけど頼りになるし、周りに気を配れる大人なのよって。そしたら彼女、年下じゃろくなプレゼントもらえないでしょって言いだしたから、プレゼントもらうために付き合ってるわけじゃないもの、好きだから一緒にいるんだもん、自分の見栄のために彼氏をとっかえひっかえしてるような貴女と一緒にしないでって返したら、喧嘩になっちゃって。」
「・・・。」

 どう切り返すべきなのだろう。ムキになって反論してくれた事にお礼を言うべきか、喧嘩になるような事を言ったらだめだよと伝えるべきか。そりゃ、そんな事言えば喧嘩になるだろうよ・・・。

 でも、その喧嘩が勃発したのは、留香ちゃんが俺の事を『頼りになる彼氏』だと思ってくれていたからだって事だろう。他の誰に馬鹿にされようが、弟に間違われようが・・・留香ちゃん本人が『頼りになる彼氏』だと思ってくれているのなら、周りの言葉を気にする事はないのだろうか。

 だって・・・百人の他人に言われた言葉より、大切な人の愛情の籠った言葉の方が、信頼に値する言葉だろうから。

「費用とかも学君が全部払う必要ないのよ。私にとっては、そうしてもらっても・・・申し訳なさの方が先に来るもの。ありがたいとは思うし、感謝してるけど、好きな人にばかり負担を強いたくはないわ。」

 自分の言葉に照れたのか、顔を隠すように俯きながら話す留香ちゃん。

「そうしなくても、私が学君を頼りないと思う事なんてないんだから。学君はそのままでいいの。そのままの学君が、私は好きなの。」

「・・・ありがとう。俺も、そのままの留香ちゃんが大好きだよ。」

 目の前で耳まで赤く染めている最愛の彼女を上向かせ、そっとその唇に口付けた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【がくルカ】 年上彼女。

 がくルカ話で、ルカさんの方が年上設定なのってあんまり見ないので、ちょっと書いてみました。ちょろっとカイミク要素もあります。ホントにちょろっとですが。

『とある王国』同様、糖度高めになってるかと思われます。書きながらずっとニヤニヤしてました。

 ちなみに、江戸時代では二十歳前後で年増と呼ばれていたそうです。その事実に戦慄が走りました。なんてこったい、吉川も年増だったのかと思いました。

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投稿日:2015/05/06 19:21:47

文字数:5,998文字

カテゴリ:小説

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