ハルジオン⑤ 【小説版悪ノ娘・白ノ娘】

第二章 魔術師ルカ パート2 

 「ルカ様!」
 ルカがガクポを連れて王宮に到達すると、出迎えに来ていたレンが大きく手を振りながら笑顔を見せた。
 相変わらず、元気みたいね。
 ルカはそう考えながらレンに対して軽く手を振り返し、こう答えた。
 「久しぶりね、レン。調子はどう?」
 「上々です。相変わらず、リン女王陛下には振り回されておりますが。」
 「そう。」
 ルカはそう言いながら、レンの右手を視線だけで確認した。
 ・・まだ消えてない。むしろ、大きくなっている。
 その事実を認識し、ルカは一秒にも満たない僅かな時間だけ眉をひそめたが、すぐに笑顔を取り戻してこう言った。
 「それは良かったわ。レン女王陛下にはすぐにお会いできるのかしら?」
 「はい、リン様もルカ様のご到着を楽しみにしております。」
 「ありがとう。それから、今日はリン女王陛下にお会いして頂きたい人物がいるの。」
 ルカはそう言って、ガクポに向かって手のひらを差し出した。
 「ガクポよ。大陸一の剣士と言われているわ。」
 そのルカの紹介に対して、ガクポは黙したまま一礼した。
 「あなたがガクポ様ですか?お噂は僕も耳にしています。百人相手でも切り伏せることができるとか。」
 多少驚いたように、レンはそう言った。
 「多少の腕が立つだけ。根も葉もない噂に過ぎませぬ。」
 余り自身の腕を誇示する気にはならないのだろう、ガクポは少し声を抑えるようにそう言った。
 「ガクポにはリン女王陛下の護衛をお願いしようと思っているわ。」
 ルカが補足するようにそう言った。
 「それは心強いですね!では、早速ご案内致します。」
 レンは心底嬉しそうにそう言うと、二人を連れて王宮内を先導し始めた。

 ルカと会うのは一年振りかしら。
 謁見室、一人でルカの到着を待つリンは比較的落ち着いた表情をしながら頬杖をついた。
 ルカとは生まれた時からの知り合いだ。なんでも強力な魔術師だとかで、前国王の時からよく王宮に顔を出している人物である。どうして黄の国と関わるようになったか、理由をリンは知らない。ただ、前国王である父親からは何度も、困った時はルカを頼れと言われているから、きっと重要な人物なのだろうと子供心に考えた記憶はあった。とはいっても諸国を放浪しているルカのこと、何か相談があってもすぐにできる訳もなく、このようにルカが黄の国を訪れる日を待たなければならないことはどうにも不都合ではあったが。
 それでもルカがもたらす諸国の見聞はリンにとっても興味深いものであり、一度話し込むとリンは数時間ルカを手放さない。通信技術が未発達のこの時代はこのような旅人からもたらされる情報が何よりの娯楽となっていたのである。
 そのような期待を持ちながらリンがルカの到着を待っていると、謁見室の扉が開かれ、女官がルカの来訪を告げた。
 「通して。」
 一言リンは告げると、その女官は恭しく一礼をして引き下がる。そして、入れ違いになるように入室してきた三人の男女の姿を見て、リンは見知らぬ人物がそこにいることに気が付いた。先頭を歩くのは召使のレン。その後ろに控える女性がルカ。そしてもう一人、長髪の男性のことをリンは知らない。この男性は誰だろう、という当然の疑問を持ちながらも、リンはひとまずルカに向かってこう言った。
 「ルカ、久しぶりね。」
 「お久しぶりでございます、リン女王陛下。」
 相変わらず、若いままね。
 一礼をしたルカの姿を見ながら、リンはつい、そう思った。
 ルカの姿はリンが生まれた時から微塵も変化していない。記憶の残っている時点から既に十年以上の月日が流れているにも関わらず、常に二十歳前後の女性にしか見えないのである。魔術で年齢を一定に保っているという噂はまことしやかに流れているが、実年齢がいくつになるかは誰も知らないのだ。少なくとも数十年は生きているのだろうとリンは推測していたが、それを尋ねることは野暮のような気がして未だにに尋ねていないし、そのことを今日尋ねるべきではないような気もする。
 それよりも、後ろの男性は誰だろう。
 ルカが連れてくるような人間なのだから、それなりの人物なのだろうと考えて、リンはこう尋ねた。
 「そちらの男性は?」
 「ガクポと申しますわ。」
 ルカが簡潔に、そのように紹介した。その言葉を受けて、リンはもう一度紫がかった長髪を持つ、ガクポと呼ばれる男性を眺め回した。端正な顔立ちからは一見女性のようにも見えるが、鍛え抜かれた筋肉が男性であることを如実に物語っている。そして腰に佩いている、反りの入った奇妙な形状の剣。名うての剣士だろうか、と考えてリンはこう尋ねた。
 「不思議な剣を持っているのね。」
 「倭刀という、東方の大陸で使用されている剣でございます。」
 ガクポがそのように説明をした。響きのある、心地の良いテノールがリンの鼓膜を震えさせる。そして、東方という言葉がリンの興味を更に引き付けた。この時代は東西大陸の交流が盛んではなく、東と言えば謎に包まれた異世界と同等の意味合いを持っていたからである。
 「東方のご出身なの?」
 物珍しい話が聞けるのではないだろうか、とリンは考えてそう訊ねた。
 「私は違いますが、先祖を辿れば東方のオリエントの出身になるそうです。」
 「どうして今日はここに?」
 リンが更にその様に尋ねると、ルカが一歩前に出て説明を付け加えた。
 「ガクポはミルドガルド大陸一の剣士と言われておりますわ。リン女王陛下の護衛としてお傍に置いて頂ければと思いまして。」
 「それは心強いわ。でも、どうしてそのようなお方が私の為に?」
 リンがガクポの目を見ながらそう言うと、ガクポは簡潔にこう答えた。
 「仕えるべき主を求めております故に。」

 「意外だったわ。」
 リンとの謁見が終わり、宿泊の為に用意された一室に戻ったルカは、ガクポに向かってそう言った。
 「何事でしょうか。」
 「あんなに簡単に護衛の了解を出すとは思わなかったから。」
 「ふむ。」
 ガクポはそう答えると、少し思索を纏める様に視線を遠い方面へと向けた。そして、こう答える。
 「直感というものでしょう。お会いしてみて、仕えるべき人物であるような気になったのです。」
 「それだけ?」
 「正確に言うなら、リン女王陛下の瞳でしょうか。」
 「どういうこと?」
 「寂しそうな目をしておられた。おそらく自らの望みがかなわず、日々口惜しい生活をしているのでしょう。」
 「それが守るに値すると?」
 「そうです。」
 「なら、守ってあげて。あの子は、リンはまだ幼すぎるわ。本来ならもっと経験を積んでから女王に即位すべきだったのに。」
 「分かりました、ルカ殿。それに当たって、一つ質問があります。」
 「なに?」
 「あのレンという少年・・。彼は何者なのですか?」
 「どういうことかしら?」
 「ただの召使には到底思えぬ、ということです。」
 気付いたのかしら。
 ルカはガクポの言葉をそのように捕らえ、しばらくの間思索を巡らせた。ガクポだけには伝えておくべきか。しかし、このことは黄の国でもアキテーヌ伯爵を始めとした極一部の人間しか知らない情報である。まだ、伝えるわけにはいかない、とルカは判断し、こう答えた。
 「彼の出生についてはまだ話せないわ。」
 「・・なるほど。」
 ガクポはその言葉で何かを察したのだろう。それ以上の追求を止め、代わりに沈黙を寄越した。いずれ、気付かれるか、もしくは伝えなければならない日が来るのかもしれない。ルカはそう考え、僅かに吐息を漏らした。右手の痣。あれが消滅しない限り、平穏は訪れない。その為には・・。

 翌日、朝食を終えたルカを訪ねた人物がいた。内務大臣のアキテーヌ伯爵である。
 かなり疲労が溜まっているようね。目の下に大きな隈を作っているアキテーヌ伯爵の姿を見てその様に考えたルカは、アキテーヌ伯爵を私室のソファーに着席させると、採取した薬草を使ってお茶を汲み始めた。疲労回復に効力のある薬湯である。
 「かたじけない。」
 薬湯を差し出されたアキテーヌ伯爵は素直に礼を述べると、湯気が惜しげもなく湧きあがっている薬湯に口をつけ、そのままゆっくりと飲み干した。それでようやく一息ついたのか、多少血色の良くなった表情でアキテーヌ伯爵は一つ礼をした。
 「即効性の高い疲労回復薬だけど、効いたかしら?」
 アキテーヌ伯爵が飲みきった湯飲みを片付けながら、ルカはそう尋ねた。
 「はい、お陰様で。かなりリフレッシュしましたぞ。」
 「本当は仕事を忘れて休暇を取った方がいいけれど、そうはいかないのかしら。」
 「はい。この危機的状況では休む間もありません。」
 「確かに酷い状況ね。」
 眉間を厳しくしたルカは、そう言ってアキテーヌ伯爵に同意を示す。
 「実際、国土の状況はどうなっておりますでしょうか。報告では地方を中心に相当数の餓死者が出ているとか。」
 「出ているわ。私が把握している限りでも数万人の人間が餓死しているはずよ。」
 「酷い状況ですな。早い段階で国庫を開放して、民衆の救済を行わなければならないのですが。」
 「リンが許可をしない?」
 「はい。昔は素直なお方だったのに、女王に即位されてからというもの、我々の言葉に耳を貸そうともされません。」
 「そう。」
 「やはり・・例の件の所為でしょうか。」
 アキテーヌ伯爵は眉をひそめながらそう言った。
 「おそらく、ね。放置すれば黄の国自体が転覆するかもしれないわ。」
 「転覆・・・なんとか、回避する方法はないのでしょうか。」
 「あるには・・あるけど。」
 それを実行するには相当の勇気が必要だけどね。
 ルカはそう考えて、わずかに視線を地面に落とした。その方法はアキテーヌ伯爵も理解している。
 「彼を排除すれば、呪いは解かれるのでしょうか。」
 現時点で唯一の対策を、アキテーヌ伯爵はそのように表現した。
 「解かれるわ。でも、それは前国王の望みではないし、リン女王も望まないと思う。別の方法で対応しなければならないのだけど。」
 「・・そうですな。」
 溜息混じりにアキテーヌ伯爵はそう答えた。
 「私からも一度リン女王に話してみるわ。ちゃんと言うことを聞いてくれればいいけど。」
 ルカはそう言って、アキテーヌ伯爵と同程度に深い溜息を一つついた。

 少し表情を暗くしたルカが再びリンの前に現れたのはその翌日の午後であった。
 一度リン女王陛下にご忠告申し上げないといけない。
  そう考えたルカがさて、どうしたものかと思案していると、リンの方から呼び出しを受けたのである。まだ言うべき言葉が纏まっていないわ。ルカはそう思ったが、リン直々の招集となれば向かわざるを得ない。おそらく諸国の見聞についての質問があるのだろう、と考えてルカが謁見室に入室すると、果たしてリンはこのようにルカに告げたのである。
 「ルカ、旅の楽しい話を聞かせて。」
 無邪気にそう訊ねるリンの姿を見て、さてどうするか、とルカは考えた。楽しい話は今回ばかりは伝えることはできそうにない。何しろこの一年でルカが見たものは飢えた農民たちの姿ばかりだったからだ。仕方ないわ。ルカはそう決意して、直接にリンに伝えることにした。
 「申し訳ございません。今回ばかりはリン様に楽しいお話をお伝えすることはできません。」
 「どうして?」
 不満そうな声で、リンはそう言った。
 「飢饉のことは、リン様も耳にされていると思います。」
 「飢饉?内務大臣がいつも口うるさく言っているわ。」
 「そうです。その為に国民は飢えに苦しんでおります。」
 「まさか。だって城下町はいつもと同じようにしか見えないわ。私、いつも部屋から眺めているもの。」
 「まだ、城下町には影響が出ておりませんが、地方の農村では既に餓死者が多数発生しております。」
 「ルカにしては珍しく冗談を言うのね。」
 くすり、とリンは笑った。僅かにその言葉に怒りが含まれていることにルカは気が付いたが、ここで引き下がる訳にはいかない、と考えてルカは言葉を続けることにした。
 「冗談ではございません。早急に対策を打たなければ、黄の国自体が危機的状況に陥るでしょう。リン女王陛下には一層のご節約をお願い申し上げます。」
 そう言って言葉を区切り、更に国内の状況をルカが伝えようとした時である。
 「やめて!」
 リンはそこで絶叫した。そのまま、興奮した様子で言葉を続ける。
 「ルカまで内務大臣と同じことを言うの?あたしは好きにやりたいの!もういいわ、下がって!気分が悪くなったわ!」
 リンは一息にそう叫ぶと、荒々しく玉座から立ち上がり、奥の私室へと引き下がっていった。
 まるでおもちゃを取り上げられた子供だわ。一人残されたルカはそんな感想を持って、再び大きな溜息をついた。どうしたらいいのだろう。途方に暮れた、という表情そのままで、ルカはしばらく謁見室で呆然とした時を過ごした。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン⑤ 【小説版悪ノ娘・白ノ娘】

第五弾です。

ここも手直しだけですね・・。

閲覧数:360

投稿日:2010/02/14 22:48:56

文字数:5,401文字

カテゴリ:小説

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